NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/31


観音寺城跡 Kannonji-jou-seki Kannonji Castle Ruins

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 観音寺城跡(かんのんじじょうせき)は、滋賀県蒲生郡安土町石寺にある城跡である。国指定の史跡となっている。
 築城年代は明らかでないが、標高432・7mの繖山(きぬがさやま)、通称観音寺山に近江の守護・佐々木氏累代が居城し、同氏が六角と京極の二流に分かれてのちは、惣家六角氏の居城となった。
 永禄一一(1568)年、六角義賢・義治父子の時、上洛を目指す織田信長に進攻されて落城、以後は廃城となった。
 ほぼ全山を城域として、いたるところに石塁・土塁をめぐらし、大小無数の郭を構築した中世山城として全国有数の規模をもつ。
 山頂付近の西国札所の観音正寺周辺には巨石を組んだ石垣などが残り、ハイキング道としても楽しめる。
 観音寺城跡は、かつての佐々木氏・六角氏を偲ばせる史跡である。
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2008/2/18


観音正寺 Kannon-shou-ji Kannonshoji Temple

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 西国三十三箇所は、近畿二府四県と岐阜県に点在する霊場であり、日本で最も歴史がある巡礼行といわれている。
 観音正寺(かんのんしょうじ)は、その第三十二番札所にあたる。
 琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂付近に位置し、まるで現世と離れるかのように粛々と佇んでいる。
 社伝によると、聖徳太子が近江国に創建した寺院で、鎌倉・室町時代には、近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け、三十三院の子院を擁し、絶大な勢力を誇ったとされている。
 その後、内戦や移築など時代に翻弄される憂き目も見たが、慶長二(1597)年に再び元の山上に戻った。
 以前のような、きらびやかな勢いはないが、現在も万事吉祥の縁結びの祈祷道場として篤く信仰されている。
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