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2007/8/24


神居古潭おう穴群 Kamui-kotan-ouketsu-gun 

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 旭川から滝川方面に向け、石狩川沿いに走る国道12号線を進むと、右手に旭川八景のひとつ、神居古潭がある。おう穴群の特殊な景観は、石狩川の急流に沿う約10kmの奇岩に続き、吊り橋の近く1・2kmに渡って見ることができる。
 神居古潭おう穴群(かむいこたんおうけつぐん)は、日本地質百選に選ばれた神居古潭変成岩層が石狩川に浸食されて出来たもの。深さ、直径ともに、0・5から5mの円形の穴は、景観だけでなく、地質学上も貴重な存在だ。昭和41(1966)年、市の天然記念物に指定されている。
 おう穴とは、硬い川底や川岸のくぼみに礫が入り込み、急流によって礫が回転し、長い年月をかけ、硬い岩に円形の窪みを作り出したもの。
 石狩川の流れ、自然のままの落葉広葉樹林に覆われた渓谷、奇岩、おう穴群などの揃う神居古潭は、アイヌ語で神の居る里の名にふさわしい雰囲気を今も持ち続けている。
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2007/7/27


広瀬川 Hirose-gawa The Hirose River

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 広瀬川(ひろせがわ)は、宮城県仙台市を流れる主流長46kmの河川で、1級河川名取川の最大の支流である。
 その水源を奥羽山脈の関山峠付近に発する流域面積約311平方kmの河川で、仙台市は、この広瀬川の広大な段丘地形の上に発展してきた町であり、仙台の母なる川と呼ばれている。
 仙台の中心市街地を形成している河岸段丘は、広瀬川の河道変遷により形成されたものであり、広瀬川の特徴である自然崖もこのような過程で形成された。
 多くの貴重な動植物の生息地にもなっており、清流にしか棲まないアユやカジカガエルが見られるほか、カワセミ、ヤマセミなど、百種類を超える野鳥も確認される。
 広瀬川は、仙台市街地を流れる都市河川でありながら、荒々しい自然と豊かな緑が調和する渓谷さながらの景観を残す川である。
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広瀬川灯ろう流し Hirose-gawa-tourou-nagashi The Lantern Float in the Hirose River

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広瀬川灯ろう流し(ひろせがわとうろうながし)は、宮城県仙台市を流れる広瀬川河岸宮沢橋~広瀬橋間にて毎年お盆の季節に行われている行事である。
 今から約250年ほど前の宝暦・天明・天保時代、数度にわたる冷害や大凶作があり、東北で数十万の人々が飢餓に見舞われた。
 その際、伊達藩が広瀬橋近くに救助小屋を設けた事から、悲運の死を迎えた人々を供養する為に広瀬川で灯ろう流しが始められた。
 以来、毎年続けられており、戦後は花火大会も同時に開催されるなど、仙台の夏の風物詩として親しまれ、しばし中断ののち、平成二(1990)年より復活した。
 野外コンサートや、夜には大花火大会が行われ、そのフィナーレには広瀬川一杯に広がる130mの大ナイヤガラが広瀬川を彩る。
 広瀬川灯ろう流しは、仙台を代表する由緒ある行事である。
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2007/7/24


川越まつり Kawagoe-matsuri Kawagoe Festival

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 川越(かわごえ)まつりは、埼玉県川越市に毎年10月に行われる、350年の歴史を誇る壮大な祭りである。
 古くから新河岸川の船運などで江戸との交流が盛んだったことから「小江戸」と呼ばれていた川越。川越まつりは、江戸形式の祭りを今に伝える貴重な祭礼として知られている。
 起源は慶安元(1648)年、当時の藩主・松平伊豆守信綱が川越の総鎮守・氷川神社の例大祭に神輿と獅子頭、太鼓などを贈ったのが始まりとされる。
 川越まつりの見どころは「曳っかわせ」。江戸と川越の職人により作られた29台の山車が、お互いすれ違ったときにお囃子と踊りの競演を行うものだ。急テンポのリズムで展開され、威勢のよい掛け声とともに祭りはクライマックスを迎える。山車の多くは黒や赤の漆に塗られ、金箔を所々に用いて、欄間、破風、蹴込みなどに手のこんだ欅(けやき)の彫刻がはめられた絢爛豪華なもの。このうち大正時代に作られた10台の山車は、県の有形民俗文化財に指定されている。
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2007/6/27


遊楽部川 Yuurappu-gawa 

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 遊楽部川(ゆうらっぷがわ)は、北海道二海郡八雲町を流れる川である。
 北海道南部にある標高1053mの太櫓岳を源に、内浦湾に流れ込む全長わずか28・5kmの自然の残る清流である。
 ユーラップとはアイヌ語で温泉水が流れる川という意味を持つ。
 八雲町の市街地がある河口部分を除けば護岸整備もされず、ダムもなく、木々が川面に垂れるように茂る昔なつかしい風情を保つ。
 南の方に生息しているアユの太平洋側の北限の川であり、北の方に生息しているシシャモ、キュウリウオの太平洋側の南限にあたる川で、北と南の魚が重なって生息する、興味深い生態をしている。
 川岸には杉、カワヤナギ、ミズナラ、ヤマハンノキが目立ち、上流の谷間ではブナの森となる豊饒な流域が作られている。
 遊楽部川は、豊富な自然を誇る静かな流れの川である。
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2007/5/31


樽前山 Tarumaezan Mt. Tarumae

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 樽前山(たるまえさん)は、北海道の支笏湖の南東に位置する標高1、041mの活火山。
 支笏洞爺国立公園に属する樽前山は、4万年前に大爆発を起こした支笏カルデラの南東部に約9000年前に形成された後カルデラ火山だ。有史以前に数度爆発を起こし、江戸時代から明治期にかけて噴火が頻発した。近年では昭和五六年に小噴火が起きている。
 山頂部に直径南北1・2キロメートル、東西1・5キロメートルの平たい外輪山があり、そのカルデラの中にさらに低い中央火口丘がある。その火口を埋める形で、明治四二(1909)年に世界的にも珍しい溶岩ドームが生じた。樽前山は、日本でも珍しい三重式火山だ。
 この溶岩ドームは、樽前山溶岩円頂丘として、北海道より特別天然記念物に指定されている。
 樽前の名前の由来は、アイヌ語のタオロ・マイ(川岸の高いところ)といわれる。
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2007/5/8


加茂川と土蔵 Kamogawa-to-Dozou The Kamo River and the Storehouses

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 鳥取県米子市天神町付近にある加茂川と土蔵は、日本情緒溢れる町並である。
 商都として栄えた米子には、江戸時代から明治にかけての佇まいが随所に残され、旧加茂川岸に建ち並ぶ白壁の土蔵と数多く架けられた橋が、江戸時代に商港として栄えた往時の面影を偲ばせている。
 旧市役所の横から米子港へ下る加茂川に沿って古い商家の家並みが続き、なまこ塀の土蔵や連子窓の家が川面に影を映す。
 江戸時代に海運業を営んだ後藤家もあり、この古い家構は国の重要文化財に指定されている。
 町並みを水面からゆったりと眺められる遊覧船もあり、昔懐かしい風景に浸ることが出来る。
 加茂川と土蔵は、米子市を象徴する江戸情緒一杯の場所である。
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2007/3/23


富士川 Fuji-gawa 

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 富士川は、長野県、山梨県、静岡県をまたがって流れる富士川水系の本流。日本三大急流のひとつに数えられる。
 「富士川」の名前は、古く駿河人による「不尽川」と詠んだ万葉の歌に由来する。また、駿河では富士山の水を集めて流れる河との認識があり、富士川と呼んだと考えられる。
 その昔は、内陸の甲斐南部と駿河の交通路として、古くから水運が利用された。江戸時代には、駿河国と甲斐国(現・増穂町・鰍沢町)との間に富士川渡船が開始、甲斐国は幕府の天領であったため、江戸への廻米輸送を中心に水運が発達したそうだ。明治時代に入ると、廻米輸送がなくなり衰退するが、三河岸の商人による起業で明治七年には富士川運輸会社が設立され、発展。鉄道の敷設により再び水運は衰退、現在の東海道線の開通とともに水運としての使命を静かに終えた。
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