NIPPON Kichi - 日本吉

記事数18件: 1~8 件表示     >>     >|  

2007/9/13


熊野本宮社 Kumano-honguu-sha Kumano Hongusha Shrine in Natori

Jp En

 名取市の高館には熊野信仰にゆかりの深い熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)がある。熊野信仰とは、熊野三山を聖地とする信仰のことで、同じ高館にある熊野那智神社、熊野神社新宮社とともに名取熊野三社のひとつに数えられる。
 熊野信仰は、神仏習合や浄土信仰の影響を受けて平安時代後期から盛んになった。高館山(名取山)を熊野連山に、名取川を熊野川に、仙台湾を熊野灘にみたて、奥州一の熊野信仰の場となっている。全国に熊野信仰に由来する神社があるが、三社が揃ってあるのはこの名取だけである。
 三社のなかで一番北に位置するのが本宮社である。平安末期、熊野権現を信仰していた老女のところへ山伏が尋ね、熊野の神のお告げを伝えた。保安四(1123)年、老女の勧請で創建されたという。本殿は木羽葺(こばぶき)で、落ち着いた風格である。
 本宮社には市の無形文化財の鹿踊りが伝わる。頭に鹿頭背を被り、赤地の旗には熊野本宮社、黄地の旗には五穀成就と記した二本の幟(のぼり)を背負った装いで踊る伝統的な芸態が伝承されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




花町神楽 Hanamachi-kagura Hanamachi Kagura

Jp En

 花町神楽(はなまちかぐら)は、宮城県名取市飯野坂にあった鹿島神社で演じられていた芸能で、もとは、鹿島神楽と呼ばれていた。
 鹿島神社が同じ名取市の館腰神社(たてこしじんじゃ)に合祀された後は花町神楽が正式な名称となり、どこの神社にも属さない民間の神楽団体が演じている。
 花町神楽の名前の由来は、藩主である伊達の殿様が飯野坂を通った時に沿道の桃の花にしばし見とれてしまったことがあった。それ以来、飯野坂には見とれるほど美しい花が咲く、ということからこの地が花町とよばれるようになり、鹿島神楽は花町神楽と呼ばれるようになった。
 演舞のはじめに神降ろしの祝詞が唱えられ、沈黙の中で祈祷の舞が繰り広げられる厳かな神楽である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/11


補陀寺 六角堂 Hoda-ji Rokkaku-dou 

Jp

 気仙沼のほぼ中心に位置する、静かな境内に佇む六角形のお堂。それが補陀寺六角堂(ほだじろっかくどう)である。
 全国的には、和様円堂は八角形が一般的であり、この六角堂のように六角形をしているものは珍しい。屋根は六角錐体で赤瓦が葺かれ、内外部共に朱塗りの須弥壇(しゅみだん)となっており、板天井には墨絵が描かれている。
 建立は宝暦一二(1762)年と伝えられ、江戸中期の技巧をこらした精巧で華麗なお堂として、宮城県の指定文化財ともなっている。
 このお堂には平安末期に名取熊野神社を勧請したと伝えられる伝説上の人物、名取老女が奥州を巡礼して建てた「奥州三十三観音霊場」の一つといういわれがあり、三〇番目の札所となっている。
 その後、奥州三十三観音霊場が衰退していく中、奥州札所再興の大願成就を発願して、この六角堂が建立されたといわれる。
 八角形ではなく六角形であるところに、歴史の伝説とロマンが、もしかしたら隠されているのかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




熊野堂舞楽 Kumano-dou-bugaku Kumanodo Bugaku

Jp En

 熊野堂舞楽(くまのどうぶがく)は宮城県名取市高舘熊野堂の熊野神社の春の例祭時に演じられる芸能で、古風な舞と様式を忠実に残す貴重な舞楽である。県指定の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 舞楽は二間四方の水上の上に設けられた仮設舞台で演じられる。背面に神楽幕が張られ、正面に神簾がおかれる。舞台後方では奏楽が、太鼓一、大拍子一、笛一のかたちで奏曲される。
 舞楽そのものは古代インド、中国、朝鮮から伝来した外来芸能である。熊野堂舞楽については山形県山寺立石寺林家から伝承されたもの、と伝えられているが明確な資料はなく定かではない。
 音調も古風で、すべて黙劇の祈薦の舞である。社家舞楽ではあるが、随所に修験の呪法としての舞の名残が見られる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/7


秋保神社 Akiu-jinja Akiu Shrine

Jp En

 秋保神社(あきうじんじゃ)は、宮城県仙台市の秋保町に鎮座する古社である。
 もとは坂上田村麻呂が創建した熊野神社が鎮座していたといわれるが、秋保氏十五代の盛房(もりふさ)が、永正一〇(1513)年に名取の長井氏との合戦の戦勝を祈願して、信濃国より諏訪神社を勧請したのが始まりとされる。
 その後は「お諏訪さま」として親しまれ、秋保にある長袋、馬場、境野、湯元、新川の五ヶ村の鎮守として信仰を集めていく。
 そして、明治四二(1909)年に秋保地区の神社等を総括合祀することとなり、秋保神社と改称し、今に至っている。
 秋になると秋保神社大祭が催され、今も地域の人々で大いに賑わいを見せるが、普段は市の保存樹木に指定されている大きなイチョウやシダレザクラの古木に囲まれた、すがすがしい緑と静寂な佇まいを持つ神社である。
 濃い緑に包まれて、静かな境内を散策すれば、神社の持つ長い歴史の一片を感じられるかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/6


薬湯山 泉明寺 Yakutou-san Senmyou-ji Yakutousan Myosenji Temple

Jp En

 薬湯山泉明寺(やくとうさんせんみょうじ)は、宮城県仙台市太白区の秋保町湯元薬師にある真言宗の寺である。本尊は薬師三尊。
 古来より薬師如来の霊応の地で、開湯1500年以上もの歴史を誇る日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師円仁(794~864)によって開創されたと言われる。
 宗祖・弘法大師空海の神仏習合の流れをくみ、主に加持祈濤を行っている。
 本尊である薬師如来と、日光月光菩薩及び十二神将は、平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられている。
 寺の横には赤レンガ造りの秋保温泉共同浴場がひっそりと佇んでおり、毎年5月5日には泉明寺境内で秋保温泉子育薬師祭が行なわれている。
 薬湯山泉明寺は、長い歴史を誇る、温泉街の守護寺である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




熊野那智神社 Kumano-nachi-jinja Kumano Nachi Shrine in Natori

Jp En

 熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)は、宮城県名取市高舘吉田にある神社である。祭神は、事解男尊。熊野神社・熊野本宮社と併せ熊野三所権現と称する。
 養老三年(719)年、閖上の漁夫が海底から神体を得て、高舘山頂に宮社を建て羽黒大権現として奉仕したのがはじめとされる。
 後に、名取の老巫女の熊野三神勧請にあたり、那智の分霊を合祀して、熊野那智神社と改称した。
 鎌倉時代に作られた銅鏡のうち37点が国の重要文化財に指定されており、境内には高野槙(こうやまき)と呼ばれる、直径112cmの枝ぶりも旺盛な巨木が育っている。
 また、社務所には重要文化財の懸仏が133体保存されている。
 熊野那智神社は、現在は作物・豊漁神として広く信仰されている古社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




耕龍寺 Kouryuu-ji Koryuji Temple

Jp En

 耕龍寺(こうりゅうじ)は、宮城県名取市増田北谷にある曹洞宗の寺である。
 応仁元(1467)年、室町時代前・中期の守護大名である伊達家第十一代・天海持宗によって開創された、伊達家ゆかりの古寺である。
 初代住職は持宗の第五男で、新潟県村上市の耕雲寺からやって来たという。
 山門は、伊達藩家老職・片倉家の居城であった白石城の門の一つを明治の初めに移築したもので、総ケヤキの素木造、屋根は切妻造の瓦葺で、薬医門類似形式の雄大な構えをしている。
 境内には、伊達家持宗夫妻の供養塔と言われる五輪塔2基がひっそりと佇んでおり、春には紅白の花桃三本が咲き誇る。
 耕龍寺は、立派な山門を持つ、長い歴史を誇る寺である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数18件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter