NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/19


額スカシ 鉄仙 白 Gakusukashi Tessen Shiro 

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 日本で生まれた扇子の歴史は古く、平安時代初期まで遡る。その形状は次第に変化し、雅やかな身の回り品として宮中女子に間に広がっていったという。
 鎌倉時代には中国へ渡り、逆輸入された扇子だが、平安時代より扇のほとんどは京都で生産されてきた。現在でも京扇子は職人による手仕事で造り上げられている。
 京扇子の模様のひとつに、「額スカシ」というものがある。全体に透かしをほどこし、白い鉄仙が浮かび上がる模様はとても清涼感がある。
 額スカシはとても手の込んだ作品で、薄く漉いた和紙を手彫りし、絹の紗を貼り合わせ、さらに手描きで彩色するのだという。
 伝統美と品格ある京扇子に、職人の熟練の技が光る。
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2007/11/29


日州透かし象嵌 Nissyu-sukashi-zougan Nisshu-Sukashi Zogan

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 日州透かし象嵌(にっしゅうすかしぞうがん)は、寛永九(1632)年、熊本藩藩主、細川忠利に召抱えられた林又七が、鉄砲や刀の鐔(つば)に象嵌を施した「肥後象嵌」の流れをくむ。
 鐔とは刀剣の柄と刀身との境に挟んで、柄を握る手を防御するものであり、象嵌とは地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこむ技法のことである。
 造りは鍛錬された鉄地に0.3ミリほどの細かい透かし彫りをし、埋め込んだ金が取れないように緻密な彫込をほどこす。人間の手作業としては限界に近い作業である。出来上がった象嵌は華麗な文様と無類の美しさで見る人を魅了する。
 現代でも日州透かし象嵌はこの地方で製作されているが、その作業の困難さから年に数枚しか作ることが出来ない貴重な工芸品である。
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2007/11/22


平打簪 Hirauchi-kanzashi 

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 平打簪(ひらうちかんざし)は、平たい円状の飾りに、1本または2本の足がついた簪である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 平打簪は形が薄く平たい形状で、円形・亀甲形・菱形・花型などの枠の中に、透かし彫りや、毛彫りで定紋・花文などをあらわしたものとされる。
 武家の女性がよく身につけた銀製、或いは他の金属に銀で鍍金したものは特に銀平(ぎんひら)とも呼ばれる。
 定紋は、大奥・武家などの婦人が用いたものであるが、江戸後期の芸者の間には自分の紋ではなく、貞節を誓う想い人の家紋を入れるのが流行したという。
 平打簪は、木やべっ甲、プラスティックなど、様々な素材で製作されている伝統の髪飾りである。
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2007/4/12


浄土寺 多宝塔 Jodo-ji tahou-tou Tahoto Pagoda at Jodoji Temple

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 鎌倉時代末期,嘉暦三(1328)年建立。大日如来及び脇侍(尾道市重要文化財)を安置し内部には彩色が施され、壁面には真言宗の名僧を描いた真言八祖像がある。
 多宝塔としては規模が大きい上に全体の釣合いがよく、高野山金剛三昧院や石山寺の多塔宝と並ぶすぐれた塔である。とくに亀腹が大きく下重の木鼻や蛙股、上重の絵様化した手先肘木や尾垂木など、細部意匠にも特色がある。
 牡丹・唐草に蝶の透かし彫りをした蟇股(かえるまた)など、華麗な装飾に富みその整った容姿および手法により鎌倉時代末期の代表的な建築とされる。
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2007/3/5


三川内焼 Mikawachi-yaki 

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 16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加していた、土地の支配者が、朝鮮から連れ帰った陶工に窯を焼かせたのが起こり。明治維新まで平戸藩の御用窯として栄え、平戸藩が窯の経営を行っていた時代、天草地方で陶石が発見され、技術・技法が飛躍的に発展した。その伝統は今も受け継がれ現在14の窯元がある。
 唐子絵は唐の子どもたち(唐子=からこ)が松の木の下で牡丹に飛ぶ蝶と戯れている様子が描かれている。当時は、描かれた唐子の人数により用途が異なっていた。7人唐子は将軍家や朝廷への献上品の献上唐子とよばれ、5人唐子は藩用、3人唐子は一般大衆用とされた。
 透かし彫りは彫刻で、金属・木・石などの薄板を打ち抜いて模様をあらわす技法。また、その彫刻したもの。 
 欄間の彫刻、刀剣の鍔(つば)などに見られ、色々な焼き物などで使われる技法として有名である。
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2007/1/31


奈良団扇 Nara-uchiwa Nara Uchiwa (round fan)

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 夏の風物詩、団扇。浴衣の季節には、色とりどりの団扇が華やぐ。
 奈良には、千二百年の伝統を受け継ぐ「奈良団扇」という伝統工芸がある。奈良県指定の伝統的工芸品にも指定されている。 
 奈良団扇は、伊予紙、土佐紙を色引きし、奈良風物、正倉院文様を突き彫りした透かし模様を竹骨に貼り合わせ、仕上げるもの。赤、青、黄などの鮮やかな色紙に文様が映え、涼やかな美しさを誇る。
 奈良時代に始まるとされる奈良団扇の伝統を受け継ぐ店は、今では「池田含香堂(いけだがんこうどう)」のみとなった。代々受け継いできた天平の模様をほとんど変えず、扇の色もずっと黄・白・青・赤・茶の5色。「20年ぶりに来たお客さんが『同じものがある』と喜んでくれるのが嬉しい」と店の女将は笑う。池田含香堂では、百二十年の間に作った型紙をずっと保存してあり、いつでも作れるようにしているという。
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2007/1/30


彫金 Choukin Mitsuo Masuda's Chokin Metalwork

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 彫金とは、ノミなどを用いて、金工品の素地を彫ったり打ち出したりして装飾する技法をいう。
 古くは古墳時代を起源とし、初期に毛彫りや透かし彫りが用いられ、装身具などに精巧な技術を発揮したという。室町時代以降には、装剣金工の隆盛とともにさらに高度に発達。明治初期の廃刀令により、彫金技術は装身具等の制作技術として活路を開き、今日に伝えられている。
 彫金の重要無形文化財保持者(人間国宝)に増田三男氏(1909年〜)がいる。現東京芸術大学金工科彫金部を卒業後、富本健吉氏に弟子入りし、数々の作品を世に出してきた。氏の作品は、自然からヒントを得た模様を彫りこんだ、季節感に富んだ点に特徴がある。特に、めっきを施した作品が高い評価を得ているという。大胆にして繊細な氏の作品には、七〇年あまりもの間第一線で活躍してきた匠としての美意識が息づいている。
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2007/1/29


大坂弘道(人間国宝) Oosaka Hiromichi Hiromichi Osaka (Living National Treasure)

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 昭和十二(1937)年、鳥取県倉吉市に生まれる。平成九(1997)年に「木工芸」で重要無形文化財(人間国宝)に認定された。
 東京学芸大学美術科を卒業後、東京の公立学校教諭のかたわら、人間国宝・氷見晃堂氏らに師事。唐木指物などの木工技法を学ぶ。技法に研鑽を積み、やがて日本伝統工芸展で受賞を重ねるまでになった。
 宮内庁から正倉院宝物摸造を委嘱されたのが昭和55年。氏が四十三歳のときである。これを機に学校を退職し、本格的に復元制作に専念。昭和61年に「紫檀(したん)木画箱」の復元摸造を完成させ、正倉院に納めた。
 正倉院の研究成果を応用した木画、透かし彫りなどにさえた技を発揮し、黒柿(こくし)や紫檀(したん)などの素材の特色を活かした多彩な作域が高い評価を得ている。
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