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桜井町の棒の手(さくらいちょうのぼうのて)は、愛知県安城市桜井町に伝わる民俗芸能である。
戦国時代、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲により破れた今川方の武士、式部太夫(しきぶだゆう)が戦の後もこの地に留まり、自衛のために農民に棒術を教えたこと始まりと言われ、当時は「式部流(しきぶりゅう)」とよばれた。
やがて太平時代を迎えると、棒の手は五穀豊穣を願って奉納されるようになった。
演技は棒のみを用いる「表」と、槍や十手、鎌などのキレモノを用いる「裏」がある。
棒の手は現在まで大切に受け継がれ、地元の小学生による演技も上演されるようになった。
昭和三九(1964)年に県の無形民俗文化財の指定を受ける。
戦国時代、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲により破れた今川方の武士、式部太夫(しきぶだゆう)が戦の後もこの地に留まり、自衛のために農民に棒術を教えたこと始まりと言われ、当時は「式部流(しきぶりゅう)」とよばれた。
やがて太平時代を迎えると、棒の手は五穀豊穣を願って奉納されるようになった。
演技は棒のみを用いる「表」と、槍や十手、鎌などのキレモノを用いる「裏」がある。
棒の手は現在まで大切に受け継がれ、地元の小学生による演技も上演されるようになった。
昭和三九(1964)年に県の無形民俗文化財の指定を受ける。
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