NIPPON Kichi - 日本吉

記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  

2007/10/31


如意輪寺 Nyoirin-ji Nyoirinji Temple

Jp En

 如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺である。
 延喜年間(901〜923)、文章博士三善清行の子で、日蔵道賢上人の草創とされる。本尊は如意輪観音。
 1336年、南北朝の戦いに敗れて吉野に行宮を定めた後醍醐天皇の勅願所となった。
 後醍醐天皇の没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣する前に、やじりで堂の扉に辞世の歌を刻んだことでも知られている。
 慶安3(1650)年、文誉鉄牛上人が来て、本堂を再興し、真言宗を改めて浄土宗となった。
 如意輪寺には、南朝時代の寺宝や忿怒の姿を表した蔵王権現像、日本最大の寝拝観音「ねおがみ観音」など、歴史的に貴重な品が数多く展示されている。
 如意輪寺は、そこにいるだけで歴史を体感出来る、伝統の寺院である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




吉野 西行庵 Yoshino Saigyou-an Yoshino Saigyo-an Hut

Jp En

 西行庵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある庵である。
 西行は、「新古今集」や「山家集」で知られる、平安末期の歌人。西行庵は、旅の歌人・西行法師が、俗塵を避けて3年の春秋を隠棲したとされる小さな庵である。
 近くには今も苔清水と呼ばれる清らかな水が湧き出ていて、貞亨元(1684)年には西行を慕って松尾芭蕉もここを訪れ、歌を詠んでいる。
 清水は、大和の水31選の一つに数えられている。
 西行の歌碑や、芭蕉の句碑が立ち、春秋は桜、紅葉が美しい。
 西行庵は、歌の心を刺激する場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/5


西行 Saigyou Saigyo

Jp En

 平安末期から鎌倉時代初期に活躍した大歌人である西行(さいぎょう)は、宮廷ではなく、山里などの僻地を好み、花鳥風月を愛でながら、生命の歌を詠んだ。
 元永元(1118)年に、武士の家系に誕生。一八歳で兵衛尉(皇室の警護兵)になり、鳥羽上皇に仕えた。文武両道で容姿端麗、政界にその名を轟かせたが、世の無常を感じ、二三歳で出家した。「西行」を法号とする。
 大寺院、特定の宗派には属さず、山里の庵に籠もって、和歌を通して悟りを求めた。郊外の小倉山(嵯峨)や鞍馬山、秘境霊場の奈良・吉野山、真言霊場・高野山などに庵を結んだ。四国巡礼を経て、再び高野山、伊勢に入り、最後は河内弘川寺(大阪府河南町)に辿り着き、この地で入寂した。
 『新古今和歌集』には最多の九四首が入選。『山家集』『山家心中集』『聞書集』などを残した。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/10


勝手神社 Katte-jinjya Katte Shrine

Jp En

 勝手神社(かってじんじゃ)は、奈良県吉野町吉野山にある神社である。祭神は、大山祇神・木花咲耶姫命ほか3神。
 吉野八社明神の一つとされる。
 672年、壬申の乱の折、吉野に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神前で琴を奏でていると天女が舞い、吉兆を示したという伝説がある。
 1185年には、雪の吉野山で源義経と別れた静御前が追手に捕らえられた際、この社殿の前で雅な姿で法楽の舞いをまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたという話が伝えられている。
 社殿は火災による焼失後、安永5(1776)年に再建されたものであったが、2005年、不審火により再び焼失してしまった。
 現在は一部に当初の木肌を残すのみで、有形文化財としての復興は難しいと言われている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/19


山あげ祭 Yama-age-matsuri Yamaage Festival

Jp En

 山あげ祭(やまあげまつり)は、栃木県那須烏山市で毎年7月に行われる祭りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「山あげ」とは、歌舞伎の野外劇の事である。
 永禄三(1560)年、烏山城主那須資胤が素盞鳴命を八雲神社に祀り、天下泰平、五穀豊穣を祈願したのが起源とされる。
 寛文年間(1661~72)、奉納余興として行われていた相撲や神楽獅子などに加え、踊りを上演するようになった。
 宝暦年間(1716~63)、歌舞伎舞踊がはじまり、やがて現在の野外歌舞伎の形態となった。
 祭では那須烏山特産の和紙を使用したはりか山を背景に、歌舞伎を常盤津の三味線で上演する。
 演目は「将門」「戻り橋」「吉野山」で、所作狂言が終了直後に山あげの道具屋台を次の場所に移動し、1日に5~6回上演する。
 山あげ祭は、迫力ある歌舞伎を見られる歴史的な祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/13


桜本坊 Sakuramoto-bou Sakuramotobo Temple

Jp En

 桜本坊(さくらもとぼう)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある修験道の寺である。本尊は、役行者神変大菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像。
 創建は7世紀後半、役行者の高弟日雄角乗によるものとされる。
 名前は、ここ吉野の地で大海人の皇子(天武天皇)が、咲き誇る桜の夢を見て発願したという事からついた。
 もともとは日雄離宮といい、金峯寺屈指の塔頭寺院であった。金峯山修験本宗とは、金峯山寺と東南院、桜本坊の三寺で成り立っているものである。
 桜本坊は、明治以前では吉野で一番大きな護持院であったとされている。また、山伏文化の殿堂と言えるほど、宝物が多く残っている事で有名である。
 桜本坊は、明治期に1度廃寺となりながらも、力強く復興した長い歴史を持つ寺である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




金峯神社 Kinpu-jinja Kinpu Shrine

Jp En

 金峯神社(きんぷじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある神社である。祭神は、金山毘古命(かなやまひこのみこと)、金山姫神(かなやまひめがみ)とされる。金山毘古命は、吉野山の地主神である。
 吉野の最も奥の奥千本にあり、杉や桜の老樹におおわれて鎮座している、夏でもひんやりとした冷気につつまれている神社である。
 金峰神社脇の小径を下った場所には、義経隠れ塔という義経伝説を持つ塔が建っている。
 金山毘古命は、金鉱の守り神でもある。かつてこのあたりは「御金の岳」と呼ばれて金鉱があると考えらた一帯であり、古い書物には「金峯山はみな黄金なり」などと記されている。
 金峯神社は修験道の道場ともなっており、今でも毎年数百人の修験者が山伏姿で山上ケ岳を目指しているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




妙法殿 Myouhou-den Myohoden Hall

Jp En

 妙法殿は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある修験道の金峰山寺寺内にある建物である。本尊は、釈迦如来像。
 元々この場所には、後醍醐天皇の南朝時の住まいがあったとされている。
 昭和38(1963)年、金峰山寺は、南朝皇居跡の一角に南朝四帝と南北朝時代以後の戦乱によって死亡した多くの霊を祭るため、南朝妙法殿を建立した。
 元は実城寺の本尊であった、木造釈迦如来座像は、数多い金峰山寺の仏たちの中でも最も古い仏像で、九世紀末か十世紀初めごろの制作といわれ、檜の一木から彫り出されている貴重な品である。
 春には吉野山の桜が綺麗に咲き、雨の上がった日や雪の降る日の景色は最高である。
 妙法殿は、訪れるものを楽しませてくれる、鎮魂の場である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter