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2008/9/26


塩沢紬 Shiozawatsumugi 

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 塩沢紬(しおざわつむぎ)は、新潟県南魚沼市塩沢に伝わる民芸品であり、国の伝統的工芸品に指定されている。
 この地方の麻布が正倉院に保存されており、奈良時代には既に着物の産地であったことが伺える。この麻織物の技術技法を絹織物にとり入れた織物が塩沢紬で、江戸時代に織り始められた。
 本塩沢と並んで塩沢織物を代表する品であり、国の重要無形文化財に指定されている麻織物「越後上布」の技術を絹織物に応用して誕生した織物とされる。
 材料は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸で、蚊絣と呼ばれる十字絣や亀甲絣により独特の上品さと落ち着きを備える。結城紬に似た風合いを持ち、暖かである。生産反数が非常に少ないため幻の紬とも言われる。
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2008/8/14


つづれ織 Tsuzure-ori 

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 つづれ織(つづれおり)は、日本に伝わる織物のひとつである。
 平織の一種で、緯糸(よこいと)に数色の色糸を使って、経糸(たていと)を包み込む事で、経糸を見えなくして緯糸だけで絵柄を表現する織物の事をいう。
 エジプトのコプト織、南米のインカ織、フランスのゴブラン織などもつづれ織の一種であり、日本でも非常に古くから伝わっており、正倉院の収蔵品の中にも見ることができる。
 図案どおりに、色糸を一本一本爪先で織りこんで模様を織り出していく方法で、帯、壁掛けなどに用いられる。
 職人は積年の熟練と根気、技術を要するのはもちろんの事、経糸の上に緯糸で絵を描く様な作業をするため、洗練された芸術的理解をも必要とされる。
 つづれ織は、非常に手間のかかる、伝統の高級織物である。
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2008/8/7


伎楽面 Gigaku-men Gigaku Mask

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 中国から伝わった伎楽(ぎがく)は、大きな仮面をつけて演じる、台詞が全くない無言劇のことである。
 この伎楽で用いる仮面を「伎楽面(ぎがくめん)」といい、舞楽面や能面よりも大きく、頭からすっぽりと被るもので、人顔・妖怪・獅子・金剛など役柄に応じて様々な種類が存在する。
 正倉院や法隆寺、東大寺などには、百面を超える伎楽面が現存し、国宝として指定されている。
 日本では六世紀頃、仏の教えを深く理解させ仏法を広める目的として、寺社の境内で盛んに伎楽が上演されていた。天平勝宝四(752)年、東大寺の大仏開眼の際にも、大規模な伎楽がおこなわれ、その時の伎楽面が正倉院に残されている。
 伎楽面には、「木彫」と漆を塗って固めた「乾漆」があり、木彫には楠木や桐が使われている。
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夾纈 Kyoukechi 

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 夾纈(きょうけち)は、日本に伝わる、衣類の染色法のひとつである。
 布を半分に折り、この折り目から布端までの図模様を板二枚に彫り、生地裂を半分に折り、その二枚の板に挟んで締め付けて、板の背後からあけた幾つかの穴から染料を流し込んで染める。
 この染色技法のために板を外して拡げると、左右対称の図柄であり、染料の浸み込んだ場所も左右同じ場所となっている。
 布を広げてみないと、どんな風に染め上がったか、染めた本人にもわからないと言われている。
 その起源は、中国ともインドとも言われ、シルクロード、敦煌などの遺跡や日本の正倉院にも夾纈の貴重な裂が多く遺されている。
 柔らかで幻想的な美しさを持ち、日本では奈良時代を中心に行われた染色法だが、多彩な染色は難しく、廃れていった。
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2008/7/4


葛籠 Tuzura 

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 葛籠(つづら)とは、衣を入れる籠の事である。
 元々はツヅラフジのつるで編んだ蓋つきの籠の一種であったが、後に竹を使って網代に編んだ四角い衣装箱をさして呼ぶことが一般的になった。
 古くは正倉院にも所蔵されており、平安時代に入り竹を加工する技術が確立されると、四角く作られるようになった。江戸時代の頃より庶民に愛用され、明治~大正時代の頃によく使用された。
 通気性に富み、また、葛籠の表面に塗られる漆や柿渋に抗菌、防虫、防腐作用があるため、大切な着物を保管するのに最適といわれている。
 おとぎ話「舌切り雀」に、おみやげ物が入っている容器として大きな葛籠と小さな葛籠が登場する事でも知られている。
 葛籠は、通気性が良くて軽い、衣類を入れるための日本伝統の家具である。
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2008/7/2


天平筆(雀頭筆) Tenpyouhitsu(Jantoupitsu) 

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 「天平筆(てんぴょうひつ)・雀頭筆(じゃくとうひつ)」は、芯となる毛に和紙を巻き、其の周りに毛を植えて穂を作るという製法の筆で、歴史は古い。
 日本に現存する最古の筆も、現在、正倉院に収蔵され、聖武天皇ゆかりの御物として伝え残る「天平筆(雀頭筆)」である。その「天平筆(雀頭筆)」は、17点の筆からなり、大きさ、長さ、筆管の装飾、筆帽の装飾、竹の種類、筆の穂などが、それぞれで異なっている。また、使われてる原毛も、狸毛、兎毛、鹿毛、羊毛、馬毛と、さまざまな種類の原毛が使用されており、象牙や黄金、銀糸などの高価な装飾が施されている点から、日用品としてではなく、観賞用、装飾品などに使われていたと考えられている。
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2008/3/18


匂い袋 Nioi-bukuro 

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 匂いに関する文化は世界中に存在し、古来より権力を制した者や身分の高き者は香りを非常に大切にしていたという。
 香りの文化を日本ではじめて取り入れたのは、聖徳太子であるといわれている。匂い袋に関しても奈良時代にはじまり、正倉院の宝物の中に、現在の匂い袋の原点である裛衣香(えびこう)が残されているという。
 匂い袋の中は常温で香りを発散する香原料を刻み、調合して和紙や袋に詰められているのが特徴である。袋を身につけたり、壁や柱につるしたり、禅僧の座傍などにも用いられてきた。また、香原料のうち白壇(びゃくだん)や龍脳(りゅうのう)、丁子(ちょうじ)は防虫効果もあるので、袈裟(けさ)や僧衣(そうい)にもつけられていたという。
 平安時代に入ると貴族たちは個々の香りを出す為に、色々な香原料を工夫したという。香りに関しては源氏物語の中にもしばしば登場する。その後、公家から武家へと香りの文化は受け継がれていったとされる。匂い袋は日本文化の一端を香りで感じるものである。
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2008/3/12


名寄鈴石 Nayoro-suzuishi 

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 名寄鈴石(なよろすずいし)は、褐鉄鋼(かってっこう)という鉱物の一種で、昭和一四(1939)年九月に国の天然記念物の指定を受けた。
 約一〇万年前にできた丘陵や台地の土中に産出し、昭和五(1930)年に、名寄在住の弁護士で郷土史家の田中長三郎が発見した。
 核となる粘土などに、鉄分が殻のように巻き付いてできたと考えられる。鉄サビの固まりのような色で、ほぼ丸く、ピンポン玉からこぶしほどまでの大きさがある。
 振ると音がすることから「鈴石」と呼ばれるようになった。全国でも同様のものは、岐阜県の岩壷、奈良県の鳴石があげられる。
 中国の漢方では「石薬」として不老長寿の薬とされ、正倉院にも納められていた。
 名寄(なよろ)の由来は、アイヌ語で川のそばの国「ナイ・オロ・プト」がなまった「なよろ」からきている。語源のとおり、名寄市は西に天塩川(てしおがわ)、東に名寄川が流れている。
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