NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


箟峯寺(箟岳観音) Konpou-ji (Nonodake-kannon) Konpoji Temple (Nonodake Kannon)

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 箟岳山(ののだけさん)は、古くから信仰の山として広く知られており、この山の山頂にあるのが別名・箟岳観音と呼ばれる箟峯寺(こんぽうじ)である。奥州三十三観音第九番札所に数えられ、松島の富山・石巻の牧山と並んで奥州三観音の一つでもある。
 光仁天皇の勅願により宝亀元(770)年に草創され、延暦二〇(802)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の後に観音堂を建立した。
 最初、この山は非常に霧が深いことから霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と呼ばれていた。その後嘉祥二(849)年、慈覚大師が布教のためこの地に来たとき、堂宇を増建し、無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)と改称した。
 境内の石段を登ると八脚門の山門がある。山門の中にある朱塗りの仁王像が笑みを浮かべている。また、本尊は十一面観音で、観音堂は二度焼失したが、現在の建物は嘉永四(1851)年に再建されたものである。

 
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2007/8/2


高清水城跡 Takashimizu-jou-ato The Takashimizu Castle Ruins

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 高清水城跡(たかしみずじょうあと)は、宮城県栗原市高清水東館にある城跡である。
 足利時代の延文元(1356)年、奥州ニ州の探題であった大崎一族の高泉直堅が城を築き、高泉(たかしみず)城と称した。
 大崎氏滅亡後、慶長九(1604)年からは亘理氏が、次いで宝暦七(1757)年からは石母田氏が領主をつとめ、明治維新まで続き、廃城となった。
 現在、かつての外濠は埋め立てられて高清水城外濠公園となり、園の中心には高清水城絵図の陶板が設置されている。
 水の町にふさわしく、子供たちが水遊びできる池なども配置され、四季折々の花も楽しめる。
 高清水城跡は、今も外堀の一部が残されており、戦国・江戸の高清水城の面影が偲ばれる、貴重な城跡である。
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2007/6/1


旧有壁宿本陣 Kyu-arikabesyuku-honjin Old Arikabe-shuku Honjin

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 五街道の一つ「奥州街道」の金成宿(かんなりしゅく)と一の関宿の中間に位置する「有壁宿」は、元和五(1619)年に創設され、以来参勤交代の際には、松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が宿泊する宿であった。
 現在残る有壁宿の本陣は、代々、佐藤家が検断を勤め、同家に伝わる文書によると江戸中期の延享元(1744)年に火災にあい、現在の場所に移してその時、再建されたものである。以来今日まで災禍を免れ貴重な資料とともに当時の建物が残されている。
 御成門、車寄せ、中座敷などの遺構を保ち、「宿駅検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内文書」などの重要な歴史資料が残されている。敷地内には土蔵や馬屋が残っていて、往時の武家社会の面影を伝えている。
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2007/4/2


葛丸川渓流 Kuzumaru-gawa-keiryuu 

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 葛丸川渓流(くずまるがわけいりゅう)は、岩手県花巻市石鳥谷町にある景勝地である。
 奥羽山脈を源とする渓流で、釣りやハイキング、森林浴等、自然に親しめる絶好な場所である。
 滝、奇岩などが数多くあり、四季を通じて美しい景観を見ることができる。
 冬には「たろし滝」といわれるつららが見られ、毎年、2月には氷柱の太さをはかり、その年の米の作柄を占うという風習が残っている。
 宮沢賢治の童話「楢の木大学士の野宿」などの舞台であり、葛丸ダムの入口には歌碑「葛丸川」の石碑もあり、宮沢賢治とこの周辺との深いつながりを感じることができる。
 葛丸川渓流は、四季折々の眺めが素晴らしい名勝である。
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2007/2/6


寿福寺 Jufuku-ji 

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 寿福寺は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある、臨済宗・建長寺派の寺である。鎌倉五山の第三位で、本尊は宝冠釈迦如来。
 正治二(1200)年、前年亡くなった源頼朝を弔うため、妻・北条政子が臨済宗の祖、栄西を招いて開基した。
 この地は、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる、源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。また、源頼朝の父・義朝の居館があった所としても知られる。
 創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院であったが、宝治三(1247)年、正嘉二(1258)年の2度にわたる火災で、一宇を残さぬまで焼失してしまった。これらの復興は、南北朝時代の頃なされた。
 寿福寺は、古代から続く、静謐さにあふれる寺である。
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