NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/11/27


白金自然教育園 shirogane-shizen-kyoikuen 

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 白金自然教育園(しろがねしぜんきょういくえん)は、東京都港区白金台にある20ヘクタールの自然園である。正式には、国立科学博物館・附属自然教育園という。
 元々は白金長者と呼ばれる豪族の館であったという。その後、江戸時代に高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)の下屋敷となり、明治に入ると陸海軍の火薬庫に、やがて白金御料地となった。
 この間、一般の人々は中に入る事ができなかったため、都内でもまれに見る豊かな自然が残された。
 昭和二四(1949)年、全域が国の天然記念物および史跡に指定され、同時に一般に公開されるようになった。
 森林・草原・湖沼など多彩な環境における種々の生物が見られ、自然の保護と自然観察を目的とし、昭和三〇年代の武蔵野の自然のありのままの姿を残している。
 白金自然教育園は、東京都心部に残る自然のオアシスである。
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2008/7/10


聖徳太子絵伝 Syoutokutaishi-eden 

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 聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)は、東京都台東区上野公園の東京国立博物館が所蔵している大和絵である。国宝に指定されている。
 延久元(1069)年、現在の大阪である摂津国の絵師・秦致貞(はたのちてい)により描かれた。
 奈良時代に始まった太子への信仰をもとに、太子の事績を描いたもので、元々は法隆寺東院の絵殿を飾っていた障子絵だったが、江戸時代に屏風に改装され、近年、10面のパネル装にされた。
 現存する聖徳太子の絵伝の中では最も古いもので、平安時代の装束に身を包んだ聖徳太子や、厩の前で太子を生む間人皇后、崇峻天皇を弑逆する蘇我馬子(そがのうまこ)など、よく知られた歴史の場面が登場する。
 聖徳太子絵伝は、初期大和絵の代表作と言われる説話画である。
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2008/2/7


ラルフ・キゲル Ralph Kiggell Ralph Kiggell

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 ラルフ・キゲル、英国出身。1960年、ザンビア生まれ。その作品において、東アジアからの影響を強く受けている木版画作家である。
 子供の頃から日本の木版画に興味を持ち、ロンドンの大英博物館で定期的に開催される浮世絵の特別展で、葛飾北斎や喜多川歌麿などの作品に触れる。1990年、木版画の勉強のために来日。木版画家の吉田遠志が設立した東京の吉田版画アカデミーで、遠志の息子で吉田博の孫でもある吉田司のもとで学ぶ。後に京都精華大学、そして多摩美術大学で現代木版画の技術を学ぶ。
 日本の木版画は、手作りの天然の素材を用いてすべての制作過程を手作業で行う。その繊細さがキゲル氏にぴったりとくるようだ。「手から木へ」そして「木から紙へ」という一連の流れには有機的な関係がある。まさに今私たちが生きているデジタル時代において、木版画は現代の芸術表現の中で特別な力を持つ重要な媒体であるとキゲル氏は考えている。
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2007/1/31


旧大乗院庭園 Kyu-daijyouin-teien Old Daijoin Garden

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 奈良市にある大乗院の庭園跡。
大乗院は南都七大寺の一つ、興福寺の門跡寺院として寛治元(1087)年に興福寺の北方に建立。治承四(1180)年、平重衡の奈良攻めよって焼失し、現在の場所に再興された。
 宝徳三(1451)年に再度焼失するが大乗院門跡尋尊により復興、この時庭園を作ったのが善阿弥であり、南都随一の名園として江戸末期まで残った。
 明治期の廃仏毀釈で消滅、跡地は明治四十二(1909)年、奈良ホテルとして再開された。
 現在、善阿弥の手による庭園の復興が行なわれており、庭園南部の「名勝大乗院庭園文化館」からその一部を見ることが出来る。
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2007/1/26


古代の丘 Kodai-no-oka Kodai-no-Oka and Jomon Village

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 山形県長井市にある発掘された遺跡の博物館。西山山麓、縄文村の中にある。
 長井市は縄文時代の遺跡が多い。昭和52年からの調査によって、この地が旧石器時代から弥生時代までの古代人の暮らしの場であったことがわかった。
 各遺跡から発掘された土偶や考古資料を縄文村で保管、村の中にある「古代の丘」には、土偶の巨大なオブジェななどが置かれている。
 復元された「竪穴式住居」では体験キャンプもできる。
 古くから残る、山、川、丘や森を大切に考え造られた施設でもあり、
 周囲にはめずらしい動物や植物なども生息している。
 秋などは、紅葉が綺麗でキャンプなどもできる。
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2007/1/25


夢二生家 Yumeji-seika The Birthplace of Yumeji Takehisa

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 岡山県瀬戸内市にある「夢二郷土美術館分館」には、竹久夢二が16歳まで過ごした生家を保存、公開している。多感な幼少年時代を過ごした部屋や茅葺の屋根も生前そのままの姿で見ることができる。
 大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の画家詩人竹久夢二は、明治17年、邑久町にあるこの家で生まれた。美しい山河に囲まれた恵まれた風土のこのふるさと、そしてこの生家こそ夢二芸術の原点と言える。
 ここには夢二の素描、版画などの作品も展示されており、窓の桟には嫁いだ姉を慕って落書きした跡も残っているという。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立つ。隣には、夢二自らの設計によるアトリエを復元した、「夢二少年山荘」も併設しており、夢二ファンなら一度は訪れたいスポットである。
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2007/1/24


奥能登塩田村 Okunoto-endenmura Oku-Noto Salt Pan Village

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 能登の人々と塩との関わりを展示した資料館及び体験型設備。
 四方を海に囲まれた日本では、海水から塩を取り出す方法が発達。色々な地方に、塩を作る浜辺=塩浜が作られた。
 その技法は大きく分類し、揚げ浜・入り浜の二つが挙げられるが、能登半島においては、多くの海岸で、揚げ浜式によって製塩が行われていた。
 奥能登塩田村がある珠洲市では、現在も五〇〇年前と、ほぼ同じ、揚げ浜式の技法によって塩が作られている。
 揚げ浜式とは、海水を手桶にくみ、何度も何度も砂に撒いて天日に干す方法。ミネラル豊富で、塩自体にもうまみがあるが、何よりその塩を調理に用いると、他の素材のうまみも引き上げられるのが特徴だ。
 奥能登塩田村では、この昔ながらの揚げ浜式の製塩法を体験、自分だけのオリジナルの塩を作ることができる。期間は五月から九月の間。
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2007/1/23


忍者屋敷 Ninjya-Yashiki Ninja House

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 三重県伊賀市上野には、伊賀流忍者博物館がある。その中にある忍者屋敷は、伊賀の土豪屋敷を移築した物である。
 伊賀地方では、この地で多く採れる薬草から秘薬の製造や、火薬の調合を行なっていた。その門外不出の秘密の製造方法を書き留めた巻物を狙い、賊の侵入がしばしば起こっていたという。
 そこで自衛のために、家の至る所にからくりを設け、巻物を隠したり、逃げるための時間を稼ぎだした。これらのからくりが、忍者屋敷と呼ばれる所以である。
 外観は何の変哲もないごく普通の茅葺きの農家だが、屋敷のあちこちに仕掛けが施されている。
 屋敷内ではドンデン返し、仕掛け戸、もの隠しなど、実演を交えて説明してくれる。
 伊賀の忍者屋敷は、戦国の昔を体感出来るアトラクション的建物である。
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