NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/17


会津塗 Aizu-nuri 

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 会津塗(あいづぬり)は福島県会津若松市を中心に生産される漆器で、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などがある。昭和五〇(1975)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 安土桃山時代に、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が、産業として奨励したことに始まる。近江の漆器職人を呼び寄せ、その技法を会津に広めた結果、漆器は会津の一大産業となった。
 幕末の戊辰戦争で壊滅的な打撃を受けるも、明治時代中期には再び活気を取り戻し、会津は日本有数の漆器産地として、今もその名をとどろかせている。
 工程によって、それぞれの専門職人が分業で行うのが特徴。そのため、より高い品質と能率的な生産を実現している。椀などロクロを使用して丸物を作る木地師(きじし)、重箱などカンナを駆使して板物を作る惣輪師(そうわし)、それらに豪華な飾りを施す蒔絵師(まきえし)・漆絵師(うるしえし)・沈金師(ちんきんし)がいる。縁起の良い図柄で人気が高い。
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2007/11/20


香炉 Kouro 

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 香炉(こうろ)とは、香を焚き、楽しむための器であり、上面、または側面に大きく開口した筒、椀、箱、皿状の容器である。
 インドに起源をもつ香炉は、中国・朝鮮を経て、仏教の伝来後、間もない時代に日本にも渡来したとされている。
 香炉は、金属・陶磁器などで作られており、インドでは臭気を消すために利用されていたが、日本に伝わってからは、仏具として多く使われるようになった。
 焼香は人間の悩みを乗り越えて精進する事を意味し、また、塗香(ずこう)という、香りを身体にあてて清める方法があり、これを持戒として正しい生活を送る事を、仏道では釈迦が諭している。
 仏具としてだけでなく、工芸品としての香炉も存在し、居間や寝室でも香の香りを楽しめる。
 香炉は、香を焚くための仏具であり、伝統的な工芸品道具である。
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2007/9/28


日野椀 Hino-wan Hino Lacquered Bowls

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 日野椀(ひのわん)は、滋賀県蒲生郡日野町に伝わる伝統工芸品である。
 天文二(1533)年、城主・蒲生定秀(がもうさだひで)が日野城下町を作った時、綿向山下に散在していた木地師や塗師を集めて塗師町・堅地町を設け、日野椀の生産を始めたとされている。
 貞秀の孫である氏郷が、天正一二(1584)年に転封したため、一時日野椀作りは衰微したが、日野商人たちが日野椀を行商の主力商品としたことから再び日野椀の生産が盛んになり、江戸初期には日本有数の椀の産地となり、広くその名が知られるようになった。
 初期に生産され今も残存する器は、祭器が多く見られ、厚手・高い高台を特徴とする。
 日野椀は、庶民使いの漆器として、日野商人による行商で全国へ広まった伝統工芸品である。
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大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/5/31


高岡漆器 Takaoka-shikki Takaoka Lacquerware

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 富山県高岡市に約四世紀の歴史を持つ「高岡漆器」。歴史の中で育まれた知恵と技の結晶は、様々なかたちで私たちの暮らしに息づいている。
 起こりは江戸時代初期。加賀二百万石の藩主前田利長が、現富山県高岡市に高岡城を築いた際、武具や箪笥、膳など日常生活品を作らせたのがはじまりだという。その後、中国から堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)などの技法が伝えられ、多彩な技術が発展した。こうして風景や人物、模様などを錆絵(さびえ)で描き、これに青貝とろう石を交えた「勇介塗り」などが生み出されたのである。また、明治中期に創案された色漆を使って立体感を出してゆく「彫刻塗り」は鎌倉時代の格調を持つ技法として独自の味わいを持つ。他産地に類を見ない多彩な技法は昭和50年に、国の伝統的工芸品の指定を受けた。
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2007/2/1


会津漆器 Aizusikki Aizu Lacquerware

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 会津漆器は、福島県会津若松市にて焼かれる伝統工芸品である。
 天正十七(1590)年、会津領主となった蒲生氏郷が、日野から木地師や塗師を呼び寄せ、産業として奨励した。
 これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾までを一貫して手がける一大産地となっていった。
 江戸時代には中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎える。
 幕末の戊辰戦争において大打撃を受けたが、明治の中期には日本有数の漆器産地として復活した。
 錆絵(さびえ)を使った渋い鉄錆塗、米のもみ殻で模様を出す金虫くい塗、木目の美しい木地呂塗と、多彩な塗り技法が特徴である。
 会津漆器は、日本人好みの縁起の良い図案や、多彩な加飾が楽しめる、400年という時を超えて生き抜いた伝統の工芸品である。
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2007/1/29


大西勲(人間国宝) Oonishi Isao Isao Onishi (Living National Treasure)

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 大西勲氏は昭和十九(1944)年6月30日生。平成14年漆塗りを主とする漆芸技法、髹漆(きゅうしつ)の重要無形文化財の保持者に認定された。
 大西勲氏は、鎌倉彫を学んだ後、昭和四十九(1974)年から赤地友哉(あかじゆうさい)に師事、曲輪造り(まげわつくり)を主とする髹漆の技法を習得した。
 髹漆の幅広い技法のうち、曲輪造りは木材の薄板を環状に曲げ、個々の曲輪を組合わせて素地を形成するもの。大西氏は素地の造形から上塗り・仕上げに到る一貫した制作を取っている。その品格高い優れた作品が評価され、第4〇回日本伝統工芸展の文部大臣賞、第15回日本伝統漆芸展の文化庁長官賞など、数々の賞を受けている。
 また、氏は漆芸技法の保存・伝承にも力を注いでおり、長年にわたり石川県立輪島漆芸技術研修所で後進の指導に当たっているという。
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太田儔(人間国宝) Oota Hitoshi Hitoshi Ota (Living National Treasure)

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 昭和六(1931)年生まれ。平成六(1994)年、重要無形文化財「蒟醤(きんま)」の保持者(人間国宝)に認定される。
 蒟醤(きんま)は竹で編んだ素地に漆を塗り、これに剣という特殊な彫刻刀で模様を線彫し、色漆を詰めて研ぎ出したもの。線刻の美しさがきわだつ伝統工芸だ。
 昭和二十八(1953)年、讃岐漆芸中興の祖と称される磯井如真の内弟子になり漆芸技法を学ぶ。
 やがて氏は籃胎(らんたい・表皮を取って裂いた竹、または蔓植物を編んで器形にしたもの)を素地とした「布目彫り蒟醤(ぬのめぼりきんま)」を考案、多種多様の剣を巧みに活かし、独自の意匠を掘り出してきた。現在もなお、現代感覚あふれ、色彩の美しい絵画的な作品を数々世に送り出し、高い評価を得ている。
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