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2008/4/4


箟岳白山祭 Nonodake-hakusan-sai Nonodake Hakusan Festival

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 宮城県遠田郡涌谷町に、古くから信仰の山として広く知られている箟岳山(ののだけさん)がある。この山頂にある箟峯寺(こんぽうじ)で、箟岳白山祭(ののだけはくさんさい)が開催される。
 箟岳白山祭は一〇〇〇年以上の歴史を持っている古式ゆかしい祭り。正月を中心に約一ヶ月間行なわれるのだが、一番の注目行事は一月第四日曜に開催される御弓神事(おゆみしんじ)だ。
 当日は五穀豊穣を願う祈祷が行なわれ、白山様に白米を臼で挽いた「おしとぎあげ」が奉納される。その後小さな三角の烏帽子に鮮やかな直垂(ひたたれ)をまとった二人の稚児が住職に手伝ってもらいながら、一年、一二ヶ月を意味する一二本の矢を射る。
 的中すると好天に恵まれ、はずれてしまうと強風、という具合に、その年の天候や農作物の豊穣の吉凶を占う。 
 可愛らしい稚児の御弓天気占いは当たると好評だ。

 
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2008/3/6


やんさんま Yansanma 

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 やんさんまは、富山県射水市加茂(いみずしかも)にある下村加茂神社(しもむらかもじんじゃ)にて、毎年五月四日に行われている神事である。県無形民俗文化財に指定されている。
 下村加茂神社は、京都・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の荘園・倉垣荘の荘家跡に勧請された神社である。
 やんさんまの語源は流鏑馬(やぶさめ)から来ているとされ、下村加茂神社の春の大祭として、地元では昔からこの呼び名で親しまれている。
 祭りでは、走馬(そうめ)から始まり、神幸式、牛乗式、獅子舞、流鏑馬などが行われる。
 牛乗式は、田の神となった武者が牛に乗り、その牛を若衆が地面に押し伏せるという珍しいもので、祭礼の最後は、走る馬上から矢を射る流鏑馬神事が行われる。
 やんさんまは、参道を駆け抜ける様も勇壮な、流鏑馬祭りである。
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2007/12/14


大汝牟遅神社 流鏑馬 oomunachi-jinja Yabusame 

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 鹿児島県日置市の吹上町に、天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)がしばらく宮居されたという伝説があり、大和の国の三輪神社の御祭神である大汝牟遅神(おおなむちのみこと)を迎えて祀ったのが大汝牟遅神社である。この神社で一一月二三日に奉納されるようになったのが、流鏑馬である。
 日新公と呼ばれる伊作島津家一〇代・忠良が加世田城攻略の時、これが叶えられたら毎年の流鏑馬の奉納をすると約束祈願し、天文七(1538)年、城攻めに勝利した。
 吹上町の流鏑馬は、宮内地区の大汝牟遅神社横にある馬場参道で、二名の射手によって交互に三回ずつ的を射る方法でおこなわれる。
 射手は宮下家・宮内家の両家の世襲制である。近年は流鏑馬保存会が結成され、地域の人々によって受け継がれている。
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2007/11/29


四半的矢 Shihanmato-ya 

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 四半的(しはんまと)、正式には四半的弓道という。宮崎県日南市にあった飫肥藩(おびはん)に伝わっていた武道弓技である。四〇〇年の歴史を持つ。
 特徴としては標的の直径が4寸5分(約13.6センチ)、弓矢の長さが4尺5寸(約1.36メートル)、標的までの距離が4間半(約8.2メートル)と、4と5の数字を基準としたルールになっており、正座姿勢の状態で弓を射る。
 現在では弓技スポーツとして鹿児島県や熊本県にも広がり、競技大会も数多く開催される。
 競技内容は4間半の距離で的を射て当たりを競い合うというもの。矢を10射して3回、合計30射の当たり本数で勝敗が決められる、団体戦、個人戦がある。
 競技に使用される矢は高山に自生するクマザサを長期間乾燥させた後、火であぶり、微妙な色合いを出したものがつかわれる。竹の素朴さを生かした優れた工芸品でもある。
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2007/10/1


天恩寺 Tenon-ji Tenonji Temple

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 愛知県額田郡額田町大字片寄字山下にある臨済宗妙心寺派の寺。
 戦勝祈願がかない、この地に寺を建立する願を生前になし得なかった足利尊氏の意をくんだ三代将軍足利義満が、貞治元(1362)年見性悟心禅師(けんしょうごしんぜんじ)に命じて天恩寺(てんおんじ)を建立した。
 城門のような豪壮さのある山門「薬医門」をくぐり境内に入ると、禅宗独特の放生池があり、橋を渡ると仏殿が見えてくる。仏殿は反りのはげしい唐模様の建築であり、国の重要文化財である。
 天恩寺には大杉があり、家康公見返りの大杉といわれている。そのいわれは、戦勝祈願に寺を訪れた家康が、このあたりで突然延命地蔵菩薩から「家康、家康」と呼び止められ、振り返ると大杉の後ろから刺客が矢を射る寸前であった、という伝説に基づくものである。幸いにも難を避けられた家康は、大杉を幾度も幾度も振り返り、戦場へ向かっていったと言われている。
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2007/8/1


小斎 奉射祭 Kosai Yabusame 

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 小斎の奉射祭(こさいのやぶさめ)とは、宮城県伊具郡丸森町小斎にある小斎鹿島神社(こさいかしまじんじゃ)にて旧正月1月15日に行われる神事である。
 寛永二〇(1643)年、小斎佐藤家四代領主・清信が奉射祭を行ったのが始まりとされる。
 小斎鹿島神社のやぶさめは、馬に乗って矢を放つ流鏑馬(やぶさめ)とは違い、立ったまま射るやぶさめであり、一年の天候を占い、五穀豊穣・地区の安全を祈願し、武術の練磨及び精神鍛錬の目的もある祭りとされる。
 前日の水垢離、祭礼当日の再度の水垢離の後、目隠しをした神官が矢を射て今年の天候を占う御神的神事が行われ、10人の射手による大的射礼、かりがねの的射礼と続く。
 小斎の奉射祭は、古より続く厳かな神事である。
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吉岡八幡神社 やぶさめ Yoshioka-hachiman-jinja Yabusame 

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 吉岡八幡神社(よしおかはちまんじんじゃ)は、宮城県大和町吉岡町裏にある神社である。祭神は応神天皇。
 やぶさめは、神社の秋季大祭にて行われる行事である。
 元和四(1618)年、仙台藩祖伊達政宗の三男・宗清により下草から吉岡へ移され、新造されたのが吉岡八幡神社の創祠とされる。
 寛永一一(1634)年、玄米15石ならびに諸神具を奉納し、祭例にはやぶさめを行っていたものが、現在まで伝えられている。
 祭礼には、五穀豊穣を祈願し、御神輿や子供神輿などの行列が町内を巡行した後、当たり矢によって翌年の吉凶を占うやぶさめが奉納される。
 白衣・袴を着、たすきをかけた姿の氏子が約60mの区間を疾走する馬上から、的をめがけて鏑矢を射る姿は迫力がある。
 吉岡八幡神社のやぶさめは、多くの人が訪れる勇壮な神事である。
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2007/7/24


那須野巻狩まつり Nasuno-makigari-matsuri Nasuno Makigari Hunt Festival

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 那須野巻狩(なすのまきがり)まつりは、鎌倉幕府を開いた源頼朝にちなむお祭り。1995年から始まった栃木県那須塩原市の恒例行事だ。
 源頼朝は、鎌倉幕府を開いた翌年の建久四(1193)年、その勢力を天下に知らしめるために、那須野ヶ原一帯で大規模な「巻狩」を行った。巻狩とは、たくさんの勢子が一斉に獲物を追い込み、武将達が獲物を射るというスタイルの狩のこと。
 那須塩原市では、毎年10月に2日間に渡り、この巻狩の故事にちなんだ那須野巻狩まつりを開催する。
 大小20もの太鼓が鳴り響く「黒磯巻狩太鼓」や巨大な大将鍋で約2500人もの観客に振舞う「巻狩鍋」など、約800年前の巻狩の雰囲気を再現する。武将やそれを見送るお姫様、大勢の勢子に扮した演者たちが鎧など当時の装いに扮して演ずる姿は、大変勇壮で臨場感たっぷりだ。
 那須野巻狩まつりは、鎌倉時代の豪快な演目と味を堪能できる、活気あふれる祭りである。
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