NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/3


種間寺 Tanema-ji 

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 四国霊場第34番札所である種間寺(たねまじ)は、敏達天皇六年、仏師達が航海の安全を祈って薬師如来像を彫刻し、本尾山の頂に安置、その後無事帰国することができたことから始まるとされる。
 境内は広く、昭和四五(1970)年に台風の被害を受けたことから、鉄筋コンクリート製の本堂を再建。本堂の手前には、持仏堂、大師堂、観音堂が建っている。
 種間寺という名は、弘法大師が訪れた際、お堂を整え唐から持ち帰った米、麦、粟、きび、豆の五穀の種を蒔いたことが由来とされている。
 ご本尊は安産の薬師として信仰されており、妊婦は柄杓を持参して祈願し、それを自宅の床の間に飾り、無事安産であれば柄杓を寺に納める、という慣わしが伝わっている。
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2007/9/19


一乗院跡 Ichijou-in-ato 

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 一乗院跡(いちじょういんあと)は、鹿児島県南さつま市坊津町にある寺跡である。県の文化財に指定されている。
 敏達天皇一二(583)年、百済の僧・日羅が仏教弘布のため建立したのが一乗院であり、その末寺は薩摩大隅の国内四七ヶ寺、坊津でも一八ヶ寺あったと言われる。
 日羅上人は自ら仏像三体を刻み、上中下の三坊舎を設けて安置した。坊津の名称は、これに由来する。
 長承二(1133)年、鳥羽上皇により上皇の願所となり、「如意珠山一乗院」の称号を賜る。
 延文二(1357)年に、成円上人が寺を島津氏の協力を得て中興し、天文一五(1545)年には後奈良上皇の願所となった。
 しかし明治二(1869)年、廃仏毀釈によって廃寺となり、現在は仁王石像一対と歴代上人の墓が残るのみとなっている。
 一乗院跡は、古の繁栄が偲ばれる史跡である。
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2007/2/27


平等寺 Byoudou-ji 

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 三輪山平等寺は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する曹洞宗の寺院。大神神社の神宮寺でもあった。
 敏達天皇十(581)年に聖徳太子により「大三輪寺」として開山されたと伝えられる。平安時代、弘法大師により遍照院と変名、鎌倉時代中期に慶円上人により現在の平等寺に改められ、大いに繁栄した。明治期に廃仏毀釈のために衰退するが、近年復興を果たしている。
 慶長五(1600)年には、関が原で敗れた薩摩藩主、島津義弘が祈祷寺の縁を頼り、一時滞在をしている。
 本尊の十一面観世音菩薩は聖徳太子が祈願満了と平和を祈願して刻んだものとされる。
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2007/1/29


普光寺 Fukou-ji Fukoji Temple

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 高野山真言宗、筑紫山、別名を紫陽花寺。
 敏達天皇十二(583)年、日羅により開山。平安期、鎌倉期に繁栄し、江戸初期までは「筑紫尾寺」の名を称して京都三聖寺の末寺として発展した。天正十四(1586)年、豊薩の役で打ち壊されるが文禄三(1594)年、岡城主中川久清により再興された。
 境内の岸壁に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)は中央に不動明王を刻み。制咤迦(せいたか)、矜羯羅(こんがら)の二童子を従え、右手には多聞天と弁財天が配される。
 高さ11・4メートル、顔だけでも2・4メートルの規模は、日本最大級のもの。
 境内に3000株を超える紫陽花が植えられており、6月の開花の時期には「あじさい祭」が催され、境内を彩る。
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