NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/6


土俵 Dohyou 

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 日本の国技である相撲の歴史は大変古く、「古事記」の中に記されている建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国をかけた「力くらべ」が起源とされている。
 土俵(どひょう)は、相撲を取る力士たちが勝負を争う神聖な場所を指す。土俵はその字のごとく、俵に土を詰めたものを使うためにこう呼ばれる。
 その大きさは江戸時代では直径一三尺、三メートル九四センチであったが、昭和六(1931)年、天皇がご覧になる天覧試合の時より直径が一五尺、四メートル五五センチとされた。
 現代の大相撲の本場所の土俵は、円周となる勝負俵一六、東西南北の真中の俵だけ円よりも俵一個分外にだしている徳俵四、周囲を囲む角俵二八、四角の上げ俵(外俵)四、土俵に上がる上がり段(踏み俵)一〇、小さめの水桶俵四の六種類六六俵を使用している。
 土俵は勝負を行う神聖な場所であることから、真中に穴を掘り日本酒や塩、米などが奉納される。また、女人禁制とされる場所としても有名である。
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2007/8/31


室生寺 五重塔(国宝) Murou-ji Gojuu-no-tou 

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 室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生区室生にある真言宗室生寺派大本山の寺院である。本尊は、釈迦如来。仏塔古寺十八尊第18番、西国薬師霊場第8番札所とされる。
 宝亀年間(770~781)に賢璟(けんけい)によって開基された寺で、女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。
 五重塔(ごじゅうのとう)は、延暦一九(800)年頃の建立とされ、高さは16mほどで、屋外にある木造五重塔としては日本で最も小さく、また法隆寺塔に次いで日本で2番目に古いもので、国宝に指定されている。
 塔は三間四方で、檜皮葺の屋根や丹塗りの組物が、奥深い樹林に包まれて格別の風情を醸し出している。
 室生寺の五重塔は、長い歴史を感じさせる建築物である。
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2007/8/24


石鎚山お山開き Ishizuchi-san-oyama-biraki 

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 石鎚山(いしづちやま)は、加賀白山、越中立山、大和大嶺山及び釈迦嶽、駿河富士、伯耆大山とともに、日本七霊山のひとつにも数えられる四国の霊峰。標高は1982メートルである。この石鎚山お山開きは石鎚神社最大の御祭儀で、毎年七月一日〜一〇日までの一〇日間に渡って行なわれる。
 石鎚神社は、修験者の役小角(えんのおづの)が和銅三(710)年頃開山、後年、空海が修業を行ったとも場所とも伝えられる由緒ある神社。
 大祭前日の六月三〇日は出御祭で、神輿に納められた智・仁・勇の三体のご神像が、七合目にある成就社まで運ばれる。翌七月一日の朝、大太鼓の音に送られ、白装束姿の信者が御神像を背に、険しい山道を山頂へと駆け上がる。山頂では、ご神像拝戴(しんぞうはいたい)と呼ばれる、信者の背中にご神像を押しつける神事が行なわれ、人々は一年の無病息災を祈願、その後ご神像は頂上の社に納められ、祭りの期間中鎮座する。
 元々は女人禁制のお山であったが、現在ではそれは七月一日のみとなった。
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2007/5/11


摩尼寺 Mani-dera Manidera Temple

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 摩尼(まに)寺は、鳥取砂丘から南東の方角にある摩尼山の中腹にある天台宗の古刹。約1200年もの歴史を持ち、因幡第一の霊場として遠近に名高く、彼岸の頃には多くの参詣客で賑わう。
 平安時代の承和年間(834〜848)に慈覚大師円仁が開基したとされる。当時、比叡山や高野山のように多くの霊場が女人禁制だったのに対し、摩尼寺の参詣に女人の登山を許したことから、女人の篤い信仰を集めた。
 摩尼山のふもとから長く急な石段を登って境内へ、そして仁王門、本堂、如来堂、奥の院へと続く様は歴史を感じさせる堂々たる趣だ。
 仁王門は18世紀後半に建てられたもので、県内でも数少ない三間一戸形式の楼門。本堂手前の観音像からしたたる「摩尼の水」は健康長寿にご利益があると伝えられている。
 旧暦8月15日の「へちま加持」には、喘息平癒に全国から信者たちが集まる。
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2007/5/7


金華山黄金山神社 Kinkasan-Koganeyama-Jinja 

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 金華山黄金山(きんかさんこがねやま)神社は、宮城県石巻市鮎川浜沖に浮かぶ島「金華山」にある神社である。金華山の島全体が神域で、野生の鹿が生息する。祭神は鉱山の神である金山毘古神(かなやまひこのかみ)・金山毘売神(かなやまびめのかみ)、そして天神八百万神、地神八百万神である。
 もともとは海神を祀る神社であったと考えられている。中世から修験道場となり、弁財天を安置し金華山大金寺と称するようになってからは、女人禁制の島となり、出羽三山・恐山と並び東奥三霊場に数えられるようになった。
 明治二(1869)年、神仏分離令により金華山大金寺は黄金山神社となり、山頂奥院には市杵島姫神(仏号弁財天)が祀られ、女人禁制も解かれた。
 本尊は金銀財宝・開運の神で、3年続けてお参りすれば「お金に不自由しない」といわれる。
 金華山黄金山神社は、地場の信仰厚い霊験あらたかな神社である。
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2007/3/12


大峯山寺(世界遺産) Oominesanji Ominesanji Temple (World Heritage Site)

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 大峯山寺は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院である。本尊は蔵王権現像、役行者像。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つ
 大峯山は標高1719メートルの山であり、全国に数多く存在する大峰山の由来の山でもある。
 大峯山寺は、大峯山の中心、山上ケ岳の山頂にある寺で、日本でもっとも高所にある木造建造物といわれている。
 7世紀末に、修験道の祖である役行者が、苦行の末にようやく感得した蔵王権現を刻んで本尊としたのが創建である。
 女人禁制の聖域としても知られ、毎年5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式までの山入の期間には、多くの行者が修行に励んでいる。
 本堂は、戦国時代に一向宗と争って焼失し、元禄4(1691)年に再建されたものである。
 大峯山寺は、厳しい修験道と女人禁制を旨とする古寺である。
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母公堂 Hahakodou Hahakodo

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 母公堂(ははこどう)は、奈良県吉野郡天川村洞川にある高野山真言宗の寺院である。本尊は、白専女(役小角の母親)とされる。
 その昔、大峰山で修行に励む役小角を案じた小角の母親が、麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとした。
 谷にさしかかった所、大蛇がいて危険だったので、あきらめて里に引き返し、庵を結び、山に手を合わせて小角の無事を祈った。
 すると、光の中から阿弥陀如来が現れ、「小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待て」と告げたという。
 以来、谷は蛇ケ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里の者は庵跡に堂宇を建立し、母公堂と呼ぶようになったという。
 母公堂には今でも「女人結界」と彫られた石碑が建っている。
 母公堂は、女人禁制とされる山の麓に建つ、安産の寺院である。
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2006/12/18


男体山 中禅寺湖 Nantaisan Chuzenji-ko Mount Nantai and Lake Chuzenji

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 栃木県日光を代表する風光明媚な景観。中禅寺湖は、周囲約25キロメートル、最大水深163メートル、水面の海抜高度1269メートル。人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、日本一高い場所に位置する湖だ。
 約2万年もの昔、男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたといわれる。発見されたのは782年。日光開山の祖、勝道上人(しょうどうしょうにん)が男体山の登頂に成功した際に、山上から湖を見つけたという逸話が残っている。
 日本百名山のひとつで、栃木県を代表する山である男体山は、「日光」という呼び名の起源とされている。かつては山岳信仰の修験者たちが訪れ、験修道として隆盛した女人禁制の山であった。山頂には二荒山神社の奥宮があり、毎年夏に行われる登拝登山では御来光を拝む人で賑わう。
 中禅寺湖を背景にして男体山を望む景観は壮観である。湖を遊覧船でめぐる観光も人気が高い。
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