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2007/12/6


赤野観音堂 Akeno-kannon-dou Akeno Kannondo Hall

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 赤野観音堂(あけのかんのんどう)は、静岡県沼津市柳沢赤野にある真言宗の寺である。本尊は十一面観音像で、堂と本尊は共に市の有形文化財に指定されている。
 天平三(732)年、行基菩薩一刀三礼の作と伝わる十一面観音菩薩を本尊として開山された。
 江戸時代より、駿河一国三十番札所及び横道十五番札所として知られている。
 現在の堂は寛永一三(1637)年に左甚五郎が再建したものと伝えられる。
 建物は唐様式の鏡天井で、天井には竜、正面の壁には天女の舞姿が描かれている。
 境内には目通り3・9mのカヤと、3・72mのナギの大木があり、それぞれ市指定天然記念物とされ、樹勢も盛んである。
 赤野観音堂は、現在は広大寺により管理されている、古寺である。
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浄感寺(長八記念館) Joukan-ji(Chouhachi-kinen-kan) Jokanji Temple (Chohachi Memorial Museum)

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 浄感寺(じょうかんじ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある浄土真宗本願寺派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 永仁年間(1293~1299)に創建され、浄信上人によって開基された。元禄の大火で全焼してから衰退していたが、本多正観によって本堂が再建され、隆盛を取り戻したとされる。
 寺の本堂が、長八記念館(ちょうはちきねんかん)となっている。
 入江長八は、漆喰細工の名人とうたわれた左官職人で、江戸に多くあった代表作はそのほとんどが震災や戦災で焼失してしまったが、ここには長八の傑作として有名な、天井に描かれた「八方睨みの龍」や、「飛天」など約20点の作品が残っている。
 また、境内には長八の墓と胸像、記念碑が立つ。
 浄感寺は、長八の菩提寺であり、古来より災いを除き幸運を招く寺としても名高い寺院である。
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東福寺 五百羅漢 Toufuku-ji Gohyaku-rakan The Frescos of Five Hundred Rakan at Tofukuji Temple

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 東福寺(とうふくじ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町中にある臨済宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 天福年間(1233~1234)に建立され、天福寺と称されていたが、嘉元年間(1303~1305)に、現在地に再建され、東福寺となったと伝えられている。
 五百羅漢は、東福寺本堂の天井に描かれている漆喰画で、仏師・田村利光により四年八ヶ月の歳月をかけて作製された。
 羅漢とは、仏道の修業者又は悟りを開くために修業中の修業僧の意で、中央に描かれた龍とそれを取り巻く五百羅漢、四方に配した天女からなる天上界の図は迫力満点である。
 田村利光は通称・のんべえやす、とも言われた酒飲みで、五百羅漢は大正末期に完成させている。
 東福寺の五百羅漢は、現代でも立体的で綺麗な色彩に驚嘆する、漆喰の天井絵である。
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2007/12/3


高知 岩本寺 Kouchi Iwamoto-ji 

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 四国霊場第37番札所である岩本寺(いわもとじ)は奈良時代、行基が聖武天皇の勅願により高岡神社の別当寺として造立したものとされる。
 天正年間(1573~1592)の兵火によって焼失、その後釈長僧都により再興され、寺名を藤井山・岩本寺と改め現在に至る。
 本堂は昭和五三(1978)年の再建で、格天井には壇家を中心とした人々によって奉納された極彩色の板絵、575枚がはめ込まれており、阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体の本尊がある。
 寺には、一年に三回実るといわれる「三度栗」や、旅の女性を安産に導いた「子安桜」など、弘法大師ゆかりの七不思議が残されている。
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2007/11/26


日原鍾乳洞 Nippara-shounyuu-dou 

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 日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)は、東京都奥多摩町を流れる日原川支流である小川谷に位置し、地下水により溶解浸蝕されてできた自然洞窟である。
 総延長は1270m、高低差は134mあり、関東では最大の規模を誇っている。
 年間を通じておよそ11℃ほどの洞内には八つの洞が存在し、そのうち見学できるのはおよそ千二百年前に発見されたといわれる新宮洞と、昭和三八(1963)年に発見された新洞の二つである。
 その神秘的な景観から、かつては山岳信仰のメッカであった洞内には、巨大なカエルを思わせる「ガマ岩」や巨大な天井空間を持つ「天井知らず」など、まさに大自然のみが生み出せる造形が横たわり、訪れる人々を幽玄の世界へと誘ってくれる。
 天井からツララ状に垂れ下がる鍾乳石は3cm伸びるのに二百年、盤上に沈殿し、上に向かって成長する石筍(せきじゅん)は、四百年の歳月を必要とする。
 数十万年に渡る自然という名の芸術家の作品は、今もこつこつと作り続けられている。
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2007/11/22


文様 桧垣(ヒガキ) Monyou Higaki 

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 桧垣(ひがき)とは、檜の薄板を網代のように斜めに組んだ垣根を文様化した和文様である。
 和文様とは、平安時代以来、公家の服装・調度品や装飾に用いられた形、色、構成などに独自の優美な様式を持つ図柄の総称である。
 檜垣に菊唐草を散らしたり、梶の葉をあしらったものなど、様々な表現がとられている。
 交わる角度が直角でなく、長方形が平行四辺形になったものもあり、白生地や染織の地紋にも多く用いられている。
 檜垣・桧垣・菱垣と言い、網代(あじろ)とも言われている。網代とは、網の代りの意味で、魚をとる仕掛けの一種である。
 文様・桧垣は、衝立や垣根・天井・羽目板などや、帯や小紋の柄に多く用いられてきた、伝統的な和文様である。
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2007/11/15


金泉寺 Konsen-ji 

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 四国霊場第3番札所である金泉寺(こんせんじ)は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基したお寺で、当時は金光明寺と呼ばれていた。のちに弘法大師が訪れ、霊水が湧き出ているのを見て金泉寺と改めたとされる。
 今でも水が湧き出ており、この井戸を覗きこみ、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えが残されている。
 境内からは、天平・藤原時代の古瓦が多く発掘されているため、奈良時代の創建であることが推測される。その後長曽我部元親軍の兵火で伽藍を焼失したが、その後再興、現在の規模となった。
 朱塗りの仁王門をぐくると、左手に鐘楼、右手に八角形をした色鮮やかな朱塗りの観音堂がそびえ、 本堂の左側にある護摩堂の格天井には美しい花鳥が描かれており見所のひとつでもある。
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2007/11/14


金沢 野村家 Kanazawa Nomura-ke 

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 金沢の野村家(のむらけ)は、石川県金沢市長町にある建築物である。
 天正一一(1583)年、野村伝兵衛信貞は、金沢城に入場した藩祖・前田利家の直臣として従い、以後、野村家は、明治三(1970)年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領した。
 明治の武家制度の解体で、屋敷は取り壊され、菜園になってしまったが、その後、加賀・大聖寺藩・橋立の北前船の船主・久保彦兵衛の豪邸の一部をこの地に移築して、現在に至る。
 野村家は、代々御馬廻組組頭(おうままわりぐみくみがしら)や奉行職を歴任してきた加賀藩の重臣であり、格式を重んじた様式を見学できる。
 金沢の野村家は、大総檜の格天井やギヤマン入りの障子戸、狩野派の襖絵などが見事な武家屋敷跡である。
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