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2008/1/8


八雲本陣 Yagumo-honjin Yagumo Honjin

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 八雲本陣(やぐもほんじん)とは、出雲地方屈指の地主、木幡家(こわたけ)が代々守ってきた本陣宿で、江戸時代に松江藩主が領土内を見回る際に利用されていた。
 木幡家は酒造業を営みながらも、庄屋をまとめる下郡役も務めたため、名家と呼ばれている。
 敷地一二〇〇坪、建坪八〇〇坪の大きな建物は、享保一八(1733)年に建てられ、当時、旅館として営業されていたが昭和四四年に重要文化財として指定された。
 近年まで料理旅館として営業しており、室内の調度品もすばらしいものが多い。
 八雲本陣は昔の人々の生活が身近に感じられるような、心やすらげる場所である。
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2007/6/6


寿都 鰊御殿 Suttsu Nishin-goten 

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 北海道寿都郡寿都町にある鰊(にしん)御殿は、明治十二(1879)年に仕込屋である橋本与作が建てたと言われる建物である。釘を1本も使っていない見事な建築物である。
 一般的に鰊御殿は網元や漁師たちが寝泊りする建物を指すが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の居宅である。仕込屋とは、網元や漁師に金品を貸し、代金を数の子や身欠鰊、鰊粕などで返済してもらい、これを売る商売のことを指す。
 創業者の橋本与作は、自分の出身地・福井県の本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに3年、建築に4年の歳月をかけたという。総工費は当時で7万円を要した。
 床下には防湿のために6百俵もの木炭を敷きつめ、窓は当時ギヤマンと呼ばれたガラスをオランダから取り寄せるなど、贅を尽くした造りになっている。鰊漁に沸いた当時の繁盛振りが偲ばれる建物である。
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2007/5/11


三百田氏住宅 Sanbyakudashi-jutaku The Old House of the Sanbyakuda Family

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 三百田(さんびゃくだ)氏住宅は、鳥取県若桜町内の吉川集落にあった庄屋・三百田氏の旧宅で、現在は若桜郷土文化の里に移築・復元されている。
 「一代普請方合力人数帳」という古文書には、819人が一年以上かけてつくりあげ、江戸中期の元禄七(1694)年に完成したことが記されている。
 建築様式は因幡地方の特徴である、入り母屋茅葺き屋根で梁行四間・桁行七間半のいわゆる「四八」の造り。内部は土間ぞいに広間を持つ「広間型三間取り」である。
 一部の梁は鉋で仕上げられており、当時の民家としてははるかに先進的な工法であるが、これは、播州の宮大工が普請したことと関係すると見られている。また小屋梁や床下の大引のつくりから、地元の材木を工夫して大切に用いているのがわかる。
 外装には中国地方の古民家特有の「置き千木型」の棟飾りが施され、重厚な茅葺き屋根と相まって庄屋らしい堂々たる風格を感じさせている。
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矢部家住宅 Yabekejutaku 

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 鳥取県八頭町(やづちょう)用呂(ようろ)の集落に「矢部家住宅」がある。鳥取県内で最古の民家だ。国の重要文化財に指定されている。
 江戸時代に代々庄屋を務めてきた矢部家の屋敷で、江戸時代の初め、17世紀初頭に建築されたとされる。
 茅葺きの大きな屋根を戴いた要り母屋造りの母屋は庄屋らしい堂々たる外観を持つ。梁行(はりゆき)は五間半。桁行(けたゆき)は十一間と規模も大きく格調の高い建物だ。間取りは当時の上層民家の典型である「広間型五間取」である。座敷の大きな囲炉裏が、江戸期の生活の様子を偲ばせる。
 庭には樹齢およそ270年のヤブツバキがあり、冬には白、赤、桃色の花を咲かせる珍しい「咲き分け椿」が見られる。
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2007/4/23


奥家住宅 Okukejutaku 

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 奥家(おくけ)住宅は、江戸時代の建築としては珍しく、建築年代が明確にわかっている民家である。広島県三次市舎町に所在し、国の重要文化財に指定されている。
 奥家住宅は、かつて旧樫井村の庄屋であった奥家の住居跡で、江戸時代中期の天明八(1788)年の建築を示す「普請帳(ふしんちょう)」の記録と小屋裏の棟束(むねつか)に棟札が残る。主屋は六間に台所が付いた間取りで、規模の大きい当初の姿をそのままとどめた貴重な遺構であり、江戸後期以降広く普及した、大型六間取り遺構の典型的な例である。主屋の土間上にある五重に組まれた太い梁は見ごたえ十分。塀も美しく、これからもさらに後世に伝えていきたい歴史的価値のある史跡だ。
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2007/4/19


大鐘家住宅 Oogane-ke-jyuutaku The Ogane Family’s Residence

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 大鐘家住宅は、静岡県牧之原市片浜にある旧家の民家である。母屋と長屋門は国の重要文化財に指定されている。
 大鐘氏は、戦国時代には柴田勝家の家臣であった。江戸時代中期から末期までの間、この地方の大庄屋となり、また豪農として3000石以上の格式を持っていた。
 手斧造りの母屋は、慶長2(1597)年頃の建築といわれている。母屋の横には、小堀遠州作と伝わる庭園もある。
 長屋門前には1万2千本のアジサイ、3千本の花菖蒲が咲く「あじさい庭園」もあり、5月下旬〜7月上旬には「あじさい祭」が開催される。
 米蔵を改装した蔵の資料館は、宝物の展示やギャラリーとして使用されている。
 大鐘家住宅は、江戸の暮らしを今に残す古民家である。
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2007/3/20


増田家住宅 Masudake-jyuutaku 

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 増田家住宅は、那賀郡山崎組の大庄屋を務めた増田家の旧宅である。和歌山県岩出市曽屋に所在する。
 庄屋とは、江戸時代の村役人(村方三役)のひとつで、藩から地方自治に関わる職権を委任され、法令の布達や年貢の徴収などを行う存在であった。藩と村民の間に立ち、中世の豪族の血を引く農村の有力者が任じられることが多かったという。
 増田家住宅跡は、周囲にぐるりとめぐらせた堀や、宝永三(1706)年建造の主屋と宝暦九(1759)年に建てられた長屋門などが当時の姿をそのままとどめている。
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2007/3/5


猪垣 Shishi-gaki 

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 享保年間,このあたりの農民たちは,毎年イノシシの被害に悩まされており、その害に泣いていた。庄屋郡仙右エ門は考えの末、猪垣構築による猪害防止を農民たちと協議し、享保7年,猪垣工事を起こした。
 幅2メートルあまり,高さ1.5メートルの石垣は,長蛇のような尾根を渡り,当時の工事としては至難の業であり,8年の歳月を費やしても工事は完成に至らなかった。
 この猪垣には,当時の農民たちの汗と血がにじむ思いが偲ばれ,仙右エ門の無念の血涙が染みついているようだ。
 先人たちの遺したミニ万里の長城とも例えられる猪垣の基点をここ奥野原の台地に見ることができ、長崎県は,農政史に価値ある資料として,これを史跡に指定している。
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