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元寇防塁跡は、福岡市内に残る元寇に対抗した防塁跡で、市内には7ケ所あり、いずれも国の史跡に指定されている。
1274年、元(蒙古)が900隻の軍船と28.000の兵で博多を攻撃し、九州の御家人と戦いをくりひろげた(文永の役)。
鎌倉幕府は再度の来襲に備え、半年をかけて、高さ2m、幅2.5m、西は今津から東は香椎まで、博多湾の海岸を20kmに渡り防塁を築くことを、九州の御家人に命じた。
1281年に元は再び博多を攻めたが、この防塁に阻まれ、また台風(神風)の襲来などによりあえなく全滅した(弘安の役)。
元寇防塁跡は、当時を偲ばせる歴史的史跡であり、武士の偉業を称えるものである。
昭和6(1931)年、国の史跡に指定された。
1274年、元(蒙古)が900隻の軍船と28.000の兵で博多を攻撃し、九州の御家人と戦いをくりひろげた(文永の役)。
鎌倉幕府は再度の来襲に備え、半年をかけて、高さ2m、幅2.5m、西は今津から東は香椎まで、博多湾の海岸を20kmに渡り防塁を築くことを、九州の御家人に命じた。
1281年に元は再び博多を攻めたが、この防塁に阻まれ、また台風(神風)の襲来などによりあえなく全滅した(弘安の役)。
元寇防塁跡は、当時を偲ばせる歴史的史跡であり、武士の偉業を称えるものである。
昭和6(1931)年、国の史跡に指定された。
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