NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/1


多賀城址 Taga-joushi 

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 多賀城址(たがじょうし)は、宮城県多賀城市にある城跡である。日本100名城のひとつとされ、国の特別史跡に指定されている。
 神亀元(724)年、鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまびと)によって東北経営の拠点として、また蝦夷(えみし)対策基地として築かれ、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や陸奥守・源義家(みなもとよしいえ)をはじめとして、これ以降の蝦夷討伐に大きな役割を果たした。
 10世紀半ば頃にその使命を終えたとされる。
 現在は発掘調査された成果をもとに復元された基礎が並んでおり、当時の様子を垣間見る事ができる。
 また、江戸時代初期に発見された多賀城碑は、天平宝字六(762)年の銘がある石碑で、栃木県の那須国造碑、群馬県の多胡碑とともに、日本三古碑の一つと呼ばれている。
 多賀城址は、陸奥国府として対北方前線基地であった城跡である。
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2008/3/5


弥彦神社 yahiko-jinjya yahiko Shrine

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 越後平野の中央にそびえ立つ弥彦山の麓に、弥彦(伊夜比古)神社(やひこ(いやひこ)じんじゃ)はある。越後国の一ノ宮である。
 境内はうっそうとした樹林に覆われ、長い月日を経てきた老杉、古欅が佇んでいる。その創建年代は不詳だが、万葉集にも歌われたほどの古社。
 祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。神武天皇の命を受け、越後国開拓のため地元の民に、漁労や製塩、稲作や養蚕などの農耕術を教えたという。かつては、伊夜比古さまと呼ばれ、越後の人々の心のふるさと、魂のよりどころとして、古くから栄えてきた。
 日本有数の長い日本刀である志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経らに所以すると伝えられる武具などの文物が、社宝として宝物館に展示されている。
 現在の社殿は、火災のために焼失した後、大正五(1916)年に再建されたものである。
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2007/7/27


宮城 白鳥神社 Miyagi Shiratori-jinja 

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 宮城の白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮城県柴田郡村田町七小路にある神社である。祭神は、日本武尊。
 伝説では、景行天皇(紀元前13~紀元後130)が、亡き皇子日本武尊を偲んで大宮白鳥宮を建立したと伝えられている。
 前九年の役(1051~62)の時、八幡太郎義家が大蛇に化身した大藤に救われたという言い伝えが残されている。
 神社の参道をまたいで2株の老杉に巻きつく姿が大蛇のように見えることから「奥州の蛇藤(おうしゅうのじゃふじ)」と呼ばれている藤の木が、その大藤であるという。
 承歴二(1078)年、現在の本殿が改修された。
 宮城の白鳥神社は、他に欅・銀杏・杉などの大木が並ぶ、緑に映える古社である
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2007/7/12


熊野神社・長床 Kumano-jinjya nagatoko 

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 源頼義・義家親子が天書三(1055)年前九年の役で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀州熊野から、熊野堂村(現河沼郡河東町)に勧請創建したのが始まり。
 その後、後三年の役(1083〜1087年)で再びこの地を訪れた源義家は、新宮の地に移すように命じ、造営は応徳二(1085)年に始まり、寛治三(1089)年に完成遷座し現在に至る。
 新宮熊野神社には、多くの国・県・市指定の文化財があるが、中でも長床は、昭和38年に国の重要文化財に指定され昭和46年から足掛け4年の歳月をかけ、膨大な経費を費やして解体修理復元がなされた。
 長床は、長大な規模と太い柱の配列が特徴。四方が吹き抜けのため、内部に林立する太い柱が見通され、いかにも古風でまさしく、平安期の荘厳な趣を今に伝えている。
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2007/5/18


岐阜 千代保稲荷神社 Gifu Chiyobori-jinja 

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 千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)は、源氏が滅びた約五百年前に、森八海がこの須脇の里を開き、源義家から授けられた源氏の霊璽を祀ったのが始まりとされる。現在では日本三大稲荷の一つとして知られ、「おちょぼさん」の愛称で親しまれている。
 社殿の入口近くに、お供え用の酒と油揚げの売店があり、藁に通された三角の油揚げが売られている。参拝者はこの油揚げをお供えして、商売繁盛などのお願い事をする。お供え物が拝殿の前にどっさり並べられている様は、普通の神社ではなかなか見られない風景。稲荷の「ナリ」は物や生命を生み出す神の事で、農業や商売繁盛に関係があるようだ。
 ここは大祖大神、稲荷大神、祖神が祀られており、名前の由来は八幡太郎の六男・義隆が分家する時、祖先の霊璽、宝剣、義家の画の三点を「先祖の御霊を千代に保て」と賜ったのが始まりとされる。
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2007/5/2


鷹の羽清水 Takanoha-shimizu 

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 鷹の羽清水(たかのはしみず)は、宮城県栗原市金成町にある、源義経や八幡太郎義家に関する伝説の清水である。
 源義家が奥州征伐のため下向し、一行が旱魃に苦しんでいた時、義家が祈りと共に鷹羽の矢を山に向かって射た所、矢の刺さった所から清水が湧き出たという。
 また、源義経が平泉に下向する際、この清水を鷹の飲料に供したともいう。
 いずれも鷹に関する伝説が伝わっており、そのため、鷹の羽清水の名がついたとされている。
 清水は、冷たくて喉の渇きがいやされるが、湧水量はかなり少なめである。
 近くには「奥の細道」でも出ている「姉歯の松」があり、湧き出し口の左手上の石には「八幡大神」と刻まれている。
 鷹の羽清水は、静謐な場所にある隠れた名水である。
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2007/3/16


兵庫 多田神社 Hyougo tada-jinjya Tada Shrine

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 多田神社は、兵庫県川西市にある神社。多田院として、国の史跡にも指定されている。
 この地は、清和天皇の皇子を祖とする皇族、清和源氏武士団の発祥の地。ここに居城を構えた源満仲により平安時代の天禄元(970)年、天台宗寺院として建立。以降、代々つづく清和源氏の霊廟として源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀ってきた。
 毎年4月には、「源氏まつり」が盛大に行われ、歴代の源氏武将の武者行列が町を練り歩く。
 また、境内にある樹齢千年の巨木、ムクロジは県の郷土記念物に指定されている。幹周4.2メートルもあり、県内では最大のムクロジだという。
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2007/2/26


合戦場のしだれ桜 Kassenba-no-shidare-zakura 

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 平安時代に朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と、この地方の豪族、阿部貞任と宗任の兄弟が戦った場所とされ、その地に咲き誇る事から「合戦場のしだれ桜」と呼ばれる様になった。
 満開時には滝が流れ落ちるように見事な花を咲かせ、その堂々として華麗な立ち姿は圧巻。手前に広がる菜の花の黄色のコントラストも絶妙で、根元に太いアセビやシキミの木がある為、一本の木のように見えるが、実は二本の木が寄り添うように花を咲かせており「大林のめおと桜」とも呼ばれている。
 近くにある福田寺の桜が「三春の滝桜」の娘とされ、この桜は福田寺の桜の枝が成長したもので、孫に当たる。樹齢は約150年、この濃い目の艶やかなピンク色は、「滝桜」譲りと言える。
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