NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/11/20


龍宮の潮吹 ryuuguuno-shiohuki 

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 龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)は、山口県長門市油谷津黄にある、日本海の荒波が押し寄せる岩壁に見られる。
 国の天然記念物及び名勝に指定されている。
 崖に開いた縦1m、横20cmの空洞に押し寄せた荒波が、圧縮された空気に押し上げられ、唸りを上げながら上空に噴出する。
 飛び散るしぶきは太陽を反射し、吹き上がる潮は、時には30mもの高さに達する。その姿は、天に昇る龍のように見える事からこの名が付いた。
 潮吹き現象が見られるのは主に北西風が強い冬場の時化(しけ)の日で、凪(なぎ)の時は見られない。
 そばにある元乃隅稲成(もとのすみいなり) 神社は、白狐のお告げにより津和野の太鼓谷稲成神社から分霊した神社で、龍宮の潮吹きに続く参道には鳥居が幾重にも並び潮風を受けている。
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2008/9/12


小幡焼 Obata-yaki 

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 小幡焼(おばたやき)は、上州の小京都、群馬県甘楽郡小幡で作られている焼物である。
 いつごろから始まったのかは定かではないが、江戸時代には粉引きを中心に作陶されていたと見られている。織田信長の次男である織田信雄が築庭し、国の名勝にも指定されている楽山園の近くに登り窯が築かれたことから楽山園焼とも称されている。
 粉引きはもとより、単純な文様のみの壺や茶碗、鉢、湯のみなど素朴な中にも味わいのあるものを作陶している。
 また、桃花紅と呼ばれる、清朝時代に作られたといわれる陶器の再現にも成功したことでも知られている。焼成が難しく、再現は至難とされていたが、その淡い桃色や緑がかった桃色の透き通るような美しい表面は、小幡焼の元で今日に復活を遂げたのである。
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2008/8/26


金山出石寺 Kin-zan-syusseki-ji 

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 愛媛県大洲市と八幡浜市の境にある、標高八一二mの出石山(いずしやま)。その山頂の自然林の霊気に覆われた場所に金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)はある。寺全体が瀬戸内海国立公園に指定された名勝地でもあり、雲海から昇る朝日は参拝者に深い感銘を与えている。
 養老二(718)年、鹿を追って山に入り鹿を射ようとして迷い込んだ猟師作右衛門の前で、岩が二つに割れ千手観音菩薩と地蔵菩薩の像が現れたという。殺生を悔いた作右衛門はその後出家し、道教と名乗り一軒の草堂を建て、この仏像を本尊としたのが始まりと言われている。
 その後弘法大師がここを訪れた際に、寺の名前を金山出石寺と定めたといわれる。真言宗御室派(おむろは)別格本山として、一二〇〇年以上の歴史を伝える名刹である。
 現在、四国八十八カ所霊場番外札所になっている。
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2008/8/22


新居浜市 銚子の滝 Niihama-shi Cyoushi-no-taki 

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 新居浜市南西部、大生院地区を流れる渦井川(うずいがわ)沿いの道を上流に向かい、途中林道を曲がると滝に通じる渓谷道の入口に出る。その滝は滝口が凹型になっていて、銚子の形に似ていることから「銚子の滝」と名づけられたという。
 付近には山吹(やまぶき)が多く自生しているため「山吹谷」と呼ばれる。この渓谷の遊歩道を登り、「銚子橋」と呼ばれる吊橋を渡ると銚子の滝に到着する。
 落差約三〇mの銚子の滝は、年間を通じて豊かな水量を保ち、滝壷にはあふれんばかりの水が貯えられているため、霧状の水しぶきが豪快に上がる。特に夏場は涼しくて爽快な気分を味わえる。初夏には色鮮やかな渓谷となり、ハイキングに最適である。
 昭和五三(1978)年四月六日に新浜市の名勝に指定されている。
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2008/6/12


桂春院 Keisyun-in 

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 京都妙心寺には四〇余りの塔頭があるが、桂春院(けいしゅんいん)はそのひとつに数えられる。
 慶長三(1598)年、織田信忠の次男・津田秀則によって妙心寺に創建された見性院(けんしょういん)。秀則の死後、寛永九(1632)年に秀吉の家臣であった美濃の豪族・石河貞政が、父・光政の菩提所として見性院に方丈、庫裡、書院、茶室などを整備し、名を両親の法名から一文字ずつ取り、桂春院に改めたという。
 桂春院では江戸初期の作庭といわれる四つの庭も拝観できる。それらは「清浄の庭」「思惟(しい)の庭」「真如の庭」「侘の庭」と名付けられ、国の名勝・史跡に指定されている。
 庭園はそれぞれ違った趣をもち、豊かですばらしいものである。
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2008/2/18


浄瑠璃寺 三重塔(国宝) Joururi-ji Sanjuu-no-tou 

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 浄瑠璃寺(じょうるりじ)は京都府と奈良県の県境近く、当尾(とうのお)という山里にひっそりと佇んでいる。小さな山門をくぐると、史跡および特別名勝に指定されている庭園の池をはさんで、本堂と三重塔が向かい合っているのが見える。
 高さ16mと小ぶりな三重塔は国宝に指定されており、池の西側の高台に建っている。浄瑠璃寺創建から130年後の治承二(1178)年、京都一条大宮にあった寺院の塔を解体しこの場所に移築したと、当寺に伝来する「浄瑠璃寺流記事」(じょうるりじるきのこと)に記されている。
 構造上の特色は、初層内部に柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。当時としては画期的な建物だったという。浄瑠璃寺に移築後、初層内部に仏壇を置き、その上に薬師如来坐像(国指定重要文化財)が安置された。壁面には十六羅漢像や飛天が描かれている。
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2007/10/31


退蔵院 Taizouin 

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 京都の庭園の中でも名園といわれているのが退蔵院(たいぞういん)である。
 臨済宗妙心寺派の塔頭の一つで、応永一一(1404)年、越前の豪族であった波多野出雲守重通が妙心寺第三世・無因宗因禅師(ういんそういんぜんじ)に帰依して建立された寺院である。
 この寺には、方丈の西と南に古庭園が二庭ある。方丈西庭は「元信の庭」と呼ばれ、室町時代に築かれた、狩野元信(かのうもとのぶ)が作庭したという枯山水の庭園である。枯山水とは、池泉や流れを用いず、石や砂などにより山水の風景を表現することをいう。方丈南庭は、白砂と青苔、赤松のみの構成で、これらの二つの古庭園は妙心寺山内では最も古いもので、国の史跡名勝に指定されている。
 また垣根を隔てて築かれた庭園は「余香苑」と呼ばれ、門をくぐった所に陰陽を表す枯山水庭がつくられているが、主に回遊式池泉庭となっている。斜面をうまく利用して作庭されており、昭和を代表する名庭の一つとなっている。
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2007/10/23


本法寺 Honpou-ji 

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 本法寺(ほんぽうじ)は、京都府京都市上京区小川通にある日蓮宗一致派大本山の寺院である。本尊は、十界大曼荼羅。
 永享八(1436)年、本阿弥清信が日親上人に請じて創建したのが起源とされる。はじめは四条高倉にあったが、天文五(1536)年、法華の乱によって山徒に焼かれ、現在地に移った。
 江戸時代には後水尾天皇・紀州徳川家の保護を受けて繁栄し、中山法華経寺の輪番にあたる、上方三山の一つでもあった。
 現在の堂宇は江戸時代後期に再建されたものであり、本阿弥光悦作庭の「巴の庭」は国の名勝に指定されている。
 また、本阿弥家の菩提寺であったことでも名高く、一門の墓もあり、本阿弥光悦は多くの書画・什器をよせている。
 本法寺は、今でも篤く崇敬されている寺である。
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