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緒川城(おがわじょう)は水野貞守が文明年間(1469~1487)に築城したと言われる。以来約130年間、水野氏の居城として栄えた。四代忠政の娘で、徳川家康の生母、後の伝通院、於大の方(おだいのかた)が亨禄元(1528)年に誕生した城としても知られ、城址内に於大の方出生地の碑が立っている。
水野氏の起こりは、全国を放浪していた小川氏の末裔の貞守が、小川村の西南の台地に城を築いたのが始まりである。貞守は尾張東部の水野という地に滞在していた時、姓を「水野」と改めた。そして貞守の子孫の代となった時、いつしか小川の地を「緒川」と改めたようだ。
水野氏は周囲の織田、松平(徳川)、今川の間で波乱の日々を送った。江戸時代には代々譜代大名として各地の藩主となる。天保の改革で知られる老中水野忠邦はこの子孫にあたる。
地元の人からは古城(ふじろ)と呼ばれている緒川城址。現在は公園になっており、北側の土塁の一部が残っている。
水野氏の起こりは、全国を放浪していた小川氏の末裔の貞守が、小川村の西南の台地に城を築いたのが始まりである。貞守は尾張東部の水野という地に滞在していた時、姓を「水野」と改めた。そして貞守の子孫の代となった時、いつしか小川の地を「緒川」と改めたようだ。
水野氏は周囲の織田、松平(徳川)、今川の間で波乱の日々を送った。江戸時代には代々譜代大名として各地の藩主となる。天保の改革で知られる老中水野忠邦はこの子孫にあたる。
地元の人からは古城(ふじろ)と呼ばれている緒川城址。現在は公園になっており、北側の土塁の一部が残っている。
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