NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/19


和太鼓集団 GOCOO Wadaiko-syuudan gokuu Japanese Taiko Drum Group “GOCOO”

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 40以上もの和太鼓を自在に操り、大地のビートを奏でる和太鼓集団GOCOO(ゴクウ)。女性7名、男性4名のバチから繰り広げられるその音色は、伝統でもなく、民俗音楽でもなく、ロックでもない。もっとプリミティブでトランシーな、国境も音楽ジャンルも越えたものだ。そしてその中心には、現代のシャーマンとも言うべき淺野香の存在がある。
 トレードマークの長い髪を獅子舞のように振り乱しながら、パワフルにバチを振り下ろす。
 「ライブをやっていると、日常のいろいろが削がれて、魂の中で一番純粋なところ、”愛”と”感謝”だけになる瞬間がある。結局これが”祭り”なんだろうな、と思います。新しいものを表現していると言われるけれど、一番新しいものは一番古いものにつながるんじゃないでしょうか。」
 97年結成。そのトランシーな演奏は海外での評価も高く、ヨーロッパツアーをはじめ海外ライブは100本以上。映画『マトリックス』の音楽も手がけ、今年5月の国連環境会議ではアジア代表としてオープニングを飾っている。
 
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2008/6/16


甑大明神橋 Koshiki-daimyoujin-bashi 

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 「甑大明神橋(こしきだいみょうじんばし)」は鹿児島県薩摩川内市甑島列島の上甑島と中甑島をつなぐ橋の一つで「ヘタノ串海峡」をまたいでいる。全長420メートル、幅員8メートルの斜張橋で平成五(1993)年三月に完成した。
 上甑島側の架橋地点のヘタの串には、甑島列島特有の甑(せいろ)の形に似た奇岩がそびえ、岩山を御神体にした甑大明神が祀られている。神殿はない。この岩が「甑島」という地名のもとになったと伝えられている。
 上甑島と中甑島の間に中島があり、甑大明神橋の先にはもう一つ、アーチ橋である「鹿の子大橋」がある。中甑島と中島に架かる全長240メートルの橋で、欄干のところどころにはメジロや鹿の子百合の絵が描かれている。
 甑大明神橋と合わせて、それまでは海を隔てて点在していた上甑村がひとつになり、便利になった。
 甑島列島には鹿の子百合が群生しており、7月から8月にかけて、島のあちこちに紅色の花が鮮やかに咲く姿がみられる。
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2008/5/15


空手 Karate 

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 空手(からて)は、琉球王国時代の沖縄をその発祥とする、拳と足による打撃技を主体とした武道である。
 その起源に関しては諸説あり、どれも定かではないが、大正時代に本土に伝えられ、「空手」の名称で呼ばれるようになったのは昭和四(1929)年からである。
 各種の技を決まった順序で一人で演武する「型」と、二人で相対しておこなう練習形式である「組手」を基本構成とし、古くからこの二つを繰り返し練習することが基本となっている。
 この繰り返しが、空手における基本的な技や姿勢、実践的な身体動作を自然と身につけていくことにつながるのである。
 勝敗を目的とした組手を「組手試合」といい、現在では寸止めルールを採用する伝統派空手と、直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手に大別される。
 国内はもとより海外にも広く普及し、流派も多数が存在しており、柔道と並び世界各国で親しまれている日本発の武道である。
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2008/5/14


長節湖 Cyouboshi-ko Lake Choboshi

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 長節湖(ちょうぼしこ)は、北海道豊頃町の大津漁港のすぐ近くにある、淡水と海水が混ざり合う鹹水(かんすい)湖である。
 周囲は約5kmほどで、すぐ側の太平洋とは幅の狭い砂丘で隔てられている。
 湖の名はアイヌ語で「自ら川尻がはじけるところ」という意味の「チ・オ・プシ・イ」に由来するといわれ、これは湖の水位が高くなると自然に湖尻が破れ、太平洋とつながることによるものであるという。
 湖周辺は針葉樹と広葉樹に囲まれた緑豊かな場所であり、湖も含め、野付風蓮道立自然公園の一部となっている。また、湖と太平洋を隔てる砂丘一帯の植物群は、昭和三八(1963)年に北海道の天然記念物に指定され、春から初秋にかけてハマナスやエゾカンゾウ、ムシャリンドウなどの花々が咲き誇る。
 湖畔には両国三十三観音霊場を含む四五体の観音像が安置された遊歩道やキャンプ場も整備されており、冬はワカサギ釣りや氷上ヨットなど、一年を通して楽しめる湖となっている。
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2008/4/8


手作り箸袋 Tezukuri-hashibukuro 

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 世界環境保護が叫ばれる中、国内の大切な森林を守り、世界の森林資源を守ることは重要な課題になっている。伐採と植林のバランスがうまく取れれば、使い続けることができる資源であるが、現在は減少しているという。
 日本には割り箸文化という言葉があるほど、日本人と割り箸の関係は深い。割り箸といえば原材料は木材である。最近では、森林資源を守ることにつながるとして、普段から箸を持ち歩き、出先などでは割り箸を貰わないようにしようという人が増えているという。
 そこで、気になるのが箸の携帯方法。この手作りの箸袋は、三角形の布で箸をくるくると巻いて付属の紐で括るようになっていてとてもコンパクト。さらに箸が安定し落ちにくく、持ち運びにはちょうど良い。バッグや上着の内ポケットにも入るスマートなエコ雑貨である。
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2008/3/7


乾坤院 Kenkon-in 

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 乾坤院(けんこんいん)は、水野家の菩提寺として知られ、室町時代中期の文明七(1475)年に緒川城の守護を目的に初代城主・水野貞守(みずのさだもり)を開基として作られた。
 創建時、緒川城から見て、ここが坤(南西)の方角の中間に位置したためその名が付いたとされている。また、乾坤が壮大な宇宙を意味することから、山号を「宇宙山」とした由来があるようだ。
 水野貞守は、延文五(1360)年に小河の地で守護土岐氏に攻められて滅亡した小河氏の末裔。のちに四代・水野忠政の娘於大(おだい)は岡崎の松平広忠との婚儀が整ったが、これは水野氏とつながることで松平氏は身の安全を図る、いわゆる政略結婚であった。その後、於大は後の徳川家康となる竹千代を出産する。水野忠政が徳川家康の外祖父となって以来、乾坤院は権勢を誇り、経済的基盤が確立していった。
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2008/2/27


数寄屋造り(すきやづくり) Sukiyazukuri 

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 数寄屋造り(すきやづくり)は、日本における建築様式の一つであり、数寄屋と呼ばれる茶室建築の意匠を取り入れた建築様式のことである。
 そうした茶室は安土桃山時代頃から見受けられ、これは格式を重んじた「書院造」も確立されだしたころと同時期でもある。
 茶人を初めとした風流を愛する「数寄者」達は、格式ばった意匠や重厚で豪華な装飾を施す書院造を嫌い、シンプルで軽妙な数寄屋を好んだのである。
 茶人として名高い千利休によって完成されたといわれ、書院建築に見られる格式や様式を極力排し、シンプルかつ洗練された意匠になっていることが特徴であり、床の間の上にあり、柱を水平方向につなぐ長押(なげし)を排したり、それに合わせて床の間も小規模なものになっている。
 また、内部空間に落ち着きと静かさをもたらすことを狙って、庇(ひさし)が長めに造られいるのも特徴だ。
 数寄者の先人達は、庇から垂れ込める影にも風流を見出していたのかもしれない。
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2008/2/7


御簾 Misu 

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 御簾(みす)とは部屋と部屋の間の柱と柱を水平につなぐ長押(なげし)に掛けて、仕切りや目隠しをする用具のことである。
 古代から用いられ、はじめは神域や神聖な場所との境のために使用されていたが、その後、貴族や身分の高い人の住居の仕切りや装飾用として広まっていった。
 御簾は真竹や女竹を細長く削り、色染めした後、赤糸でまとめ、帽額(もこう)と呼ばれる果紋(かのもん)を織り込んだ美しい布で縁を囲んだものである。巻き上げて束ねて留めておくことができるように、裏に鉤(こ)と呼ばれる鉤爪が付けられている。鉤は総角(あげまき)結びの飾り紐で固定するようになっている。
 竹の編む時は絹糸を使い、葵を形取って竹を編み上げる葵あみ、六角模様を形取って編み上げる亀甲あみや、二本一組のラインで竹を編み上げる八重あみなどがある。
 『源氏物語』では、登場人物の心の機微を表現するアイテムとしてよく登場する。
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