NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


鴨都波神社 Kamotsuba-jinja 

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 奈良県御所市にある「鴨都波神社(かもつばじんじゃ)」は、上鴨社(かみがもしゃ)の高鴨神社(たかかもじんじゃ)、中鴨社(なかがもしゃ)の葛城御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)に対して、「下鴨社(しもがもしゃ)」と呼ばれている。
 主祭神は、積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)と下照姫命(したてるひめのみこと)で、積羽八重事代主命は、奈良県桜井市の大神神社に祀られる大国主命(おおくにぬしのみこと)の子どもであることから、「大神神社の別宮」ともいわれている。
 拝殿前の右手には、樹齢300年のいち樫が御神木とされている。
 夏祭りと秋祭り宵宮には、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願し、氏子地域から「ススキ提灯」と呼ばれる30基余りの提灯が奉納され、県の無形民俗文化財に指定されている。
 ススキ提灯とは、4、5メートルほどの竹製の支柱に、横木を4本通し先端から紐で連結し、高張提灯を上から、2・4・4の合計10張を3段に組みたて、先端部に御弊を施したものである。
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2008/3/31


苗村神社 Namura-jinja Namura Shrine

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 苗村神社(なむらじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡竜王町綾戸にある神社である。祭神は国狭槌命(くにさずちのみこと)、大国主命、素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
 創祀年月は不詳ながら古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされており、現在の東本殿は、地名の那牟羅と同音の長寸(なむら)と呼ばれる。
 安和二(969)年、大和国芳野金峯山の国狭槌命の神霊が、神域の西方に遷座された。この際、社殿が造営され、その社は東本殿に対して西本殿と呼ばれる。
 近隣33の村に氏子を持つ総社で、33年に1度、秋の大祭が行われる。
 境内に立ち並ぶ建築物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されているという文化財の宝庫ともいえる神社で、茅葺きの楼門や、境内の不動堂には神仏混合の名残として木造不動明王像が安置されている。
 苗村神社は、古代より長く伝わってきた伝統の神社である。
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2008/2/18


宇和津彦神社 秋祭り Uwatsuhiko-jinja Aki-matsuri 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は、延暦一一(792)年創建の古社で、一宮神社とも呼ばれ、藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬が厚かった。
 ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)と景行天皇の子である宇和津彦命(うわつひこのみこと)である。
 この神社で一〇月二九日に行われる秋祭りは、伊達氏とともに東北から伝えられたという八ツ鹿踊りが奉納される。この踊りは市の無形民俗文化財に指定されている。
 鹿の頭をつけ、紅染の布を上半身に纏った雄鹿七頭・雌鹿一頭を八人の少年たちが演じる。胸につけた太鼓を叩き、歌いながら舞う八ツ鹿踊り奉納後、いよいよ神輿の先駆けに牛鬼が登場する。
 牛鬼とは、深紅の布で全身を覆った体に鬼面を付け、胴の長さが6mもある怪物の事で、悪霊払いをしながら町を練り歩く。気に入らない家ではわざと暴れたり、牛鬼同士で争ったりする。悪霊払いの意味をもつ牛鬼は、宇和島を中心とする南予地方独特のものである。
 
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2007/10/11


宇和津彦神社 Uwatsuhiko-jinja 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は延暦一一(792)年創建といわれる古社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)と宇和津彦命(うわつひこのみこと)を主祭神とする。藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬を受け、南与地域の人々からは「一宮さま」と呼ばれ親しまれてきた。かつて社殿は宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で現在地に移されたといわれている。本殿の様式は切妻造、檜皮葺。境内から見る宇和島城の姿が美しい。
 毎年一〇月二九日には宇和津彦神社秋季例大祭が行われる。この例大祭では、八ツ鹿踊り、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統芸能が繰り広げられる。特に、伊達氏とともに東北から伝えられ市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが奉納されると、氏子らに代々受け継がれてきた牛鬼の先導する神輿が町を練り歩き、祭は佳境を迎える。
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2007/8/30


大洗磯前神社 Ooarai-isozaki-jinjya Oarai Isozaki Shrine

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 茨城県大洗磯浜にある大洗磯前神社。創立は斉衡三(856)年。
 その頃、度々地震が発生して、人心が動揺し、国内が乱れていた。大己貴命(大国主神)はこうした混乱を鎮め平和な国土を築くために降臨されたと伝えられている。
 時代が下り、永禄年間(1558~1569)には兵乱のために、社殿以下の諸建造物がことごとく焼失。その後、江戸時代になって、水戸藩主徳川光圀は元禄三(1690)年、社殿の造営を起工し、次いで綱條の代には本殿、拝殿、神門にいたるまでの建造が完成した。
 現存する社殿、神門等は当時の建造物で、社殿の彫刻と共に徳川初期の様子を偲ぶ文化財として貴重なものとなっている。
 商売繁盛、家内安全、陸海空の交通安全、厄除招福、諸願成就の守護神、更には酒造の大神、病難に苦しむ人々を治癒してくださる医療厚生の大神と仰がれている。
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2007/8/27


富士見 赤城神社 Fujimi Akagi-jinja Akagi Shrine in Fujimi

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 富士見の赤城神社は、群馬県勢多郡富士見村にある神社である。祭神は、赤城大明神(赤城山)、大国主命、磐筒男神、磐筒女神経津主神。上野国二宮の論社のひとつ。
 神社の創建される昔から赤城山と湖は神格化され自然崇拝の対象となっており、神社の創建年代は不明である。
 大同元(806)年、赤城神社は元の地より、大沼南の水辺に遷宮された。以後、大洞赤城神社の名で親しまれ、江戸期には幕府に保護され、篤く信仰された。
 各地に分社が勧請されており、赤城山登山口に建つ鳥居は、村人たちにより奉納された物である。
 寛永一九(1642)年、徳川家光の命により建築された社殿は、昭和四五(1970)年、小鳥ヶ島に移し、再建された。
 赤城神社は、古代より山岳信仰にて崇敬される社である。
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2007/8/3


小園臼太鼓踊り Kozono-usu-daiko-odori Kozono Usudaiko Odori

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 小園臼太鼓踊り(こぞのうすだいこおどり)は、宮崎県東臼杵郡門川町小園の門川神社(かどがわじんじゃ)にて毎年11月に奉納されている民俗芸能である。
 門川神社は、享禄三(1530)年、人畜守護のために勧請された神社で、祭神は宇気母智神、大国主命、大山祇神、猿田彦神。
 秋の門川神社大祭では、もちまき、大人御輿、子ども御輿などと共に、小園臼太鼓踊りが夜7時過ぎ頃から古えの戦勝を祝って踊られる。
 古えの戦勝とは豊臣秀吉の出兵に関連していると言われており、陣中で舞われたものと思われる。
 踊りは、人を集める道鏡から始まり、出兵の内容を盛ったうたが静と動で構成され、踊りの各部分に伝わっていく。
 小園臼太鼓踊りは、古くから門川町に伝わる勇壮な舞踊である。
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2007/4/24


京都 今宮神社 Kyoto-imamiya-jinjya 

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 今宮神社は、京都府京都市北区にある神社である。
 994年船岡山に創建された。大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の三神を祀る。1000年、一条天皇は疫病を退けるため初めてこの三神を現地に勧請したという。
 入り口は朱色が際立つ「楼門」がある。中には立派な本社があり、疫神社と呼ばれ、疫病鎮護の神として信仰が篤い。この神社には阿呆賢さん(あほかしさん)と呼ばれる不思議な石がある。その石をまず三度叩き持ち上げると大変重く感じられる。次に石に心をこめて願をかけ再び持ち上げた際、軽く感じられたら、その願いは叶うと言われている。
 4月第2日曜日には病を鎮め厄を払うための「安居祭り」(やすらいまつり)が行われ、京都の三奇祭のひとつとして有名である。
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