NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/16


【秋・龝】 Shuu Autumn

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 この字は「あき」という季節の、古今変わらない特長である実りと収穫をあらわし、それが禾偏(のぎへん)に反映されています。偏以外の部分は害虫を焼くことを示しています。
 本来の字形では火が下にあります。火を幼虫、または虫卵に直接あてるということを意味するリアルな位置です。甲骨文にはじめて本来の字形が見られます。正字の「龝の龜の下に灬(烈火)がある字」は今「異体字」とよばれるようになりましたが、実は本来の意味をもっとはっきり表しているのです。常用漢字の「秋」では要素の相互関係がわからず、「害虫を焼く」という火の役割が一切見えない省略形になってしまいました。正字では、灬(烈火)は適当に虫の下の部分に置かれています。
 殷の時代に農業はすでにかなり発達し、すでに肥料として灰と糞が利用されていましたが、ズイ虫やイナゴ(稲子)の害も無視できない存在でした。十分に成長した虫は逃げますから、火を当てて焦がしたのはむしろその稲・穀物に付着している動けない虫卵でしょう。そして正字の字形にある虫(龜)にはある象徴的な意味が生じました。そこには、季節の儀礼との深い関係があったのでしょうか。
 
■ 秋・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/9/27


西村神楽 Nishimura-kagura Nishimura Kagura

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 隠岐(おき)の島町指定無形民俗文化財のひとつに「西村神楽(にしむらかぐら)」がある。西村神楽はもともと旧暦六月四日に行うのが習わしで、「麦神楽」といい、各戸から収穫したばかりの新麦を一合ずつ取り寄せて神前に供え、古くは下西の村上社家、東郷の村上社家、原田の村上社家を呼んで舞ってもらっていた。社家(しゃけ)とは、神楽を本業とする家筋をいう。
 昭和二五(1950)年になると、西村地区の人々が東郷村上家の手ほどきを受け、帰省者の多い八月に、自分たちで行うようになった。以来、神職を中心とした有志がこれを受け継ぎ、現在は西村神楽保存会が保存伝承活動に取り組んでいる。久見(くみ)神楽と共に隠岐の島に古くから伝わる神楽で、様々な独特な演目が演じられる。
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2007/9/25


米倉鹿嶋神社 献饌行事 Yonekura-kashima-jinja Kensen-gyouji The Kensen Ritual at Yonekura Kashima Shrine

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 米どころ宮城の中心的役割を果たしているのが大崎市。ササニシキ、ひとめぼれなどが誕生した地として知られている。市役所から一キロ程の米倉(よねくら)地区にある鹿嶋(かしま)神社では、毎年九月九日と一〇日の二日間にわたり、献餞(けんせん)行事が執り行われる。献餞とは神道の祭式で、祝詞(のりと)を上げるに先立って、神官が神前に食物を供えることをいう。
 米倉鹿嶋神社は大崎開拓以来の古社とされ、戦前までは清和源氏足利氏(せいわげんじあしかがし)の一門・大崎氏の遺臣が祀ってきたが、その後は地域民も加わり祭事を続けている。初日は初穂献上に始まり、その他の儀を経て、神酒を戴き神饌を食する直会(なおらい)に至る。翌日の神輿巡幸をもって終わる。穀物の収穫に感謝する静かなこの祭事は、県の民俗文化財、風俗習慣に指定されている。
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2007/8/20


入谷の祭と打囃子 Iriya-no-matsuri-to-uchi-bayashi 

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 入谷の祭と打囃子(いりやのまつりとうちばやし)は、毎年の九月十五日に、宮城県南三陸町の入谷八幡神社で行われる例大祭である。
 打囃子が始まった時期は定かではないが、八幡神社に奉納したとされる太鼓に享和元(1801)年の年号が見られることから、その時期にはすでに行われていたと考えられている。
 秋の収穫も間近な頃、身を清めた神職らを先頭に、入谷八幡神社から祭りの行列がスタートする。
 花傘や花バレンに彩られた神輿、色鮮やかな衣装に身をつつんだ子供たちが、入谷の田園風景のなかを御旅所(おたびしょ)である田んぼの中に聳える一本松の元まで練り歩く。
 御旅所に到着すると、祇園囃子の流れを汲むといわれる打囃子が、五穀豊穣と家内安全を祈願して獅子舞と共に舞われ、奉納される。
 黄金色に輝く田んぼの中で、優雅に舞われるお囃子は、いつか遠い昔に感じた郷愁を見るものに思い起こさせてくれる。
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2007/8/17


庄内神楽 Syo-nai-kagura 

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 神楽は、祭典の時に神前に奉納される歌や舞である。大きく、宮中で行われる雅楽や伎楽の宮廷神楽と一般の神社の神事芸能の里神楽に分けられる。
 庄内神楽は、大龍地区にある愛宕地蔵にある古文書に1778年に、御堂造営の際、神主らによって神楽が奏でられたとある。明治の初期には、同好会的な神楽集団が組織される様になり、現在の神楽座の基となっている。
 庄内には大きく分けると、娯楽性の高い10の庄内地区系と、伝統を重んじる2つの阿蘇野地区系の二流派の神楽座がある。両派とも庶民の神楽として古くから伝承され、比較的に早いテンポにのって勇壮に、時にはユーモラスに舞う里神楽である。
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2007/8/3


ひえつき節 Hietsuki-bushi 

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 ひえつき節は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に伝わる民謡である。
 焼畑農業で収穫したヒエをつく時に歌われた労働歌で、明るくのびのびとした中にも、山村に生きる人々の力強さが感じられる。
 800年前、那須大八郎宗久は鎌倉幕府から平家の残党追討の命を受けたが、椎葉の落人たちのつましい生活を目の当たりにし、共同体の生活に協力し、平清盛の末裔・鶴富姫と子供までもうけた。しかしやがて幕府への帰還を命令され、泣く泣く別れた時に生まれたのがひえつき節だという。
 毎年9月第2土・日曜の2日間、九州各地からおよそ250名が参加して自慢ののどを披露する「ひえつき節日本一大会」が行われ、ひえつき節が一日中、山あいに木霊する。
 ひえつき節は、全国的に知られた椎葉村を代表する民謡である。
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2007/7/24


保呂羽山霜月神楽 Horowasan-shimotsuki-kagura Horowasan Shimotsuki Kagura Dance

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 保呂羽山霜月神楽(ほろわさんしもつきかぐら)は、秋田県横手市大森町八沢木の波宇志別神社に伝わる神事である。国の無形民俗文化財に指定されている。
 神楽の起源については、それを示す古文書等が度重なる戦火により焼失していて定かではないが、現存する最古の古文書である天正一八(1590)年の記録から、少なくとも中世にはすでに行われていたことが想像される。
 神楽の体系としては湯立神楽に属し、神楽形態は、近郷の神官が祭主の神殿に集まり神楽を行う寄合神楽となっている。
 神に今年の収穫を感謝し、毎年11月7日、8日に行われ、来る年へ五穀豊穣を祈る。
 神職または社家の属する人々のみによって行われ、神楽の中で繰り返し湯加持が繰り返され、徹底した禊ぎが行われる。
 保呂羽山霜月神楽は、古を今に伝える聖なる神事である。
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2007/6/21


十一月 霜月 Juuichigatsu Shimotsuki November, Shimotsuki

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 一一月は別名を霜月(しもつき)と呼ぶ。
 霜が降りる時期を迎えるため霜月と呼ばれているが、次月の十月の別名である神無月(かんなづき)を上の月と考え、その下の月ということから下月が転じて霜月となった説もある。また、作物が実り収穫される時期であることから食物月(おしものづき)の略と言われることもある。
 一一月にはさらに別名として、霜が始めて降る「霜降月」、出雲から神が戻る「神楽月」、雪がもうすぐ振ることから由来とされる「雪待月」などもある。
 三日には文化の日、一五日には七五三、二三日には勤労感謝の日という祝日が定められており、両日とも収穫を終えて実りを感謝することから始まった日とされている。
 また、十干十二支方で酉にあたる酉の日には、各地の鷲神社に商売繁盛や開運、授福等を祈る祭礼である酉の市(とりのいち)が行われる。
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