金沢城(尾山城) Kanazawa-jou(Oyama-jou)
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天正八(1580)年、信長は柴田勝家に、本願寺の中心道場であった金沢御堂(かなざわみどう)を攻め落とすことを命じたという。犀川と浅野川に挟まれた小立野台地に築かれた金沢御堂は、尾山御坊(おやまごぼう)と呼ばれており、勝家によって落城した後、尾山城として勝家の甥、佐久間盛政が入城した。
天正一一(1583)年の賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)で盛政が亡くなった後、尾山城に入城した前田利家は、城の名前を金沢城と改め、大がかりな改修に取りかかった。金沢の職人の技を駆使して、天守閣の創建、石垣の整備などが行われたという。
金沢御堂から金沢城へ、歴史と共にその姿を変えていった城は、幾たびかの火災によっても復興と再建が繰り返されてきた。
シンボルともいわれる、見事に復元された菱櫓が一際目を引くその姿は、かつての長い歴史と威厳を今に伝える。
天正一一(1583)年の賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)で盛政が亡くなった後、尾山城に入城した前田利家は、城の名前を金沢城と改め、大がかりな改修に取りかかった。金沢の職人の技を駆使して、天守閣の創建、石垣の整備などが行われたという。
金沢御堂から金沢城へ、歴史と共にその姿を変えていった城は、幾たびかの火災によっても復興と再建が繰り返されてきた。
シンボルともいわれる、見事に復元された菱櫓が一際目を引くその姿は、かつての長い歴史と威厳を今に伝える。
- 住所
- 920-0000 石川県金沢市丸の内
- 名前
- 金沢城(尾山城)