NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/26


轟九十九滝 Todoroki-kujuuku-taki 

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 轟九十九滝(とどろきくじゅうくたき)は、徳島県海部郡海陽町平井の轟神社の周囲に点在する滝の総称である。日本の滝百選のひとつに選ばれている。
 海部川の支流で王餘魚谷川(かれいたにがわ)水域にある大小様々な滝群で、落差58m、幅5mの轟の滝・本滝が代表とされる。
 他に、落差15m弱の分岐瀑である二重の滝、落差約15mの男性的な横見の滝、落差約15mの丸渕滝、木材ながしの兄弟伝説が残る大烏小烏滝、春には山桜が咲き乱れる三十三才滝、落差15m弱ながら迫力ある鍋割りの滝、落差15mの船形滝、落差18mの鳥返の滝などが存在している。
 本滝は落差を測ってはいけないという伝説があり、それが一層神秘性を感じさせる。また、本滝上流では8つの滝を巡る「轟九十九滝めぐり」が整備されている。
 轟九十九滝は、轟々と水音とどろく雄大な瀑布群である。
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2008/7/25


徳島 大麻比古神社 Tokushima Ooasahiko-jinja 

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 大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は徳島県鳴門市の大麻山(おおあさやま)の山麓に鎮座する神社である。古来より阿波の国でも格式の高い一宮として栄えてきた。
 神社の起源は阿波の国を治めていた天富命(あめのとみのみこと)が先祖の天太玉命(あめのふとだまのみこと)、大麻比古神を守護神として祀ったのがはじまりと伝えられている。天太玉命は第一代神武天皇の時代(紀元前585年ごろ)、阿波国で麻の播殖と開拓に努めた。
 神社周辺は県指定自然公園に指定されており美しい樹木に包まれている。参道の長さは1キロにも及び、境内には樹齢1000年を超える楠の御神木がそびえている。本殿は重厚な雰囲気を漂わせて、この社が由緒ある神社であることを物語っている。
 毎年正月の初詣には三が日で20万人以上の人々が参拝に訪れる地元でも有名な神社である。
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2008/7/24


徳島 箸蔵寺 Tokushima Hashikura-ji 

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 箸蔵寺(はしくらじ)は徳島県三好市にある標高600メートル箸蔵山の山頂に建つお寺である。
 寺の建立は天長五(828)年、四国行脚中の弘法大師がこの山で金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)とお出会いになり、済世利民(さいせいりみん)世の中の人々を救いなさいというご神託のもとに造られたと伝えられている。そのため別名金毘羅奥の院とも呼ばれている。お寺は山頂にあるためロープウェイが通っている。
 寺は建立から1000年以上も経過し、本堂には弘法大師自ら彫られた御神像が本尊として祀られている。平成一六年には本殿、護摩殿、本坊、薬師堂、鐘楼、天神社が国の重要文化財に指定され、同年、観音堂が県指定の重要文化財に指定されている。
 箸蔵寺は今や寺院としてだけではなく、国の文化遺産としても貴重な存在となっている。また、四国別格霊場札所として訪れる人も多い。
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2008/6/26


徳島城 Tokushima-jou 

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 徳島城は徳島市にかつてあった城であり、あの阿波踊りの誕生のきっかけになった城である。
 天正一四(1586)年、豊臣秀吉の四国平定で功績のあった蜂須賀家政が小早川隆景や長宗我部元親らの援助により一年半で築城した城である。家政は築城に従事した大工や城下町の人々に酒を振舞い、武士の同席を禁じたので、人々は歓喜し遠慮なく二日間踊りあかしたという、これが、阿波踊りの始まりと言われている。
 蜂須賀家は明治の廃藩置県までこの地を治めていた。明治に入ると城は解体され、鷲の門だけは残されたが、太平洋戦争の空襲でそれも焼失してしまった。
 現在、徳島城跡は徳島中央公園となり、博物館が建っている。博物館の中には徳島城の模型が展示されている。また、平成元年には徳島市制百周年を記念して鷲の門も復元された。
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日和佐城(渭津城) Hiwasa-jou(Inotsu-jou) 

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 日和佐城(ひわさじょう)、別名、渭津城(いのつじょう)は徳島県の日和佐湾に突き出ている半島の先端の標高65メートルの丘に設けられた城である。
 築城は天正時代の初め頃、この地の豪族、日和佐肥前守が阿波制覇をもくろむ土佐の長宗我部勢に対する防御のために築かれたとされている。東方は絶壁となり、北方の山麓は日和佐川が流れ、西方は入江に接し、三方を海川の水面に囲まれた要害の地としては最適のものであった。しかし、城に関しての文献はほとんどなく、地形を匠に利用した城という以外は、その規模も形状もあまり判明していない。また、過去には石垣の跡が点在していたというが、現在は見当たらない。
 現在、城跡には観光のために作られた三層から成る白亜の模擬天守閣が設けられており、頂上からは日和佐湾を一望できる。そのため、訪れる観光客も多い。
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2008/6/25


川島城(蜂須賀城) Kawashima-jou(Hachisuga-jou) 

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 川島城(かわしまじょう)は徳島県吉野川市を流れる吉野川に突き出た岩の鼻と呼ばれる絶壁に築かれた城である。要害堅固な城として有名であった。
 室町末期、領主の細川氏を凌ぐ勢いであった三好氏の家臣、川島兵衛之進が築いたために川島城と名づけられた。
 天正一三(1585)年、豊臣秀吉に阿波の国を与えられた蜂須賀家政は、阿波の国の防御として家老の林能勝を城主とし、警護に当たらせた。そのため蜂須賀城とも言われている。その後、江戸時代になり元和元(1615)年には、一国一城令が定められ、川島城は廃城となった。
 現在、川島城跡には川島万葉植物園が建てられている。また、本丸跡である岩の鼻には展望台が設けられ、二の丸跡には川島神社が建立されている。その東側には観光用に三層から成る模擬天守閣がそびえている。
 岩の鼻の展望台から吉野川を眺めると、その断崖の高さに驚かされ、この城がいかに堅固な城であったかを教えてくれる。
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2008/6/23


剣山 Tsurugi-san 

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 剣山(つるぎさん)は、徳島県三好市~美馬市~那賀郡那賀町にまたがる標高1955mの山である。西日本第二の高峰であり、日本百名山のひとつとされている。
 信仰の山として開かれた霊峰であり、祖谷秘境の奥地、徳島の山々の最奥に位置しながら、早くから道路開発された。
 一帯は剣山国定公園に指定されており、山頂付近の剣山御神水は環境庁選定名水百選のひとつに選ばれている。
 山名は、頂上にある宝蔵石の下に安徳天皇の御剣を埋め、これをご神体とした説と、頂上下にある高さ35mの巨石が剣の形をしているからという2説がある。
 山頂は名に似合わず広く、世界的にも稀産種として知られるキレンゲショウマの群生をはじめ多くの高山植物が見られ、さながら山上の楽園を思わせる。
 剣山は、古くから知られた、自然に恵まれた山である。
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2008/6/18


弁天山 Benten-yama 

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 徳島県徳島市にある「弁天山(べんてんやま)」は、国土地理院に認定されている、日本で一番低い自然の山である。標高は六・一メートルで、住宅の二階建てくらいの高さになる。
 山頂に小さなほこらがあり、厳島神社の弁財天が分祀されている。昔、この辺りは海であったといわれ、平家隆盛の時代から、海の守り神である厳島神社の祭神・市杵島姫神(いつきしまひめのみこと)を祀り、地元の人々に親しまれてきた。
 毎年、標高にちなんで六月一日に地元保存会による山開きがおこなわれている。
 弁天山は一番低い山なので「これより下はない。」との縁起担ぎから「出世弁財天」とも呼ばれている。また、住所が「方上町弁財天八番地の一」であることから、「方上町の弁天様は末広がりの一番」といわれ、縁起の良い頂上にある神様として知られている。
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