曽我どんの傘焼き Sogadon-no-Kasayaki
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「曽我どんの傘焼き」は、鹿児島県鹿児島市加治屋町にて行われる、曽我兄弟のあだ討ちにちなむ伝統行事である。
建久四(1193)年、鎌倉幕府の将軍源頼朝は富士の裾野で狩を行った。その夜、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が頼朝の陣屋に討ち入り、父の仇・工藤祐経を討った。
その夜は激しい雨。兄弟は雨傘に火をつけ、たいまつ代わりに燃やし、陣屋を目指したという。
江戸時代中期、鎌倉武士の流れをくむ薩摩藩主の島津家が、この故事にならって、傘を焼いて顕彰する行事を始めたのがルーツである。
あだ討ちと同じ旧暦の五月二八日の夜に傘焼きを行い、曽我兄弟の孝心を偲ぶ。まさに「曽我どん(曽我殿)」の傘焼きである。
祭りでは、褌姿の男たちが甲突川河畔に10mの竹のやぐらを組み、四、五百本の古い和傘を積み上げて、曾我兄弟の歌を唄いながら傘を燃やす。
夜空高く舞い上がる炎が鎌倉武士の気概を今に伝える。
建久四(1193)年、鎌倉幕府の将軍源頼朝は富士の裾野で狩を行った。その夜、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が頼朝の陣屋に討ち入り、父の仇・工藤祐経を討った。
その夜は激しい雨。兄弟は雨傘に火をつけ、たいまつ代わりに燃やし、陣屋を目指したという。
江戸時代中期、鎌倉武士の流れをくむ薩摩藩主の島津家が、この故事にならって、傘を焼いて顕彰する行事を始めたのがルーツである。
あだ討ちと同じ旧暦の五月二八日の夜に傘焼きを行い、曽我兄弟の孝心を偲ぶ。まさに「曽我どん(曽我殿)」の傘焼きである。
祭りでは、褌姿の男たちが甲突川河畔に10mの竹のやぐらを組み、四、五百本の古い和傘を積み上げて、曾我兄弟の歌を唄いながら傘を燃やす。
夜空高く舞い上がる炎が鎌倉武士の気概を今に伝える。
- 住所
- 892-0846鹿児島県鹿児島市加治屋町
- 名前
- 鹿児島三大行事保存会
- 電話
- 099-238-0301