NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/22


新居浜市 銚子の滝 Niihama-shi Cyoushi-no-taki 

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 新居浜市南西部、大生院地区を流れる渦井川(うずいがわ)沿いの道を上流に向かい、途中林道を曲がると滝に通じる渓谷道の入口に出る。その滝は滝口が凹型になっていて、銚子の形に似ていることから「銚子の滝」と名づけられたという。
 付近には山吹(やまぶき)が多く自生しているため「山吹谷」と呼ばれる。この渓谷の遊歩道を登り、「銚子橋」と呼ばれる吊橋を渡ると銚子の滝に到着する。
 落差約三〇mの銚子の滝は、年間を通じて豊かな水量を保ち、滝壷にはあふれんばかりの水が貯えられているため、霧状の水しぶきが豪快に上がる。特に夏場は涼しくて爽快な気分を味わえる。初夏には色鮮やかな渓谷となり、ハイキングに最適である。
 昭和五三(1978)年四月六日に新浜市の名勝に指定されている。
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2008/8/13


武水別神社 Takemizuwake-Jinja 

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 武水別(たけみずわけ)神社は、長野県千曲市八幡に鎮座する神社である。祭神は、武水別神、誉田別命、息長帯比売命、比呼大神。孝元天皇の御代(紀元前214~紀元前158年)の創祠と伝えられている。
 祭神武水別神は水を司る神で、善光寺平の五穀豊饒と千曲川の治水を祈念して祀られたという。安和年間(968~70年)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長帯比売命・比呼大神が勧請され、八幡宮となった。
 以来、この地方随一の八幡宮として、木曽義仲や上杉謙信など武門の崇敬を受けた。明治以後、古来の武水別神社の名に復帰する。現在も地元で八幡さまと呼ばれ、親しまれている神社である。
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2008/7/22


天の真名井 Ame-no-manai 

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 天の真名井(あめのまない)は、鳥取県米子市淀江町高井谷の高台に湧く水である。環境庁の名水100選のひとつに選ばれている。
 古代から絶えず湧出し、生活に不可欠の水源として遠い昔から大切にされ、地域住民のふれあいの水辺として親しまれている。
 せせらぎや現役の水車の音が響く集落の中の遊歩道を辿ると、薄暗い竹林の中に、ほとばしる源泉と、澄んだ水をたたえた池がある。
 水量は一日2500トンで、水温は14度前後と年中一定しており、夏は冷たく冬は温かい。
 生活用水、農業用水、ニジマス養殖など広く活用されており、平成二(1990)年には周辺整備がなされ、カヤ葺きの水車小屋、あずまや、遊歩道、駐車場が整備された。
 天の真名井は、清浄な水に付けられる最大の敬称が名前の理由とされる、淡々と湧く名水である。
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2008/2/5


萬城の滝 Banjou-no-taki The Banjo Waterfall

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 天城の山々から湧き出る清純な水を集め、流れ落ちていく萬城の滝(ばんじょうのたき)は、狩野川(かのかわ)の支流、地蔵堂川から流れ落ちる、落差約20メートル、幅6メートルの滝である。
 滝の表と裏両方から見られることから、別名「両想いの滝」と呼ばれたり、滝の裏側を見ることができたため「裏見の滝」とも呼ばれる。
 この滝には、赤牛の伝説が残されている。赤牛にのった赤姫が、機を織る音が水の音と合わさり、牛のなき声に似ているので、滝の主は赤牛である、と伝えた話が残されている。
 近くには千年木と呼ばれるケヤキの古木があったり、キャンプ場やわさび田などもあり、緑豊かな自然が滝周辺には多く存在する。
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2008/1/29


【水】 Sui Water

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 象形文字としては最も古い甲骨文の字形にあるように、小さな水の流れを示しています。甲骨文には両側の三つの水滴で飛沫の様子を強張する形がありますが、金文になるとそれはもう見えなくなってきます。その代わりに両側に水滴が二つになり、すでに現在の常用漢字の字体と大体一致した構造の形に省略されてきました。
 この字は明らかに「雨」ではないのですが、ちょっと雨を思い出させる点があります。ただ、ストレートに空から落ちてくる水滴ではなく、勢いよく飛沫をピシャピシャとはねさせて、さらさら流れる自然の水の様子を象っているのでしょう。
 中国で、「万物は木・火・土・金・水から成る」という五行思想が生まれるのは孔子の時代に近く中国戦国時代からで、水は伝統的にその行の一つとして重視されてきました。『礼記』と『孟子』に水を君子と例える比喩が見られ、『老子』は水の謙虚でかつ強かな質をほめます。白川文字学まで漢字研究の通説となっていた1900年前の後漢の字書『説文解字』では、水の字をむりやり当時の政治理念でもあった陰陽説に適用して、真ん中は陽、両側の滴は陰だと説明しています。
 
■ 水・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/11/16


【清】 Sei Clean, Pure, Clear

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 清は氵(さんずい)と青をあわせた字で、篆文(てんぶん)ではじめてみられます。文字学では部首は必ずしもいつも概念を示すものではないのですが、これは部首が示すとおり、 本来も水の清さをいいます。その意味の根本は「青」にあり、そしてこの色は漢字成立当時の美意識を表しています。青の下部の要素は丹で、丹(硫黄を含む土石で顔料となった)を掘るための井戸(丹井)のなかに丹があることを意味します。青色の丹もその井戸から採取されました。上部の要素は生であり青々と生えている草をあらわします。
 漢字を作り出したのは中国古代王朝の殷の聖職者ですが、その後の周と違って殷の民族は沿岸民族または沿海に近い地域の民族です。現代でも船乗りは入れ墨をすることがありますが、特に沿海の民族には入れ墨、文身などが多く、それは当時の宗教観を表現するものでした。
 青は「聖なる色」として儀式で清めのためにつかわれていました。青銅器という呪器の青も偶然ではありません。青と合わせて朱も呪鎮の意味をこめて使われました。文身や祭器に飾られた色には悪霊を払う呪禁の力が宿っているとされていました。漢字の世界は呪術の世界でもあるのです。
 フォン・ゲーテやショーペンハウアーなどの色彩論でもあきらかにされていますが、聖なる色としての青・朱は強く視覚にうったえることは確かです。中でも、青は特に穏やかな、鎮めと清めの効果のある、呪鎮に最もふさわしい色と考えられました。
 
■ 清・篆文(てんぶん)
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2007/10/24


【潮】 Chou The Character for Tide

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 大自然をテーマとする親しみやすい字。
 本来は水と艸と日だけを合わせた字で、後で月が加わりました。日(太陽)の上下に草があります。左右が反対の字体もあります。月がはじめて加わるのは篆文(てんぶん)です。古代、太陽と月の天体の形そのものを表すためにその字の真ん中に点を付けることがありました(例外あり)。現在の「日」の真ん中の線はこういう由来です。また他の字と間違えないためでもあります。例えば、環の中の○と太陽を区別できるように。(実は、詩的な言葉使いでは、太陽、月、星はよく玉にたとえられました。『荘子』でもそうです。)
 潮の甲骨文字と金文(きんぶん)の旧字体には月の部分がまったくありません。勿論、古代人が月に興味がなかったというわけではありません。ただ、月の引力は潮の満ち干を起こさせるといった科学的な因果関係についての認識がなかっただけだと思われます。
 『百人一首』などのような平安文学をみても月に対する日本人の特別な思い入れがわかりますが、それほどまででないにしても、古代中国人の月への執着も著しいものです。青銅器に刻まれた金文にある望という字には、月を4週に分かつ時間の捉え方が見られます。また、この字には、月への執着だけではなく、月の引力発見にまで至らないものの、冷静な天文学的な、雲気などの観察との関係もみられます。
  
■ 潮・金文(きんぶん)
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