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2007/10/17


東門院 守山寺 Toumon-in Moriyama-dera Tomonin Moriyamadera Temple

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 天台宗の開祖・最澄が延暦一三(794)年に開いたと伝えられている。これより六年前に建立された比叡山延暦寺の東門に当たることから東門院(とうもんいん)と呼ばれ、桓武天皇により比叡山を守る寺に名号されたことから守山寺(もりやまでら)とも呼ばれている。所在地名の守山はこれに由来するという。
 江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
 焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
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2007/10/12


犬越路 Inukoe-ji Inukoeji Pass

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 犬越路(いぬこえじ)は、神奈川県足柄上郡山北町と相模原市の間にある標高1050mの峠である。かながわの景勝50選に選ばれている。
 西丹沢の展望が広がる犬越路は、もの静かな峠で、桧洞丸(ひのきぼらまる)と大室山(おおむろやま)に登る登山者の休憩場所でもある。この峠には、登山者の為の避難小屋がある。
 戦国時代には、甲斐の武田信玄の勢力がこの辺りまで及んでいた。武田の軍勢はたびたび小田原北条氏を攻めたが、その時、この間道を使って小田原へ向かった。険しい山道であったため、軍用犬を先頭にして兵を進めたという伝説が地名の起源とされている。
 峠からは、すばらしい富士の展望と、秋には見事な紅葉を拝むことが出来る。
 犬越路は、古くから使用されてきた景観の美しい峠である。
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2007/10/11


白滝 Shira-taki 

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 「秋の白滝、木と木のもみじ、山に綿の幕をはる」と詩人・野口雨情が絶賛した白滝公園は、瀬戸内海に流れ込む肱川(ひじかわ)の河口から、約6km上流に位置する。白滝(しらたき)はこの公園内にある大小7本の滝の総称で、地名にもなっている。
 白滝は、数段に分かれて流れ落ちる落差80m幅2mの雄滝、最も迫力がある落差60m幅3・5mの雌滝、雄滝と雌滝が落ち合う落差25mの落合滝の大滝3本と、合歓の滝、御来光の滝、都の滝、貫洞の滝の小滝4本をいう。白滝には「るり姫伝説」が残されており、長宗我部軍に攻め込まれた「るり姫」が、世継ぎの尊雄丸を抱いて雌滝の滝壺に身を投げたというものである。
 紅葉の時期を中心に多くの観光客が訪れ、最盛期の一一月には「白滝滝まつり」や「るり姫まつり」が催される。
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2007/9/28


東山和紙 Touzan-washi Tozan Washi Paper

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 東山和紙(とうざんわし)は、岩手県一関市東山(ひがしやま)町に伝わる伝統工芸品である。
 起源については諸説があるが、平安末期の文治五(1189)年、鎌倉勢に滅ぼされた奥州平泉藤原氏の落人が、東山町一帯に土着して農耕の傍ら、生活用品として作り始めたといわれている。
 一関市には紙生里(かみあがり)という地区があり、地名から東山和紙発祥地と考えられている。
 地元で栽培したコウゾやミツマタを原料とし、独特な技法を忠実に受け継ぎ、紙質の良い素朴な和紙を漉いており、障子紙や書道用紙だけでなく、名刺や賞状の用紙としても利用されている。
 特色は、コウゾ色をした自然の色と繊細優美、素朴で丈夫な紙質とされる。
 東山和紙は、平泉・藤原文化遺産の一つとして長い間受け継がれてきた、伝統の和紙である。
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2007/9/18


玉乃井 指宿 Tama-no-i Ibusuki 

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 玉乃井(たまのい)は、鹿児島県指宿市(いぶすきし)開聞十町に古くから存在する井戸である。
 神代の昔から日本最古の井戸といわれ、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が兄の釣針をなくして途方に暮れ、樹上にたたずむ姿が井戸水に映っているところを、豊玉姫(とよたまひめ)に見初められたと伝えられる。
 また、後に彦火々出見尊の妃となった豊玉姫は、朝夕この井戸で水を汲んでいたという。
 付近一帯の「玉井」という地名も、この井戸から名付けられたものとされる。
 現在、この井戸は遺跡として残っているが、既に枯れており水は出ない。
 玉乃井は、彦火々出見尊と妃豊玉姫の神話時代のロマンチックな物語が今に伝わる、伝説の古井戸である。
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2007/9/11


青麻神社 Aoso-jinja Aoso Shrine

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 青麻神社(あおそじんじゃ)は、全国の青麻神社の総本社で、太陽・月・星を一緒に祀っており、名水の名所としても知られる。
 仁寿二(852)年に、現社家の遠祖・穂積保昌が京都からこの地に来て、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の日月星の三光神を清水湧く岩窟の中に奉祀したのが始まりとされている。あわせて里人に麻の栽培を教えたといわれ、これが神社や地名の由来となっている。
 この神社は昔から中風病退除のご利益で知られ、また創健者である穂積一族が水運に携わっていたことから海上安全の神として崇められており「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられている。
 現在境内には名水「おすず」が湧き出ており、清らかな水を求めて多くの参詣者が訪れる。
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2007/8/10


八幡浜 八幡神社 Yawata-hama Hachiman-jinja 

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 愛媛県の南西部に位置し、四国一の規模を誇る魚市場をもち、みかんの産地としても知られる八幡浜市。
 八幡浜(やわたはま)という地名は、すでに養老年間(717~724)からあり、旧記に「八幡大神立たせけるにより、八幡浜と名づく」とあるように、地名の由来は八幡大神(やはたのおおかみ)がこの地の浜に立たせられたことによると伝えられている。
 八幡神(はちまんしん、または、やはたのかみ)を祀る神社は八幡神社と呼ばれ、その数は稲荷神社に次いで多く、その数は全国に1万とも2万ともいわれている。その中でも4番目に古い、「おはちまんさま」の名前で親しまれている八幡浜の八幡神社。
 町の中心部、矢野町商店街のアーケードに入る手前に鳥居と急な石段があり、その途中の石の鳥居は延宝年間(1673~1681)に立てられたもので伊予では一番古いとされている。
 社殿はすべて昭和五三年の放火により焼失し、昭和五八年に復興されたものである。
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2007/7/12


静内川 Shizunai-gawa The Shizunai River

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 静内川(しずないがわ)は、北海道日高郡新ひだか町静内を流れる、日高地方の代表的河川である。
 古くはシベチャリ川と呼ばれ、アイヌ語で鮭の産卵場という意味のシペ・イチャンの転訛した地名といわれている。
 日高山脈のペテガリ岳、イドンナップ岳を水源とし、山稜はカール現象の残る山も多く、鋭い切り込みで沢に落ち断崖が発達して瀑布も多い。
 江戸時代より砂金が採取された地として有名で、流域面積は683.4平方km、流路延長69.9kmで、流路の約7割は国有林内の山岳地帯を蛇行している。
 道内の河川で白鳥の越冬数が一番多く、例年オオハクチョウ約200羽が越冬し、国内で確認されるのが数羽という珍鳥アメリカコハクチョウも渡来してくる。
 昭和四〇(1965)年に鳥獣保護区に指定された。
 静内川は、天然の自然を色濃く残す河川である。
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