NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/24


肥後こま Higo-koma 

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 熊本県熊本市の「肥後こま(ひごこま)」は、鮮やかな色が特長の郷土玩具である。
 肥後こまの色は五色あり、頭の部分に筆で、赤・黄・緑・黒と華麗な色付けをし、外側は必ず白い木地のままにしておくのが特徴である。赤は心臓、黄は肝臓、緑はすい臓、黒は腎臓、そして白は肺というように、それぞれが身体の五臓にたとえられ、健康長寿への願いが込められている。
 江戸時代は武家の子弟の遊びであったが、明治時代に入り庶民の間に広がり、子どもの玩具、土産物として親しまれるようになった。
 こまになる材料は、伐採後五年から一〇年乾燥させた椿やコヤス、サルスベリ等が使われている。
 肥後こまの種類には、トンボ、チョンカケ、ヒネリ、坊主、唐人、出ベソ、二段、ドンベン、ダルマ、タッツケ、マンジュウ、コショウ、ニシキの一三種類がある。その中でも特別な演技目的があるチョンカケなどには、ツバキ等の重くて堅い木が使用される。チョンカケごまとは、肥後こまの中でも代表的なもので、紐を使って空中で回すものである。
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2007/12/25


真田紐 Sanada-himo 

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 真田紐(さなだひも)は、縦糸と横糸を使い機(はた)で織った平たく狭い織物の紐のことである。一重織り、袋織りがあり、材料は木綿、正絹を使い、伸びにくく丈夫な特徴を持つため、重いものを吊ったり、物をしっかりと括ったり縛ったりする際に用いられる。
 主に茶道具の桐箱の紐、刀の下げ緒、鎧兜着用時の紐、帯締め、帯留め用の紐、荷物紐等に使用されてきた。現在では、その多くが衣料の分野で活用されている。
 真田紐は戦国の武将・真田幸村(さなだゆきむら)の父・真田昌幸(さなだまさゆき)が、強く丈夫な紐であることから武具、甲冑などに頻繁に用いたことからその名が付けられたといわれている。
 その後、久度山に幽閉された真田幸村とその家族が、真田紐を作り、それを家臣が堺の商人と共に全国に売り歩き、その名が知れ渡ることとなった。
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2007/11/14


伊賀組紐 Iga-Kumihimo 

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 伊賀組紐(いがくみひも)は、三重県伊賀市で発祥したとされる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 組紐とは、絹糸で主に金銀糸などを組糸に使い、高台、丸台、角台、綾竹台などの伝統的な組台を使って繊細な美しさを持つ紐に作り上げたものである。
 伊賀組紐の組紐技術は、奈良時代、仏教伝来とともに大陸から伝えられたとされ、経典や袈裟などに用いられた。
 武士階級の時代になると甲冑や刀剣の紐が多く生産されるようになり、武具類を中心とする組紐文化が生まれた。
 明治維新後の廃刀令で武家社会が崩壊してからは、江戸時代の伝統組紐の技術は和装に欠くことのできない帯締め、羽織紐へと移行していった。
 伊賀組紐は現在、和装だけでなく洋装にまで幅広く利用されている、伝統ある工芸品である。
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2007/11/12


調べ緒 Shirabe-o Shirabeo

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 調べ緒(しらべお)は、調べとも呼ばれる、小鼓・大鼓・太鼓などで使用される紐のことである。
 二つの鼓面をつなぐ役割だけではなく、鼓の奏者は、演奏中にも胴と皮を結ぶ調べ緒をきつくしたり緩めたりすることによって楽器の音の調律をするため、出来具合で鼓の響きが決まってしまう。
 古くからあるものだが、専門の調べ司(しらべし)が生まれる明治一〇(1877)年ごろまでは、楽師などがあり合せの丈夫な繊維で調律をしていた。
 調べ緒は、日本麻2本をより合わせた後、25もの細かい手順によって作られる。奏者が握っても伸びずに元にもどるコシと、長い時間使っていても手の皮を痛めない柔らかさが同時に求められ、製作には技術と経験が必要とされる。
 調べ緒は、鼓が使用される能楽、歌舞伎、長唄、民謡などで大変重要な部品となる伝統的な紐である。
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2007/11/7


とんぼ玉 Tonbo-dama Dragonfly Ball

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 「とんぼ玉」-この風変わりな名前を持つ小さな玉のことをご存知だろうか。とんぼ玉とは、簡単に言えば色文様の付いたガラス玉で、紐を通す孔の空いたビーズのことである。漢字で書くと「蜻蛉玉」、欧米語では「glassbeads」と呼ぶ。
とんぼ玉の歴史は古く、メソポタミア文明やエジプト文明の時代にまで遡る。そして現在まで3500年に渡り世界各国で多種多様なとんぼ玉が作られ、多くの人々を魅了している。
 日本には江戸時代に南蛮貿易により伝来。表面に円文様をあしらった、とんぼの眼を思わせることから「とんぼ玉」と呼ぶようになった。以来400年あまり、様々な製法や表現方法が発達し、今では多数の現代作家のもとで美しいとんぼ玉が作られている。
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2007/9/14


【環】 Kan The Character for Cycle, Ring, Surround

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 環境の環。その形がなかなか深い意味を語っています。上の部分は目です。その下に衣と○があります。○は玉。この三つの要素を含む字体のほかに、さらに強調のために玉偏(たまへん)をつける字体もあります。玉偏自体は三つの玉を貫く紐の形です。
 この字は実は古代の葬儀、死者の復活思想、信仰と関係があります。上の目は開いているので、死者の復活を願う象徴です。古代には死者に玉の賜物を副葬品として添える習慣があったのです。この字はその玉を衣服の襟元に置いた形です。玉を死者の口に含ませることもあり、それは「含」という字になりました。
 白川静先生の著作、『孔子伝』などにもしばしば出てくる荘子の『荘子(南華真経)』に、こういう様々な古代の習慣がよく取り上げられています。もちろんむしろ否定的に。例えば、『荘子(南華真経)』外物篇に道徳的よりどころであるはずの『詩経』と『禮経』の墓と副葬品などの詳しい記述を頼りに、墓を盗掘したり、死者に添えた玉を奪おうとする儒者のことが風刺的に描かれています。
 また白川先生が、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎には、漢字の世界をある意味で哲学化した荘子の影響がかなり見られると指摘されているように、そういう背景から見ると漢字には古今を結ぶ一面があります。
 人類の生死に関わる環境。健全な環境の保持を考えるにふさわしい字ではないしょうか。
 
■ 環・金文(きんぶん)
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2007/7/30


民芸陶器(縄文象嵌) Mingei-touki(joumon-zougan) Minge Pottery, Jomon Zogan

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 「民芸」とは、民衆的工芸の略で、一般民衆が日常使う雑器のことを意味する。「象嵌(ぞうがん)」の象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌は、ひとつの素材に異質の素材を嵌め込む技法を指す。
 民芸陶器の「縄文象嵌(じょうもんぞうがん)」は、民芸の健やかな陶器作りの精神を受け継ぎながら、独自の縄文象嵌方法を取り入れたもの。作陶の際、まだ素地の柔らかいうちに表面に組紐を転がして縄文の紋様を付ける。そして、その窪みに素地とは異なった白い粘土を埋めて削ることで、素地の紋様の白とのコントラストの美しさを出す技法である。
 この縄文象嵌の人間国宝認定者に島岡達三氏がいる。益子の土と釉薬を用いる制作を基盤とし、独自の縄文象嵌方法を確立。穏やかで現代感覚にあふれた作風は、国内外で高く評価されている。
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2007/6/8


能面 翁 Noumen Okina Okina Noh Mask

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 翁(おきな)面は能面の中でも最も象徴的な面のひとつだが、じつはこの面は能が出来る以前から存在していたという。
 大和朝廷以降の神楽舞で、族長が舞って寿詞(よごと)を述べたのが翁舞の源流であるとされるが、この翁面は神の面として神聖視されていた。
 また、能がまだ猿楽能と呼ばれていた平安中期から鎌倉時代の頃、猿楽座が表芸として演じていたのが「翁猿楽」であり、翁面・三番猿楽・父尉の三翁の祝祷(しゅくとう)の舞を中心とした式三番(しきさんば)であって、現在の「翁」の元となっている。
 翁面と言えば白式尉(はくしきじょう)で、綿を付けたようなぼうぼう眉、「へ」の字型の目をした福々しい笑顔、頬と紐で繋いだ「切り顎」など、他の能面に見られない古様を伝えている。この神聖なる老人の面は、天下泰平、五穀豊穣、家門や子孫の繁栄、そして長寿の祝福を祈り、もたらす神とされている。
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