NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/2


南方古墳群 Minamikata-kofun-gun 

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 南方古墳群は宮崎県延岡市にある古墳。水郷の市といわれる延岡市の代表的な川「五カ瀬川」の流域に存在する。国の指定史跡である。
 古墳時代、3世紀から4世紀にかけて作られたものと考えられている。延岡市では県の史跡指定も含め120基ほどの古墳が確認されている。
 古墳には「前方後円墳」「円墳」「方墳」など様々な形が存在する。「南方古墳群24号」では、前方後円墳で「横穴式石室」を有しているのが特徴である。また「37号」では、墳丘はないものの、家形石棺が露出している市内では唯一の古墳である。
 延岡城のそばにある「内藤記念館」では南方古墳群の出土品が展示されている。
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2008/8/14


北野廃寺跡 Kitano-haiji-ato 

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 北野廃寺跡は、愛知県岡崎市北野町郷裏にあり、国の史跡に指定されている。
 わが国に仏教とともに伝来した伽藍建築法の最も初期のものとされる天王寺式の遺構で、境内は土塁が四方を巡り、東西126.5m、南北146mに及び、壮大な寺院であったことが偲ばれる。
 伽藍配置は南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上に並び、出土品の単弁六葉蓮華文軒平瓦(たんべんろくようれんげもんのきひらがわら)などが創建当時のものと推定されている。塔は法隆寺の五重塔に匹敵する大きさであり、釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想の表れだと思われる。
 現在、北野廃寺跡は史跡公園として整備されており、その名残りを礎石に残している。
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2008/6/20


金石城 Kaneishi-jou 

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 金石城(かねいしじょう)は長崎県対馬市に建つ城である。
 享禄年間(1528~1531)この地を治めていた宗将盛(そうまさもり)が清水山の山麓に建てたのが金石城である。建てられた当時は金石館と呼ばれていた。当時、諸大名が争って豪華絢爛な城造りをしていたのとは対照的に、天守閣を持たない質素な城作りであった。
 寛文五(1665)年、二一代当主の宗義真(そうよしざね)により大手櫓門(おおてやぐらもん)などが作られ、城としての風格を持つようになり金石城と呼ばれるようになった。
 文化一〇(1813)年、大手櫓門は火事で焼失したが、幕府から多額の貸与を得て再建された。明治以後も大手櫓門のみが残されていたが、大正時代になると解体されてしまった。
 その後、平成二(1990)年に大手櫓門は、資料に基づき復元されるに至った。現在、当時の威風を残す城壁や庭園の池とともに、かつての金石城を偲ばしてくれている。平成七(1995)年に国史跡に指定されている。
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2008/6/10


須曽蝦夷穴古墳 Susoezoana-kofun 

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 波穏やかな七尾湾に囲まれた石川県能登島。その能登島の高台にあるのが須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)である。
 古墳に附随する前室から出土した土器や直刀片などから、作られたのは七世紀の中頃、古墳時代末期と見られている。
 一辺が20m弱の四角い墳丘を持ち、そこに二基一対の石積みの横穴式石室様の慕室が設けられている。
 石積みの技法に、付近の海岸から運んだと思われる安山岩板石を用いてドーム型の慕室を作る角三角持送(すみさんかくもちおくり)技法が用いられていることや、石室が二つあることなど、当時の朝鮮半島の高句麗式の古墳に通じる点も多く、全国的に見ても珍しい遺構である。
 また、古墳そのものの建造が少なくなったころにしては、比較的規模が大きいこともその特色として知られている。
 昭和五六(1981)年には、国の史跡にも指定されており、古墳のある高台からの七尾南湾の眺望の良さも特色のひとつと言えるだろう。
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2008/5/14


鳥越城 Torigoe-jou 

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 西側に大日川、東側に手取川が流れる、標高三一二mの見晴らしの良い鳥越山。その山頂にある鳥越城(とりこえじょう)は、天文年間(1532~1554)に鈴木出羽守(すずきでわのかみ)が加賀一向一揆の軍事拠点とするために築いたといわれる。
 ここを拠点に、白山山麓に幾つもの砦を築いて織田軍の侵攻に備えたが、天正八(1580)年落城した。その後も一門衆は激しく抵抗したが、二年後に完全降伏したという。
 枡形の本丸虎口には石垣が積まれ、趣のある高麗門と櫓門が再現されている。土塁に囲まれた本丸を中心に南北に曲輪が配置され、南側には二の丸、三の丸がある。本丸と二の丸は防備を固めるために掘られた、深い堀切があり歴史を物語る。
 国の史跡として各所の整備や復元がされており、見応えのある山城である。
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