NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/7


田束山 Tatsugane-san 

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 宮城県本吉郡南三陸町に位置する田束山(たつがねさん)は、かっては霊峰田束山として奥州平泉で栄華を極めた藤原一族が崇拝していた山である。
 そのため、山頂からは平安時代末期の藤原氏ゆかりの経塚群などが多く出土し、平泉文化を研究するうえでも貴重な場所である。
 山腹には三十三観音や不動明王が並ぶ石像公園や、しあわせの森、ふれあいの森公園などが設けられ、市民の憩いの場ともなっている。
 特に、五月のつつじ、六月のアヤメと初夏の田束山には見所が多く、たくさんの人々で賑わいをみせている。また、山頂から見るリアス式海岸も美しい。
 五月には僧侶と山伏による盛大な護摩祈祷も行われる。
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2007/9/6


薬湯山 泉明寺 Yakutou-san Senmyou-ji Yakutousan Myosenji Temple

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 薬湯山泉明寺(やくとうさんせんみょうじ)は、宮城県仙台市太白区の秋保町湯元薬師にある真言宗の寺である。本尊は薬師三尊。
 古来より薬師如来の霊応の地で、開湯1500年以上もの歴史を誇る日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師円仁(794~864)によって開創されたと言われる。
 宗祖・弘法大師空海の神仏習合の流れをくみ、主に加持祈濤を行っている。
 本尊である薬師如来と、日光月光菩薩及び十二神将は、平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられている。
 寺の横には赤レンガ造りの秋保温泉共同浴場がひっそりと佇んでおり、毎年5月5日には泉明寺境内で秋保温泉子育薬師祭が行なわれている。
 薬湯山泉明寺は、長い歴史を誇る、温泉街の守護寺である。
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2007/9/4


弘前さくらまつり Hirosaki-sakura-matsuri Hirosaki Cherry Festival

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 弘前市(ひろさきし)にある弘前公園では、毎年四月下旬から五月上旬に「弘前さくらまつり」が開催される。二月の雪燈籠まつり、八月のねぷたまつり、一〇月の紅葉まつりと共に弘前四大祭りのひとつに数えられている。
 この桜は正徳五(1715)年、京都から取り寄せたカスミザクラ二五本などを城内に植えたのが始まりとされている。その後明治時代に植栽が数回行われた。
 公園内には津軽氏の居城となった弘前城があり、中心には東北唯一の現存する天守閣がある。明治二八(1895)年に弘前公園となり市民に開放され、現在では、ソメイヨシノをはじめ約五〇種類二千六百本の桜が咲き乱れ、日本を代表する花見の名所となった。
 濠に連なる桜は水面間際まで枝が伸び、水面に写る桜の姿は格別である。また、夜になると明かりが灯され、夜桜のなかに浮かび上がる天守閣は幻想的な姿を見せる。
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2007/8/27


生品神社 Ikushina-jinjya Ikushina Shrine

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 生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市新田市野井町にある神社である。祭神は、大穴牟遅神、品陀和気命、建御名方神。
 平安時代の神名帳に記載されているが、創祀年代は不明である。
 元弘三(1333)年5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。
 境内には社殿の他、義貞像、義貞旗揚げ塚、床几塚、旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木の神木、記念碑等、義貞にまつわるものが多々存在する。
 義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日には例祭として鏑矢祭が行なわれる。
 古くは生階と称し、太田市内に多くある同名の神社の本宮であり、古来より崇敬が篤い。
 生品神社は、忠臣新田義貞にゆかりある古社である。
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2007/8/21


広藤園藤まつり Koutou-en-fuji-matsuri Kotoen Wisteria Festival

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 広さ一〇〇〇立方mの敷地を持つ碧南(へきなん)市の広藤園(こうとうえん)。ここで毎年四月中旬から五月上旬まで行われるのが「藤まつり」だ。
 広藤園の藤は文政三(1820)年、藤好きであった小田廣作(おだひろさく)が藤棚造りをしたのが始まりといわれている。
 「広の長藤(ひろのながふじ)」と呼ばれる、特有の長い蔓(つる)を巻きつけて、1・5mの花房を広げる藤棚はまさに壮観。また甘い香りの「だるま藤」もあり、辺りは柔らかな香りに包まれる。
 祭りの期間中、夜間には園内を提灯がライトアップ。妖しげなピンクと紫の光に照らされ、昼間とはまた違う景観を楽しむことができる。
 特定日の昼間には「茶会」も開かれ、花々を愛でながら、昔ながらの風流な行事も楽しめる。
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2007/8/17


李参平碑 Risanpei-hi Monument to Ri Sampei

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 16世紀末、肥前国の戦国時代・安土桃山時代の武将・鍋島直茂が韓国出征からの帰国した際に韓国の陶工たちを日本に連れ帰ってきたという。有田陶工の祖と言われる李参平(りさんぺい)はその中の一人で、元和二(1616)年に泉山で白磁鉱を発見し、日本で初めて磁器を焼くことに成功。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。
 有田町大樽の陶山神社には、陶祖である李参平が祀られ、社殿うしろの蓮華石山の頂、有田の町を一望できる景勝の地に、この「李参平碑」が立っている。
 有田焼の創業300年となる大正五(1916)年に建立。以来、毎年五月四日に、この碑の前で「陶租祭」が行われている。
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2007/8/10


岩手 桜山神社 Iwate sakurayama-jinjya 

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 岩手県盛岡市内丸にある桜山神社。もともとは盛岡城の三の丸にあり、盛岡藩の総鎮守として篤く信仰された神社である。
 創建は江戸時代の寛延二(1749)年。盛岡藩の8代藩主・南部利視が初代藩主の没後百五十年にあたることから盛岡城内の淡路丸に勧請したのがはじまりだ。
 明治維新の際、明治四(1871)年に廃藩置県により盛岡城は廃城。それに伴い、桜山神社も遷座を余儀なくされ、妙泉寺山に場所を移したが、第二次世界大戦後、再建された盛岡城内に戻ってきた。
 現在祀られているのは初代藩主だけでなく、藩祖・光行、2代藩主・利重、11代藩主・利敬の4人。南部藩の守り神として今も盛岡を見守りつづけている。
 神宝の南北朝初期国長作とされる刀は国指定の重要文化財。毎年5月25〜27日には例大祭が行われ、武者行列やさんさ踊りが賑やかに執り行われる。
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史跡八橋かきつばたまつり Shiseki-yatsuhashi-kakitsubata-matsuri Yatsuhashi Iris Festival

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 愛知県知立市の無量寿寺境内にある回遊式庭園が八橋かきつばた園である。
 平安の歌人、在原業平もうたに詠んだ、伊勢物語の昔から知られているかきつばたの名勝地である。
 毎年四月下旬から五月下旬にかけて約三万本のかきつばたが咲き、史跡八橋かきつばたまつり(四月二七日~五月二六日)が開催される。
 庭園の面積は約1万3千平方メートルもあり、かきつばたまつりは55年ほど前から行われている。
このまつりは、知立市の最も大きなイベントであり、期間中には「史跡八橋かきつばたを写す会」や「茶会」「盆栽転」「俳句会」「詩吟大会」「宝物展」などいろいろなイベントが催される。
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