NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/25


三陸リアス式海岸 Sanriku-riasushiki-kaigan  Saw-tooth Sanriku Coastline

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 三陸リアス式海岸(さんりくりあすしきかいがん)とは、青森県南東部~岩手県沿岸部~宮城県の牡鹿半島までの、総延長600kmのリアス式海岸の事である。
 三陸とは青森県の陸奥、岩手県の陸中、宮城県の陸前の総称で、リアス式海岸とは海岸線に対して垂直方向に伸び、河川により浸食されてできた開析谷が、谷が沈降してできた入り江になり、それが連続して鋸の歯のようにギザギザに連なっているような地形をいう。
 三陸海岸の沖合いは、寒流の親潮と暖流の黒潮が三陸沖でぶつかり、世界四大漁場と呼ばれるほど豊かな漁場が広がっている。
 また、海岸の断崖絶壁は、ミサゴ、ウミウ、ウミネコ等の野鳥の格好の繁殖地ともなっている。
 三陸リアス式海岸は、太平洋の荒波と風雨によって造り出された景勝地が、点在する海岸である。
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2007/9/13


翁倉山 Okinagura-yama 

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 翁倉山(おきなぐらやま)は、宮城県北東部にそびえる北上山地北端部に位置する山であり、南三陸地域の最高峰である。
 標高は532mあり、群山を抜く雄大な山容は、遠く石巻、栗原方面からも望むことができる。
 また、古くから信仰の山としても親しまれ、雨乞いなども行われていた歴史を持つ、地域の人々に愛されている山である。
 モミ林やイヌブナ林、キタゴヨウ林などの、南三陸を代表する中間温帯林が色濃く残されており、多くの野生鳥獣の生息地にもなっている。
 特に代表的なのが国の天然記念物であるイヌワシであり、イヌワシの営巣地として昭和一二年、一四年に長野県で確認された二例に続き、国内で三番目に確認されている。
 頂上は広場になっており、南側には北上川の豊かな流れ、東には志津川湾など、宮城のパノラマを眺望することができる。
 頂上にある祠にお参りをすれば、もしかしたらイヌワシの羽ばたきが、絶景の中に見えてくるかもしれない。
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歌建山津龍院 Kakenzan-Shinryuu-in 

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 歌建山津龍院(かけんざんしんりゅういん)は、宮城県の南三陸町歌津にある寺だ。
 応永一六(1409)年に、この地方を治めていた葛西氏の重臣、馬籠四郎兵衛(まごめしろべえ)によって開基されたと伝えられている。
 日本三景、松島にある円通院から始まる「三陸三十三観音霊場」の一二番目に当たる名刹であり、十一面観世音菩薩を本尊として祀っている。
 また、本堂裏には善宝寺より分祀された龍王尊堂があり、大漁や航海安全の守り神として、海で生活する人々の参詣が今も絶えない場所でもある。
 津龍院は開基以来、大切に保存されている多くの寺宝があることでも知られており、「馬籠家の旗印と戸籍」や「八幡菩薩木像御堂入一体」、「貞山公御首掛幅」、「古刀」など、多くの寺宝が保管されている。
 境内には見事な鐘楼が吊り下げられており、また、人々を出迎える山門や周囲の植栽も素晴らしく、時を忘れて静かに思いに浸れる古刹である。
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荒沢神社 Arasawa-jinja 

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 荒沢神社(あらさわじんじゃ)は、滝不動との俗称も持つ、宮城県南三陸にある神社だ。
 創祀の年代は定かではないが、貞観年間(859~877)、大和国龍田神社から分霊といわれ、境内にある滝不動尊には鎌倉初期に文覚が御持仏を祀ったとも伝えられるなど、その社歴は相当古いものである。
 また、安永三(1774)年の「本吉郡南方荒砥浜風土記御用書出」には不動堂との記載があり、このころは村の総鎮守として近隣の人々から親しまれていた。
 同社には紺紙金泥大般若経(こんしきんでいだいはんにゃきょう)の一部が社宝となっている。これは平泉中尊寺経堂に残る藤原基衡(もとひら)時代の古経、「国宝紺紙金泥経」の一部で、経文の扉に金泥で得道剃髪(とくどうていはつ)の図が描かれている。
 境内には樹齢七百年もの巨木の杉が本殿の傍らに立っており、太郎坊という名で親しまれている。
 静かな境内の中に聳える巨木の下で、この木が歩んだ歴史に思いを馳せてみるのも良いかも知れない。
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2007/9/11


追波川 Oppa-gawa 

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 岩手県の御堂の湧水「弓弭(ゆはず)の泉」を源流とし、岩手県のほぼ中央を北から南に流れて宮城県に入り、そして石巻湾へと流れ出る東北随一の大河、北上川。
 その北上川の河口付近にかかり、河北町から東流、やがては南三陸の追波湾へと注ぐ延長17.5kmの流れが、追波川(おっぱがわ)である。
 明治四四(1911)年から昭和九(1934)年にかけて行われた、放水路建設工事によって誕生した流れであり、区別してそれまでの北上川を旧北上川、追波川を新北上川とも呼ぶ。
 現在では、以前からあった石巻湾への流れを旧北上川といい、この追波川を含む追波湾への流れを北上川と称している。
 春になればサクラマスを求める太公望で賑わいを見せ、秋になれば日本の川では最大級といわれる葦(ヨシ)原で、「残したい日本の音風景百選」にも選ばれた、葦の葉ずれが奏でるシンフォニーに耳を傾けることもできる。
 川は豊かな自然を満面に湛えて、今もゆったりと、東北の地を流れている。
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波伝谷獅子舞 Hadenya-shishi-mai 

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 波伝谷獅子舞(はでんやししまい)は、宮城県南三陸町の戸倉波伝谷地区に昔から伝わる伝統行事であり、春祈祷との別名も持つ。
 執り行っているのは、契約講と呼ばれる相互扶助による寄り合いの人々である。
 毎年の三月第二日曜の早朝から行われる、この地区独特の邪気祓いの儀式であり、かつては旧暦の二月一五日に行われていたものである。
 儀式当日の早朝から、獅子頭を朝日に直面させて遥拝した後、東の村境へ移動してお札を竹に挟んで立て、御幣を飾った榊を先頭に地区の家々を巡りはじめる。
 家主は必ず豆腐を一丁用意しておき、訪れた獅子はこれを噛んで吐き出し、酒で清める。
 そうして家々を回り、西の村境に到着すると、海岸に榊を立てて太鼓を打ち鳴らして石を投げつける。獅子はこの時、大きく口を開いて邪気を吐き出し、榊が倒れると同時に口を閉じる。閉じられた口は翌年まで、絶対に開かない。
 頑なに閉じられた口は、派伝谷に邪気を寄せ付けない、強い意志を物語っている。
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本吉法印神楽 Motoyoshi-houin-kagura 

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 岩手県南部から宮城県北部に伝承される法印神楽の発生については諸説あり、定かではないが、俗に気仙神楽とか浜神楽と呼ばれ、海岸部の気仙や本吉、牡鹿郡に多く流布された。
 本吉法印神楽(もとよしほういんかぐら)もそうした中の一つであり、同地方に伝わるいくつかの神楽の祖流の一つであると目されている。
 同神楽が伝承されている南三陸の戸倉新町は、かつて折立村の中心で、四八坊の修験道場があったと伝えられており、同神楽はその修験者達によって神前に奉納するために伝承されたといわれる。
 元々は三三番の演目があったとされるが、現在ではその中でも一二番が伝承されており、特にかんなぎ二四番が有名である。
 今は南三陸町と北上町の羽黒派の法印九名によって伝承されており、それぞれで組を作って、各地の神社の祭礼などに招かれて奉納されている。
 幽玄で幻想的なその舞は、九名の手によって、今も守り継がれている。
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