NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/22


お手玉遊び Otedama-asobi 

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 お手玉遊びは、中に小豆やお米が入ったお手玉を、両手で交互に投げ上げる遊びである。
 古代ギリシャやトルコのネオヒッタイト時代などに羊の距骨を使用したジャグリングが存在し、欧州の遊牧民が袋に粒状の物を入れて遊んだのが起源とされている。
 日本では、奈良時代に中国から伝わり、当時は水晶を利用した事から石名取玉と呼ばれていた。平安時代には石を使った「石なご」という名でお手玉遊びが広まり、布のお手玉は、江戸時代に登場した。
 基本的には、小豆などを入れた幾つかの小きな袋であるお手玉を、歌を歌いながら投げ上げ、受け取ったり拾ったりする遊びで、地域によって少しずつ形式が異なる。
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2008/9/12


けん玉遊び Kendama-asobi 

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 けん玉遊びとは、3つの皿と1つのけん先、そしてその本体に紐で繋がった玉を1セットとした玩具・けん玉をを使った遊びである。
 発祥地は、フランス、ギリシャ、あるいは中国など、諸説あるが、詳細は判明していない。
 日本へは安永五(1777)年頃にシルクロードを通じて伝わったと言われており、今使われている皿が3つ付いている「けん玉」は、大正時代に登場し、当時は玉を太陽、皿を月に見立てて、日月ボールと呼ばれていた。
 遊び方は、バランス良く球を皿の上に乗せたり、けん先に入れたりするというもので、球を置く部分、回数などによって勝敗を競う。現在では、全国規模の大会もスポーツ競技として行われている。
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2007/11/7


とんぼ玉 Tonbo-dama Dragonfly Ball

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 「とんぼ玉」-この風変わりな名前を持つ小さな玉のことをご存知だろうか。とんぼ玉とは、簡単に言えば色文様の付いたガラス玉で、紐を通す孔の空いたビーズのことである。漢字で書くと「蜻蛉玉」、欧米語では「glassbeads」と呼ぶ。
とんぼ玉の歴史は古く、メソポタミア文明やエジプト文明の時代にまで遡る。そして現在まで3500年に渡り世界各国で多種多様なとんぼ玉が作られ、多くの人々を魅了している。
 日本には江戸時代に南蛮貿易により伝来。表面に円文様をあしらった、とんぼの眼を思わせることから「とんぼ玉」と呼ぶようになった。以来400年あまり、様々な製法や表現方法が発達し、今では多数の現代作家のもとで美しいとんぼ玉が作られている。
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2007/10/31


玉陵(世界遺産) Tama-udun Tamaudun (World Heritage Site)

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 玉陵(たまうどぅん)は、沖縄県那覇市金城町にある、琉球王朝の陵墓である。世界遺産に登録されており、全体が国の史跡である。
 1501年、琉球王尚真によって玉陵は築かれた。
 琉球では、墓を立派なものにして、祖先崇拝信仰の表現形態とする志向が強い。
 また、玉陵の設立は、祖先崇拝信仰を国内統治の安定・強化に利用しようとした意図があったものと考えられている。
 玉陵は中室、東室、西室の3つに分かれている。中室は葬儀後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。その後、王と妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。
 玉陵は太平洋戦争で大きな被害を被り、現在見られる大部分は大戦後に復元されたものである。
 玉陵は、琉球の神聖なる場所であり、厳かな墓所である。
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/10/12


エビラ沢の滝 Ebira-zawa-no-taki 

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 エビラ沢の滝(えびらざわのたき)は、神奈川県相模原市津久井町青根にある落差15mの滝である。やまなみ五湖・水のある風景36選のひとつに選ばれている。
 エビラ沢は神ノ川支流にあり、滝は林道の脇にすぐ見つけることが出来る。
 素直な直瀑の滝で、水は非常に澄んでいて、透明度は抜群である。
 黒く光る岩肌を流れ落ちる水音は迫力があり、あまり高くはないが、水量が多く立派な姿を誇る。
 緑の玉を抱いて観音経を唱えながら滝に打たれていると、玉の中に御霊が入ったという、不思議な言い伝えが残されている。
 現在は、滝の前にベンチやあずまやなどが設置された園地があり、展望用のウッドデッキも整備されている。
 エビラ沢の滝は、誰でも気軽に見ることが出来る憩いの滝である。
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2007/9/14


【環】 Kan The Character for Cycle, Ring, Surround

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 環境の環。その形がなかなか深い意味を語っています。上の部分は目です。その下に衣と○があります。○は玉。この三つの要素を含む字体のほかに、さらに強調のために玉偏(たまへん)をつける字体もあります。玉偏自体は三つの玉を貫く紐の形です。
 この字は実は古代の葬儀、死者の復活思想、信仰と関係があります。上の目は開いているので、死者の復活を願う象徴です。古代には死者に玉の賜物を副葬品として添える習慣があったのです。この字はその玉を衣服の襟元に置いた形です。玉を死者の口に含ませることもあり、それは「含」という字になりました。
 白川静先生の著作、『孔子伝』などにもしばしば出てくる荘子の『荘子(南華真経)』に、こういう様々な古代の習慣がよく取り上げられています。もちろんむしろ否定的に。例えば、『荘子(南華真経)』外物篇に道徳的よりどころであるはずの『詩経』と『禮経』の墓と副葬品などの詳しい記述を頼りに、墓を盗掘したり、死者に添えた玉を奪おうとする儒者のことが風刺的に描かれています。
 また白川先生が、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎には、漢字の世界をある意味で哲学化した荘子の影響がかなり見られると指摘されているように、そういう背景から見ると漢字には古今を結ぶ一面があります。
 人類の生死に関わる環境。健全な環境の保持を考えるにふさわしい字ではないしょうか。
 
■ 環・金文(きんぶん)
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2007/8/21


神爾の滝 Shinji-no-taki The Shinji Falls

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 神爾の滝(しんじのたき)は、滋賀県大津市北比良にある神爾谷中流にかかる、登山道の途中に存在する6つの滝の総称である。
 それぞれ、雌滝は落差13m、幅1mの直瀑、二の滝は落差13mの下段は2条となっている2段滝で、三の滝は落差5m、幅2mの直瀑、雄滝は落差18m、幅8mのハネ滝、五の滝は落差6m、六の滝は落差12mの3段滝となっている。
 実際に安全に見ることが出来るのは雄滝のみであるが、迫力があり、夏はとても涼しい。
 神璽とはいわゆる「三種の神器」のことで、古くから皇位継承の印として受け継がれてきた宝剣・宝鏡・勾玉を指す。
 この滝名との直接的関連はわからないが、滝が自然に織りなす姿かたちや、樹林の間から漏れる陽光に輝く光景などは、実に神々しく感じられる。
 神爾の滝は、勇壮で豪快な秘瀑群である。
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