NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/8


柿渋和紙バッグ Kakishibu-washi-baggu 

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 柿渋(かきしぶ)は、柿の実がまだ未熟なうちに収穫し、粉砕、圧搾して得た汁液を発酵させた、赤褐色の半透明の液である。柿タンニンやシブオールを多く含み、発酵によって生じた独特の臭気持つ。防かびや防虫効果があり、古くから建築用の塗料、また布の染料としても伝統的に使われてきた。木材に塗ると、時が経つにつれて赤みを帯びた色合いに変化する、日本古来の天然素材である。
 布や紙の補強剤としても利用され、柿渋和紙という味わい深い和紙も作られるようになった。和紙を柿渋の液で染めると、表面に細かな皺が入り、天日に干してプレスなどするとほんのりとした艶が出る。紙製でありながらしっかりとしたコシを持つため、その用途は様々である。
 柿渋和紙に、草木染で染め上げたコットンスラブをカジュアルに合せた、この新感覚のバッグは、独特の素材感や模様が人気があり、使い込むほど味が出る。日本の生活の知恵が今の感覚の上に蘇る一品である。
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2008/2/6


落柿舎 Rakushi-sha 

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 落柿舎(らくししゃ)は、京都嵯峨野の豊かな緑の中に佇む一軒の草庵である。
 江戸期の俳人であり、松尾芭蕉門下の「蕉門十哲」の一人でもあった向井去来(むかいきょらい)が閉居としていた庵で、貞享三(1686)年に造営された。
 落柿舎の名の由来は、庭に実った柿を売る契約を交わし、代金ももらったその翌日、台風で全て落ちてしまった出来事にあるという。
 元禄四(1691)年には芭蕉がこの庵に滞在、「嵯峨日記」を記したともいわれている。
 去来の没後は庵は荒廃し、元の場所も分からなくなっていたが、明和七(1770)年、京都の俳人であった井上重厚が、現在の地に再建した。
 嵯峨野に広がる山と、のどかな田園風景に溶け込むわら葺きの建物は、いつか見たような懐かしい風情を漂わせている。
 去来在宅を訪れる人に知らせていたといわれる蓑と笠が、今も土間の壁に掛けられている。
 庵に赴けば、入り口から見える蓑と笠。どうやら主人は在宅のようである。
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2007/2/19


十五夜 jyuugo-ya Jugoya, The 15th Night

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 旧暦の8月15日を指す、団子、芋、すすきなどを供えて月見をする行事。中秋の名月。
 中国の中秋節が起源といわれる。日本には平安時代に渡り、宮中での行事となり「観月宴」や「月の宴」と呼ばれ月を眺めて詩を作り雅楽を奏でて楽しんだと言われる。
 民間では「芋名月」とも言われ、秋の収穫物であるだんご、里芋、栗、柿などを供えて豊作を感謝した。
 一ヵ月後の旧暦9月13日は「十三夜」であり、豆や大豆を供えることから「豆名月」とも言われ、十五夜と十三夜両方の月見をしないことを「片月見」として縁起の悪いものとされた。
 地方によってはこの日に、お供え物や畑のものをとってもよいと言う祭があり、秋祭り、収穫祭として広く親しまれている。
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2007/1/6


広瀬絣 Hirose-gasuri The Hirose-gasuri

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 島根県安来市の城下町広瀬に伝承される染めと手織り。
 広瀬絣の始まりは、文政7年に町医長岡謙祥の妻女であった長岡貞子が米子町から絣の染織を伝授され帰郷し、町内の女性たちに伝えたのが、始まりとされている。
 その後、たちまち絣のよさは広まり、幕末から明治にかけ、久留米絣と名声を競うほどになった。
 絣ができる以前、衣服は一般には麻が一般的で、絣り文様と肌ざわりは広瀬の人たちに、絣の技術を受け入れる充分な魅力を持っていた。
 特徴は、和紙に柿渋を塗り、文様を縦長に拡大して切り抜く独特の紙型を使う。大柄の絵文様を得意とし、図柄がくっきりと浮かび上がる様に織る。ふるさと伝統工芸品に指定されている。
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