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2008/7/7


倭姫宮 Yamatohime-no-miya 

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 倭姫宮(やまとひめのみや)は、三重県伊勢市にある神社だ。
 伊勢神宮皇大神宮の別宮であり、日本神話において第一一代垂仁天皇の第四皇女と伝えられる倭姫命(やまとひめのみこと)をご祭神としている。
 倭姫命は、天照大御神のご鎮座の地として現在地である五十鈴川のほとりに伊勢神宮を創建、各種祭事の制度を定め、現在に至る神道の基礎を作ったと伝えられる人物で、こうした功績を称えると共に、地元住民たちの要望もあって大正一二(1923)年に、外宮と内宮のほぼ中間である倉田山に創建された。
 緑豊かな原始の森の中に立つ社殿は、内宮に準じて萱葺の神明造となっており、他に十三宮ある別宮の中で最も新しいものである。
 また、倉田山に隣接する間の山(あいのやま)には、倭姫命の陵墓といわれる尾上御陵(おべごりょう)と呼ばれる小さな古墳もあり、そうした経緯から倉田山が選ばれた。
 緑深き森の中にひっそりと立つ神社は、太古の日本神道の立役者が住まう場所なのである。
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2007/12/20


さきたま火祭り Sakitama-himatsuri 

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 さきたま火祭り(ひまつり)は、埼玉県行田市の県立さきたま古墳公園にて毎年五月四日に行われている祭りである。
 昭和五五(1980)年、後に国宝に指定された金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が、さきたま古墳公園の資料館に保存されることが決まった事を記念して行われた「古墳まつり」の、催事のひとつとして始まった。
 火祭りの由来は古事記に基づき、ニニギの命がコノハナサクヤ姫と婚姻し、一夜の交わりで身ごもったのを疑われた時、疑いを晴らすため「神の御子ならば、火の中でも無事に生まれる」と産屋に火を放ち、その中で子供を無事に出産したという話を演じている。
 丸墓山、稲荷山から降りてくるフィナーレの御神火下りは、大変見応えがあって盛り上がる。
 さきたま火祭りは、観る者を古代のロマンと神話の世界に誘う祭りである。
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2007/11/29


のぼりざる Nobori-zaru Climbing Monkey

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 のぼりざるは宮崎県延岡に伝わる郷土玩具で、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願い、端午の節句に鯉のぼりと一緒に上げられる。風を受けると竿を伝って上へ昇る。
 今から200年ほど前、延岡内藤藩の武士の妻たちの手内職としてつくられるようになったと伝えられるが、その由来はいくつかあり、神話時代の猿田彦の乱暴狼藉を戒めるためとか、延岡藩の旧藩主有馬公が戦の時、背に負った馬印に猿を描き勝利したためとかいわれている。
 人形は木材で猿の型を作り、そこに和紙を何重にも張り重ね、背を切り開き木材の型を取り出し、背を縫い合わせ色付けをする。その猿に金筋入りの烏帽子をかぶらせ小鼓と御幣を持たせた、歌舞伎の前に行う祝儀の舞のいでたち風に仕上げられる。そして、菖蒲の絵の描かれたのぼりにつるされるのである。
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2007/11/9


相撲 Sumou 

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 相撲(すもう)は、日本に古来から伝わる武道・格闘技であり、現在はスポーツとして世界的にも知られている国技である。
 その起源は「古事記」や「日本書紀」に登場するほど古く、神話として扱われている。平安時代には宗教文化色が増し、神事として扱われるようになった。
 やがて武芸となり、江戸時代には芸能として成り立ち、現在は大相撲として全国を興行している。
 競技としては、腰にまわしを巻いた裸の2人が土俵上で取り組み、相手を押したり、ついたり、投げたりしながら、倒すか土俵の外に出す事で勝敗を決める。
 力士は頭にまげをゆい、審判役の行司は1400年頃の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に土俵で塩をまくのは、神聖な土俵を清める為とされる。
 また、力士には番付があり、かつては大関が最高位だったが、明治以降は実績と品格により最高位・横綱が与えられるようになった。
 相撲は、古より伝わる神事であり、日本の伝統文化である。
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2007/9/18


津貫豊祭太鼓踊り Tsunuki-hoze-taiko-odori 

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 津貫豊祭太鼓踊り(つぬきほぜたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田津貫の天御中主神社(あまのみなかぬしじんじゃ)にて、毎年一〇月二七日に奉納されている踊りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 天御中主神社は、延宝八(1680)年に清木場から現在地に移された神社で、祭神は天御中主神。
 踊りは、天御中主神社の秋の例祭として奉納されているほか、豊年・五穀豊饒を祈願し、各地で秋祭りとして踊られている。
 起源は、神話や源頼朝の鎌倉幕府開設の祝いにあるとも言われており、念仏踊りや雨乞い、虫追いの踊りが農民の間に行われ、発展したものと考えられている。
 小太鼓2人、鐘2人、大太鼓16人で演じられ、小太鼓と鐘は女装した男の子で、大太鼓は大きな音を立てないように打つのが特徴的とされる。
 津貫豊祭太鼓踊りは、加世田に伝わる神秘的な郷土芸能である。
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2007/9/11


雄勝法印神楽 Ogatsu-houin-kagura 

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 雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は、宮城県石巻市の旧雄勝町周辺に伝わる、民俗芸能の神楽舞である。
 法印神楽は宮城県北東部一帯に分布する神楽の一種で、法印と呼ばれた修験者によって行われた加持祈祷の儀式である。
 悪霊退散や五穀豊穣を祈って舞われ、その地方の特色を今も色濃く残す芸能である。
 雄勝法印神楽も、古くは山伏神楽や大乗神楽と呼ばれ、修験者である山伏が、一子相伝に則って口伝で伝承してきたものである。
 法印神楽にも能のように流派があり、大別して羽黒派、本山派、当山派の三つに分けられるが、雄勝法印神楽は羽黒派に属する神楽である。
 日本書紀や古事記などの神話物語で構成された、地方的特色の顕著な舞は大変貴重な文化遺産であり、雄勝法印神楽も平成八(1996)年に重要無形民俗文化財に指定され、今も地域の人々によって、大切に受け継がれている。
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2007/9/10


霧島山 Kirishima-yama Mt. Kirishima

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 霧島山(霧島連峰・霧島火山群)は、鹿児島県霧島市と宮崎県えびの市・小林市の境界にある火山群の総称である。日本百名山の一つに選ばれている。
 約30万年前に大噴火を起こした、加久藤カルデラの南縁に誕生した後カルデラ火山とされる。
 標高1700mの最高峰・韓国岳をはじめ、高千穂峰、中岳、大幡山、御鉢などからなっており、大浪池、大幡池、御池、六観音池など多くの火口湖が存在する。
 一帯は霧島屋久国立公園に指定されており、高地にはミヤマキリシマの群生地がある。
 高千穂峰の山頂には、アマテラスの孫ニニギが、降臨する際、逆さに突きたてたという天の逆鉾が立てられている。
 また、坂本龍馬夫婦の日本最初の新婚旅行地としても知られている。
 霧島山は、天孫降臨を伝える日本創世神話の地である。
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霧島九面太鼓 Kirishima-kumen-daiko 

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 霧島九面太鼓(きりしまくめんだいこ)は、鹿児島県霧島市にて行われる伝統芸能である。
 霧島市には霧島連峰があり、その中の高千穂峰には天孫降臨の神話が伝わる。
 昭和四七(1972)年、霧島九面太鼓は霧島温泉商工会青年部の若者たちによって創作された。
 霧島神宮に宝物として保存されていた九人の神様の面と云われる天狗面を使い、天孫降臨の神話にちなんで天降りの打法、演舞など基本的な所作を振り付け、演奏したのである。
 元旦の午前0時からと2月11日、霧島神宮本殿前で霧島の神話をモチーフにした曲を熱演する。
 また、国内各地の有名な太鼓を招いての霧島高原太鼓まつりは夏の催事として定着し、毎年各地から訪れるたくさんの聴衆を魅了している。
 霧島九面太鼓は、太鼓の音も神秘的な郷土芸能である。
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