NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/24


三原城 Mihara-jyou Mihara Castle Ruins

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 三原城は、現在の広島県三原市にあった城である。国指定史跡となっている。
 三原城は、天正8(1580)年、小早川隆景によって沼田川河口付近にあった中州に建てられた城である。
 その姿が、まるで海に浮いているように見えたため「浮城」或いは「海城」と呼ばれたという。
 東は湧原川から西は現在の臥龍橋付近まで約900メートル、南北に約700メートルの広さがあった。
 隆景の死後、関ヶ原の合戦を経て紀伊和歌山藩筆頭家老の浅野忠吉が入城し、広島藩の支城として幕末まで使用された。
 明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となる。
 現在は、石垣とお堀が残り、周辺は公園として整備されている。
 三原城は、秀吉や家康も宿泊したという要害であり、素晴らしい景観を誇った城である。
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2007/5/8


室戸岬 Murotomisaki Cape Muroto

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 高知県東部の室戸市にある太平洋に面する岬。室戸阿南海岸国定公園に指定されている。
 安芸山地が太平洋に落ち込む南端で太平洋に大きく突き出し、紀伊水道と土佐湾を分けている。
 泥岩・砂岩・ハンレイ岩により、海岸段丘や岩礁、奇岩が形成され、冬でも温暖で、亜熱帯植物が繁茂している。
 日本八景としての景勝地としてよく知られており、岬一帯で見られる暖温帯林と海浜植生は学術的価値が極めて高く、アコウやウバメガシ、アオギリ、ナチシダ等は国の天然記念物にも指定されている。
 高知県を代表する観光地の一つで、JR四国の特急「むろと」にもその名が用いられている。
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2007/3/13


蜻蛉の滝 Seirei-no-taki The Seirei Water fall

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 蜻蛉の滝(せいれいのたき)は、奈良県吉野郡川上村大滝にある落差50mの滝である。
 滝は、標高858メートルの青根ケ峰を源とする音無川にかかり、滝の水は吉野川、紀ノ川をへて紀伊水道にそそいでいる。
 雄略天皇がこの地にて獣狩りを楽しんだ際、天皇の臂に突然大きなアブが飛んできて喰いついた。
 ところが、何処からともなく現われたトンボがそのアブを噛み殺したので、天皇は大いに褒め称え、以来、この地を蜻蛉野(あきつの)と呼ぶ事にしたという。
 蜻蛉とは、トンボの事である。トンボの名にちなみ、この滝も蜻蛉の滝と呼ばれた。
 滝の飛沫が太陽に映じて常に虹を作っていることから、この付近は別名・虹光(にじっこう)といわれている。
 蜻蛉の滝は、古く万葉集にも記述されている、歴史ある名瀑である。
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2007/3/9


生石高原 Oishi-kougen Oishi Highland

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 生石高原(おいしこうげん)は和歌山県の生石ガ峰(870メートル)山頂付近に位置する高原である。
 生石ヶ峰は長峰山脈の一部であり、関西百名山の一つ。山頂付近に広がるなだらかな草原にはススキが群生し、秋口には金色の穂波で埋めつくされる。
 山頂からは四方全てが見渡せる眺望の土地でもあり、晴れた日には和歌山市街や遠く紀伊山地、紀伊水道までを見通すことが出来る。
 ハイキングコースとして親しまれているが、自動車で山頂付近まで乗り入れることも出来、気軽に散策が楽しめる。
 秋には一面に広がるススキの草原を見ようと、多くの登山客が訪れ、人気を集めている。
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2007/3/2


闘鶏神社 Toukei-jinjya 

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 闘鶏神社は、允恭天皇8(423)年創建とあるが、紀伊国続風土記には、熊野別当18代湛快(たんかい)のときに熊野三所権現を勧請したと記されている。
 正面奥に熊野別当21代湛増(たんぞう、湛決の子)と弁慶(湛増の子と伝えられる)の銅像があり、二人の前で二羽の鶏が闘っている。これが闘鶏神社という一風変わった社名の由来を表わしている。
 鳥居をくぐると、左手に大楠、社殿は、正面にはなく、右手に並んでいる。大楠は、落雷により中央部を失ったため高さはないが、幹回り、枝振りは見事なもので、樹齢1200年ほどと推測され、歯病平癒の御利益があるとされている。、
 また、闘鶏神社は勝負の神様としても御利益があるともいわれている。
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