NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/26


二尊院 Nison-in 

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 京都市嵯峨野にある二尊院(にそんいん)は嵯峨天皇によって建立された天台宗の寺院である。正式名称は「小倉山尊教院華台寺(おぐらやまそんきょういんけだいじ)」で、開祖は慈覚大師(じかくだいし)とも呼ばれる日本で最初の大師円仁(えんにん)である。創建時期は承和年間(834~847年)とされている。
 現世から来世へと送り出す「発遣(ほっけん)の釈迦」と、西方極楽浄土へ迎え入れる「来迎の阿弥陀」の表裏一体ともいえる二如来像を本尊とすることから二尊院と名付けられた。
 応仁の乱の戦火を受け、建物はほぼ全焼してしまったが、その後本堂と勅使門など、一部の建物が再建されている。
 伏見桃山城の薬医門(やくいもん)を移した大きな総門から延びる広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、紅葉の名所として名高い。
 また、ここは藤原定家が百人一首を選定した場所としても名高く、山の中腹に「時雨亭跡」として石組みが残されている。
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2008/8/1


大覚寺 大沢の池 Daikakuji Oosawano-ike 

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 大覚寺(だいかくじ)は、京都府京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派大本山の寺である。本尊は、不動明王ほか五大明王。
 大沢の池(おおさわのいけ)は、大覚寺の東に位置する、元は離宮嵯峨院の庭池で、周囲約1kmある日本最古の人工の林泉である。
 大同四(809)年、即位した嵯峨天皇は、平安京より離れた葛野の地をこよなく愛し、后との新居として嵯峨院を建立した。
 貞観一八(876)年、嵯峨天皇長女・正子内親王の発願により嵯峨院を寺とし、大覚寺と号した。
 大沢の池は中国の洞庭湖を模して造られたと伝えられており、池中には天神島・菊ケ島と庭湖石がある。池のほとりには茶室・望雲亭(ぼううんてい)、心経宝塔、石仏、名古曽の滝址があり、国の名勝に指定されている。
 毎年仲秋の夜には、龍の頭とアオサギの首を船首に着けた船による観月の夕べが催されている。
 大沢の池は、日本三大名月観賞地としても知られる景勝地である。
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2008/7/14


車折神社 Kurumazaki-jinja 

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 京都市右京区の民家に囲まれ、木々に守られるように佇む車折神社(くるまざきじんじゃ)。鎌倉時代に後嵯峨天皇が牛車に乗って社に気づかずに前を通りかかった際、車が石に当たり動かなくなり、勢いよく引いたところ車を引く棒、轅(ながえ)が折れ牛が倒れてしまったという。この時、神意に畏敬の念を抱き、車折という名前をつけたといわれている。
 祭神は清原頼業(きよはらよりなり)である。頼業は天武天皇の子孫であり、平安時代後期の有能な漢学者・儒学者として知られていた。文治五(1189)年に亡くなり、現在の地に葬られ廟が建てられたという。頼業の法名に因んで「宝寿院」という寺が営まれ、のちに車折神社と改められたという。
 小さいが歴史のある神社には、頼業が好んだ桜が建立当初より植えられている。そのため、桜の宮とも呼ばれていた。全国でも珍しい芸術・芸能の神様としても篤い信仰を集めている。
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2008/2/7


今熊野観音寺 Imakumano-kannon-ji 

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 西国三十三所観音霊場の第一五番札所の今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都府京都市にある泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で知られる。
 平安時代初期、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が創建したと伝えられている。
 本堂にあるご本尊は、弘法大師が自ら彫刻したと伝えられている十一面観世音菩薩で、弘法大師が東寺で修行中、山中で熊野権現の化身である翁に出会い、その翁より一寸八分の観音像を授り、体内仏として安置したといわれている。
 脇仏は不動明王と毘沙門天で、本尊と共に信仰を集めている。文暦元(1234)年、後堀河上皇をこの寺に葬り、代々の朝廷の崇敬を得ていた。
 応保元(1616)年、後白河法皇の熊野勧請以来繁栄したが、応仁の乱のときに荒廃した。その後、正徳年間(1711~1716)に勧進復興された。後白河法皇の病気治癒の伝説から、中風や頭痛平癒にご利益があるといわれている。
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2007/5/22


武田八幡神社 Takeda -Hachiman-jinja Takeda Hachiman Shrine

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 武田八幡神社は山梨県韮崎市神山町に位置する寺社である。
 弘仁十三(822)年、嵯峨天皇の勅令により宇佐八幡を勧請して、武田八幡宮と称したのが始まりとされる。
 武田家初代、信義はこの地で元服を行い、以降武田家を名乗り当社を氏神として崇拝したことから、甲斐武田家の発祥の地とも言われる。祭神は武田武大神(たけだたけのおおかみ)、誉田別命など四柱。
 本殿は天文十(1541)年に武田信玄により再建された。三間社流造、桧皮葺、各所に意匠が施されたもので、国の重要文化財に指定されている。
 総門から真っ直ぐに続く参道に位置する山間の古社であり、往時の武田家が偲ばれる。
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2007/1/8


雲辺寺 Unpenji Unpenji Temple

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 雲辺寺は、徳島県三好市池田町にある真言宗御室派の寺である。四国霊場66番札所で、ご本尊は千手観世音菩薩。
 雲辺寺山(標高927m)にあり、四国高野とも呼ばれている。境内は約40haの広さで、杉、ひのき、モミ、トガなどの古木に囲まれている。
 弘法大師が16歳の時、深遠な霊山の趣に心うたれて堂宇を建立したのがはじまりで、大同2(807)年、嵯峨天皇の勅を奉じて再び登山し、ご本尊を彫刻して仏舎利と毘盧遮那法印(仏法石)を山中に納め、霊場に定めた。
 その後、学問道場として盛んになったり、七堂伽藍が整備されたり、峰須賀家の祈願所にもなったが衰微し、現在は往時の面影はみられない。寺域はまさに雲上の世界。周囲の山々に霧がかかり、雰囲気も神々しい霊場である。
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薬王寺 Yakuouji Yakuoji Temple

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 医王山薬王寺は、徳島県海部郡日和佐町にある真言宗高野派の寺である。本尊は厄除薬師如来。
 薬王寺は、神亀3(726)年、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受けてこの地に巡錫し、寺を建立した。弘仁6(815)年、平城上皇の勅命によって弘法大師が本尊薬師如来を刻み、開基する。四国霊場23番礼所であり、厄除根本御祈願所として知られている。
 寺号を無量寺院医王山としているのは、無限の生命を伝え、医の王であるという意味。また、寺名を薬王寺というのは、薬の王を表している。
 高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨天皇・淳和天皇は厄除の祈誓を願い、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在し、また後嵯峨天皇は寛元元年伽藍の再建をして仁助親王が落慶の法筵に入ったと伝えられている。
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