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2007/9/13


細島港まつり Hoso-shima-minato-matsuri Hososhima Harbor Festival

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 細島港まつり(ほそしまみなとまつり)は、毎年七月下旬の金・土・日曜日、細島商業港周辺で行われる細島八幡宮の夏祭りである。
 明治二二(1889)年に全国で町村制が敷かれ、細島は宮崎、都城、延岡、油津とともに町となった。このことを記念し、交流の深い関西からこの祭りをもってきたといわれている。
 太鼓台をぶつけ合う男の祭りとして知られ、関西のだんじりと同じく喧嘩祭りとして勇壮な姿をみせる。祭りの夜、二台の太鼓台の激しいぶつかり合いにより、盛り上がりは最高潮に達する。
 細島八幡宮のご神体をのせた神輿が、はためく極彩色の大漁旗に守られ海上を駆け巡る神輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ)も行われ、航海安全と大漁を祈願する祭として大きな賑わいを見せる三日間である。
 
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2007/6/21


夏至 Geshi Geshi (Summer Solstice)

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 夏至(げし)とは、六月二一日頃の一年中で一番昼が長く夜が短い日。
 天文学的には、太陽が天球上で最も北に位置し、北半球では太陽の南中高度が一番高くなるため、起こる現象。
 南中高度が変わるのは、太陽の通り道が地軸に対して23・5度傾いているため起きるためである。この傾きが季節を作っていると言っても過言ではなく、太陽高度が高くなる夏至を過ぎると夏が訪れることになる。
 冬至などに比べこの時期に特別なことを行う風習は少ないようであるが、夏至の日から一一日たった七十二候の半夏至の頃には、関西地方では、田植えの時期であることから、稲がタコの足のようにしっかり根が生えるようにと祈りを込めてタコを食べる風習や、香川県讃岐地方では、田植えが終わった頃に手伝いの人に讃岐うどんを振舞うため、7月2日をさぬきうどんの日と制定している。
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2007/6/19


みなとこうべ海上花火大会 Minato-koube-kaijo-hanabi-taikai 

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 みなとこうべ海上花火大会は、兵庫県神戸市中央区波止場町のメリケンパーク前面海上にて行われている花火大会である。
 昭和四六(1971)年、ポートアイランドのコンテナバースで打ち上げたのが第1回目であるが、花火自体は昭和八(1933)年から行われていた。
 みなとこうべの夏の風物詩として市民に親しまれている花火大会で、海上から水中スターマインなど約6000発の花火が音楽にあわせて打ち上げられる。
 打ち上げ場所をグルリと囲むように海辺へ集まった観客は、その迫力に終始圧倒される。
 メリケンパーク周辺はモザイクガーデンやホテルなど、神戸の夜景スポットとして知られ、当日は花火とともに夜景を楽しめる。
 みなとこうべ海上花火大会は、関西を代表する花火大会である。
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2007/6/11


丹前 Tanzen Tanzen

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 丹前(たんぜん)とは防寒用の着物のことで、厚手のウール生地のものや、綿入りのものがある。
 特に、綿入りのもののことを関東では「どてら」とも言うが、関西では丹前と言う。
 浴衣の上から着ることが多く、細帯で締め、柄は縦縞のものが多く丹前縞と呼ばれる。
 江戸初期に、西神田雉子通りの堀丹後守屋敷前にあった、女性が昼間は髪すきや垢すり、夜は売春宿として営業していた湯女風呂「丹前風呂」で人気の湯女、勝山が変わった格好の着物が好きだった。
 そのため、彼女の目を引こうと男たちが綿の入った広袖に、広幅の帯を締めて風流をきどっていたのが由来とされている。
 後に武家につとめる使用人の間で流行し、その後一般にもひろがった。
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2007/6/6


太刀川家住宅 Tachikawa-ke-juutaku 

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 太刀川家住宅は、一代で財をなした太刀川家初代当主が明治三四(1901)年に建てた、レンガ造り2階建ての関西風商家。北海道・函館市に所在する。
 初代太刀川善吉は、米穀店を営むかたわら、持ち船筑紫丸で回漕業に乗り出し、巨額の富を築いたという。
 大火の多かった函館らしく、防火用にレンガ壁の上から漆喰を塗ってある。また、底、軒天井、持送り、腕木はモルタル漆喰の塗り込め仕上げがされているほか、2本の鋳鉄柱を配置し、その上に三連のアーチを設けるなど、洋風建築の意匠を取り入れている。 
 建物内部は直径60cm以上の柱の梁があり、木組みは豪快そのもの。土蔵造りの倉も風格がある。店舗と仏間を仕切る化粧板はケヤキの一枚板に輪島塗を施しており、建築学者もうならせるほどの立派なものである。
 太刀川家住宅は、昭和五二年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/4/26


針供養 Hari-kuyou 

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 針供養(はりくよう)は折れた針を神社に納めて供養する行事であり、関東では2月8日、関西では12月8日に行なわれることが多い。
 豆腐、こんにゃく、餅などの柔らかいものに古針を刺し、普段硬いものを刺している針を休ませる。
 紙に包み奉納したり、海に流すなど地方により異なる風習を持つ場合もある。
 針の供養と自身の裁縫の上達を願ったのが始まりとされ、当日は針仕事を謹み、柔らかい煮物を食べて手を休める、という女性の休日でもあった。
 和歌山の淡島神社、浅草の淡島社で行なわれるものが有名であり、当日は裁縫や女性の神である婆利才女(はりさいじょ)が祭られ、全国から集まった針を労わり、供養が行なわれる。
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2007/4/25


清水武 Shimizu Takeshi 

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 兵庫県、丹波篠山地方に伝わる伝統工芸品、丹波立杭焼の伝統工芸士。
 1931(昭和六)年、丹波立杭生まれ。現代工芸展、日展、姫路芦屋市展、関西総合美展、など多数入選。
 丹波立杭焼は平安末期に発祥したとされ、日本六古窯の一つに数えられる。元々は穴窯を用いていたが、江戸時代初期に登り窯に変わり、この地方独特のものである「蹴りろくろ」と言われる左回転のろくろが使われるようになった。
 氏は若い頃、共同の窯では思う通りに作品が作れないと、自らの手で窯を作った。氏は現在でも創作の意思にあふれ、様々な試みを続け、伝統に新たな息吹を吹き込んでいる。
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2007/4/24


金剛能楽堂 Kongou-nougakudou 

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 金剛能楽堂とは、京都府京都市にある能舞台である。
 室町時代に創建した旧金剛能楽堂が移築され、現在の場所(京都御所付近)に平成15年に開館した。新金剛能楽堂には小川治平衛氏の庭園も移築され、かつての姿を残している。
 能は江戸時代までは「猿楽」と呼ばれていた。「金剛流」は能楽5流派のひとつであり、奈良の法隆寺に奉納した猿楽座の坂戸座を源流としている。5流派のうち4流派の宗家は東京を本拠地としているが、金剛流は唯一関西を宗家としている。
 その芸風は豪快で華やか、その中に凛とした優美さを供えたもので「舞金剛(まいこんごう)」といわれている。
 古きよき能舞台が、時代を超えて21世紀の建築物の中で蘇り、今の時代を生きている。
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