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2008/1/15


一之宮 貫前神社 Ichinomiya Nukisaki-jinja 

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 上野國一之宮。延喜式神名帳では名神大社に列する。
 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)の開基については諸説あるが、安閑天皇の元(531)年頃と言われ、一般に多胡碑(たごひ)などで知られる甘良(甘楽)の谷の帰化人集団が祀ったのが始まりと見られている。
 赤城神社から一之宮の称号を譲られたと言われ、渡来系氏族による古代上毛野國征服を表すとも伝えられる。
 もとは貫前神と抜鉾神(ぬきほこのかみ)の二社二神であったが、両社が一社と混同されるようになったので明治に入り貫前神社と名乗り、戦後の社格廃止に伴い一宮貫前神社と改称したと言われる。
 参道を上り正面の鳥居をくぐって急な石段を下ったところに社殿が有る、という特異な構えが特徴で、勅額鳥居の東隣等に神宮寺跡の石垣が残る。社域は約九万平米。総門から見下ろす朱塗りの社殿と社叢の調和には息を飲む。
 寛永一二(1635)年に徳川幕府によって造営された、本殿、拝殿、楼門は重要文化財に指定されている。
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2007/10/1


松平東照宮 Matsudaira-toushou-guu Toshogu Shrine in Matsudaira

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 徳川家康を祀る神社のことを「東照宮(とうしょうぐう)」といい、幕府によって建立された日光、久能山などをはじめ、徳川氏に臣従した大名家が競って各地に建立したため、一時は全国に五〇〇社を超える東照宮があったとされる。明治に入り廃社や合祀が相次ぐにつれ、その数は減っていき、現存するのは約一三〇社とされる。
 市街地から離れた山村、松平町にある松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)はその現存する社のひとつである。松平郷領主、松平親氏(ちかうじ)が祀られているという。親氏は信仰と慈悲の心が深かったといわれており、領内に菩提寺となる高月院を初めとした、多くの寺社仏閣を建立した人物である。
 大正時代まで松平家が住んだとされ、境内には屋敷跡や徳川家康産湯の古い井戸跡などの史跡がある。また、敷地全体が松平家の屋敷跡であるため、神社の周りの石垣や濠が、当時の趣を感じさせてくれる。
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2007/9/14


宮崎 幸福神社 Miyazaki Koufuku-jinja Kofuku Shrine in Miyazaki

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 日向市にある「幸福神社(こうふくじんじゃ)」は、富高陣屋の鎮守稲荷として、安永五(1776)年正月に伏見の正一位稲荷五社大名神の分霊を祀ったとされる。富高陣屋は、日向天領を治めた日田代官所の出張所であった。揖斐富治郎(いびとみじろう)代官はその陣屋の鬼門除けとして、この神社を勧請したとされる。
 後の明治元年、町内の天神社その他の社を合わせ、大国主神(おおくにぬし)、事代主神(ことしろぬし)、宇迦之御魂神(うかのみたま)、少名彦神(すくなひこのかみ)、岩永姫命(いわながひめのみこと)、菅原道実公を合祀した。
 食物の神であり農耕農作の神である稲荷を幸とし、大国主神は福の神であることから福として、幸福神社と名づけたと伝えられている。
 神社の境内には、樹齢百十数年といわれる珍しい夫婦楠がそびえ立ち、神社の名に相応しいシンボルともなっている。その名前にあやかり、幸せを願う参拝者が多く訪れる。
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2007/9/13


花町神楽 Hanamachi-kagura Hanamachi Kagura

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 花町神楽(はなまちかぐら)は、宮城県名取市飯野坂にあった鹿島神社で演じられていた芸能で、もとは、鹿島神楽と呼ばれていた。
 鹿島神社が同じ名取市の館腰神社(たてこしじんじゃ)に合祀された後は花町神楽が正式な名称となり、どこの神社にも属さない民間の神楽団体が演じている。
 花町神楽の名前の由来は、藩主である伊達の殿様が飯野坂を通った時に沿道の桃の花にしばし見とれてしまったことがあった。それ以来、飯野坂には見とれるほど美しい花が咲く、ということからこの地が花町とよばれるようになり、鹿島神楽は花町神楽と呼ばれるようになった。
 演舞のはじめに神降ろしの祝詞が唱えられ、沈黙の中で祈祷の舞が繰り広げられる厳かな神楽である。
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2007/9/7


秋保神社 Akiu-jinja Akiu Shrine

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 秋保神社(あきうじんじゃ)は、宮城県仙台市の秋保町に鎮座する古社である。
 もとは坂上田村麻呂が創建した熊野神社が鎮座していたといわれるが、秋保氏十五代の盛房(もりふさ)が、永正一〇(1513)年に名取の長井氏との合戦の戦勝を祈願して、信濃国より諏訪神社を勧請したのが始まりとされる。
 その後は「お諏訪さま」として親しまれ、秋保にある長袋、馬場、境野、湯元、新川の五ヶ村の鎮守として信仰を集めていく。
 そして、明治四二(1909)年に秋保地区の神社等を総括合祀することとなり、秋保神社と改称し、今に至っている。
 秋になると秋保神社大祭が催され、今も地域の人々で大いに賑わいを見せるが、普段は市の保存樹木に指定されている大きなイチョウやシダレザクラの古木に囲まれた、すがすがしい緑と静寂な佇まいを持つ神社である。
 濃い緑に包まれて、静かな境内を散策すれば、神社の持つ長い歴史の一片を感じられるかもしれない。
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2007/9/6


熊野那智神社 Kumano-nachi-jinja Kumano Nachi Shrine in Natori

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 熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)は、宮城県名取市高舘吉田にある神社である。祭神は、事解男尊。熊野神社・熊野本宮社と併せ熊野三所権現と称する。
 養老三年(719)年、閖上の漁夫が海底から神体を得て、高舘山頂に宮社を建て羽黒大権現として奉仕したのがはじめとされる。
 後に、名取の老巫女の熊野三神勧請にあたり、那智の分霊を合祀して、熊野那智神社と改称した。
 鎌倉時代に作られた銅鏡のうち37点が国の重要文化財に指定されており、境内には高野槙(こうやまき)と呼ばれる、直径112cmの枝ぶりも旺盛な巨木が育っている。
 また、社務所には重要文化財の懸仏が133体保存されている。
 熊野那智神社は、現在は作物・豊漁神として広く信仰されている古社である。
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2007/8/27


伊勢崎神社 Isesaki-jinja Isesaki Shrine

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 伊勢崎神社は、群馬県伊勢崎市本町にある神社である。祭神は、保食神(うけもちのかみ)、八衢比古命(やちまたひこのみこと)。
 建保元(1213)年、三浦介義澄によって、飯福神社と言う名で創建されたと伝えられる。
 元徳元(1329)年、国司の新田義貞が現在地に遷宮し、八坂神、稲荷神、菅原神の三神を合祀し、社殿を修理した。
 宝暦九(1759)年、社殿を造営したが、火災により焼失。嘉永元(1848)年、現在の社殿が再建され、本殿には、緻密にして壮麗な彫刻が施されている。
 大正一五(1926)年、町内数社を合併後、伊勢崎神社と改称した。
 初宮詣、七五三詣、新年祈願、厄除けなど、一年を通じて多くの参拝者で賑わっている。
 伊勢崎神社は、旧名から「いいふくさま」として慕われている、歴史のある古社である。
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桐生天満宮 Kiryu-tenman-guu Kiryu Tenmangu Shrine

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 桐生天満宮(きりゅうてんまんぐう)は、群馬県桐生市天神町にある神社である。祭神は、天穂日命、菅原道真。
 景行天皇の時代(71~130年)に、天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。
 観応年間(1350年頃)に、桐生綱元が現在の所在地に移し、京都より北野天満宮の分霊を合祀して桐生天満宮と改称した。
 江戸時代には徳川家の祈願所となり、境内には織物市が開設され、繁栄した。寛政五(1793)年、社殿が落成する。
 岩の上の天神と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、社殿全てが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、県指定の重要文化財となっている。
 桐生天満宮は、古い歴史を持つ社として、今も崇敬されている。
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