NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


長興寺(愛知県豊田市) Choukou-ji (Aichi-ken Toyota-shi) Chokoji Temple

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 豊田市の長興寺(とよたしのちょうこうじ)は、愛知県豊田市長興寺にある臨済宗東福寺派の別格寺院である。本尊は、十一面観世音菩薩。
 南北朝期の建武二(1335)年、挙母城主・中条備前守秀長がその菩提寺として建立した。
 集雲山と号し、七堂伽藍を完備して南北5丁、東西4丁、18坊に及ぶ塔頭が建ち並ぶ威容を誇り、本朝名刹の寺位を許された。
 応仁の乱の後、中條氏が衰退するにつれて寺勢も衰え、戦国時代の永禄一〇(1567)年、織田信長の兵火にあって焼失した。
 しかし信長の家臣・余語正勝によってすぐに再興され、正勝は信長の死後、狩野元秀に現在、国の指定文化財となっている信長の肖像画を描かせ、寺宝とした。
 豊田市の長興寺は、他にも文化財などを多く抱える、長い歴史を誇る寺院である。
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2007/8/10


挙母城址 Koromo-jo-shi Koromo Castle Ruins

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 挙母城址(ころもじょうし)は、愛知県豊田市小坂本町にある史跡である。昭和三四(1959)年、豊田市に改名されるまで、この地は挙母市という名であった。
 矢作川の氾濫を避けるために七つの州が見える台地に作られたので、七州城とも言われた。
 寛延二(1749)年、内藤政苗が2万石で上野安中から入封した時に、新しく挙母藩がひらかれ、政苗は幕府から築城費を与えられて、天明二(1782)年、童子山に挙母城が築城された。
 江戸中期に作られた新しい城であるが、櫓2基と要所に櫓門を設けた小規模な造りとなっている。
 内藤氏は政苗以後、挙母を動くことなく、11代文成の時に明治を迎え、挙母城は廃城となった。
 現在、城跡は城址公園として整備されており、豊田市美術館を中心とした文化施設の一角に、昭和になって復興された隅櫓(すみやぐら)が建てられている。
 挙母城址は、江戸時代の挙母藩を偲ばれる静かな史跡である。
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挙母まつり Koromo-matsuri Koromo Festival

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 挙母まつり(ころもまつり)は、愛知県豊田市挙母町の挙母神社にて、毎年10月第3日曜日とその前日に行われる祭りである。
 挙母神社は、文治五(1189)年、源義経の家臣鈴木重善が大和吉野より「子守明神」を勧請して祀ったのが開創と伝えられる。祭神は、高皇産靈神、他4柱。
 鎌倉前期の文和三(1354)年ごろ、挙母神社にて始まった神事・狂言歌舞伎が、挙母まつりの始まりとされる。
 寛永七(1630)年には南町にて飾り車と傘鉾、獅子が出たという記録があり、後に現在の8町内が揃ったと伝わる。
 挙母祭りでは、8台の山車が曳き出され、辻々で紙吹雪を撒き曳き廻される山車は、いずれも豪華な山車幕や立川流や瀬川の彫刻で飾られており、三河地方でも有数の山車祭りとされる。
 挙母まつりは、挙母城下の心意気を今に伝える勇壮な神事である。
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