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山梨県西部を流れる富士川。その富士川で江戸時代中期頃から始まったとされる、盆の送り火や川供養、稲を害虫から守る虫送りの意味を込めた郷土行事が南部の火祭り(なんぶのひまつり)だ。
一時期は途絶えていたが、昭和六三(1988)年に復活。投げ松明や灯ろう流し、百八たい、大松明の4つの行事を主とした祭事で、富士川流域における夏の風物詩を今に伝えている。
高さ十数mの竿の上に設けられた、藁で作られた蜂の巣めがけて松明を振り回し投げ入れる投げ松明で祭りは幕を開ける。
大松明では燃え盛る松明と低く響き渡る僧侶の読経のコントラストが見るものを幻想の世界へと誘い、百八たいは富士川の両岸で約2kmに渡って設けられた、人間の煩悩に見立てた百八基の松明に、夜八時になると同時に点火、まるで川が燃えているような壮大な風景を見せてくれる。
夏の夜に繰り広げられる炎の饗宴は、見るものに忘れ経ぬ感動を与えてくれる。
一時期は途絶えていたが、昭和六三(1988)年に復活。投げ松明や灯ろう流し、百八たい、大松明の4つの行事を主とした祭事で、富士川流域における夏の風物詩を今に伝えている。
高さ十数mの竿の上に設けられた、藁で作られた蜂の巣めがけて松明を振り回し投げ入れる投げ松明で祭りは幕を開ける。
大松明では燃え盛る松明と低く響き渡る僧侶の読経のコントラストが見るものを幻想の世界へと誘い、百八たいは富士川の両岸で約2kmに渡って設けられた、人間の煩悩に見立てた百八基の松明に、夜八時になると同時に点火、まるで川が燃えているような壮大な風景を見せてくれる。
夏の夜に繰り広げられる炎の饗宴は、見るものに忘れ経ぬ感動を与えてくれる。
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