NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/23


時田英明 Tokita Hideaki Hideaki Tokita

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 日本に数十人しかいないといわれる根付の世界で、大型新人として注目をあつめる根付師・時田英明(ときたひであき)。1979年、東京都生まれ。
 根付とは、江戸時代に流行した、印籠や巾着などを帯から提げるための「留め具」となる小さな飾り物のこと。現在、コレクターは日本よりも海外に多く、彼もまた留学先のニュージーランドで根付の存在をはじめて知り、翡翠彫刻を学び始める。
 その後同国にて、師匠となる彫刻家・ミック氏と出会う。彼に学びながら彫り始めた根付は、世界トップクラスの根付コレクターから絶賛、奨励を受けるようになっていき、2007年には国内でも「日本象牙彫刻会・新人賞」を受賞した。
 「観察する時間は、教わっている時間と同じ。たかが葉っぱ一枚でも、何かを得ようとする努力で、何かが得られる」
 自分をぎりぎりに追い込みながら、直感を研ぎ澄ます生き方の中で生まれる作品は、唯一無二の強烈な存在感を解き放つ。
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2007/9/28


中神の獅子舞 Nakagami-no-shishi-mai 

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 中神の獅子舞(なかがみのししまい)は、東京都昭島市にある熊野神社で、毎年の四月第三日曜日に奉納される獅子舞である。
 戦国時代に関東一円を北条氏が支配していたころ、八王子城主の北条氏照が、京都で見た三匹獅子舞を気に入り、城内で出陣の儀式に取り入れて戦勝祈願をしたのに始まり、その後の徳川時代1620年頃から幕府が獅子舞を奨励、関東から東北各地にかけての農村に三匹獅子舞を定着させていくこととなる。
 一説には幕府による天下平定政策の一環だったとも言われる。
 三匹の獅子は、大頭(だいがしら)、中頭(ちゅうがしら)、雌獅子と呼ばれ、顔は金色で顎には朱色の水引を掛けている。また、衣装は藍染めに唐草牡丹を白く染め抜いた鮮やかなものである。
 東京都の無形文化財に指定されているその舞は勇壮さに秀で、中でも約4kgある獅子頭を被ったまま背面に反り返る太刀懸りは神業と呼ばれるほどである。
 五穀豊穣を祈って豪快な舞を見せる三匹の獅子は、いつも人々の歓喜の輪の中にいる。
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大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/8/6


仙台御筆・宮城野萩筆 Sendai-ofude Miyagino-hagi-fude Sendai Ofude (Brushes), Miyagino Hagi-fude

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 仙台御筆(せんだいおふで)とは、慶長十九(1614)年に仙台藩祖伊達政宗が、大阪より筆職人を招聘(しょうへい)して筆師育成と共に、学問と勧業の両面を積極的に奨励したことから生まれたものである。
 筆職人を召抱えて以降は、常時筆師の育成が行われ、藩士たちの内職としても作られたことから、そうした切磋琢磨により技巧もより精細となっていく。
 丁寧な技法や仕事振りで生み出される筆の名声は高まっていき、ついには時の将軍に献上されたことから、恭しく「仙台御筆」と呼ばれるようになったといわれている。
 そんな筆製作技術が向上する中、趣味人でもあった政宗公が仙台藩の狩場である宮城野原に自生していた萩を軸にして作らせたのが宮城野萩筆(みやぎのはぎふで)である。
 野趣性あふれる軸と、その先に付く繊細な筆先との組み合わせは、広く全国の歌人や俳人に好まれ、仙台御筆における象徴的な逸品として、今も多くの愛好家に親しまれている。
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2007/8/3


高鍋神楽 Takanabe-kagura The Takanabe Kagura Dance

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 高鍋神楽(たかなべかぐら)は、宮崎県児湯郡の高鍋町、木城町に伝わる神楽である。県指定無形民俗文化財とされる。
 起源は明らかでないが、国碑や神社の遺物から推定すると遠く平安時代から舞われていたと思われる岩戸系神楽である。
 旧藩秋月氏領内の高鍋を中心として川南、新富、木城の各神社に奉納され、現在33番が伝わり、夜を明かして、静かで華麗な神楽が舞われる。
 明治以前は藩主の保護・奨励もあって、数百年の伝統と由緒深い比木神社(ひきじんじゃ)が代表的位置を占め、神楽行事を催して発達してきた。
 元来は、各鎮守に奉納する集落の行事であり、高鍋神楽の奉納を「大神事」ともいい、今は旧郷六社を年巡する。
 高鍋神楽は、清楚優美、昔の民俗を偲ぶ伝統芸能である。
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2007/7/31


登米能 Toyoma-nou Toyoma-Noh

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 登米能(とよまのう)は、宮城県登米町で、伊達一門の流れを汲む能として230年に渡り、その伝統が受け継がれている能楽だ。
 元来、能楽は武家の式楽として重視され、仙台藩においても手厚い庇護と奨励を受けてきた。登米能も仙台伊達藩の能楽である金春大倉流の流れをくむものであるが、歴代の藩主達も能を重んじた影響もあって、登米伊達家では公の儀式の時に演じられる式楽として、武士階級の間に定着し、継承されていくこととなる。
 その後、明治維新の廃藩により能を受け継いできた武士達が帰農した結果、登米の庶民達にも浸透し、今に至っている。
 仙台領内の各地の能楽が廃絶衰微した中で、登米の能楽だけは伝統的な能と狂言を現代に継承する大変貴重な存在として、宮城県の民俗文化財にも指定されている。
 毎年六月の新緑薪能(しんりょくまきのう)と九月に行われるとよま秋まつりの宵祭りに上演される。
 かがり火の中で演じられる登米能は、華麗なる舞と共に見るものを幽玄の世界へといざなう。
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2007/7/25


万石浦 Mangoku-ura The Mangokuura Sea

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 万石浦(まんごくうら)は、宮城県・渡波港の奥深く、牡鹿半島の山々に囲まれた面積約7・2haの巨大な入海である。
 万石浦の名前は、仙台二代藩主・伊達忠宗が狩りのためにこの地を訪れた際に、「ここを干拓したら1万石の米が取れるだろう」と言ったことに由来するという。
 万石浦は海と結ばれているため、水は海水。仙台藩の奨励のもと塩田開発が進められ、江戸時代には塩田として栄えていたという。
 大正時代以降は、牡蠣や海苔の養殖が積極的に行われるようになった。特に牡蠣は特産品として有名で、ここ石巻は、牡蠣養殖発祥の地とも言われている。
 現在、栄養豊かな万石浦で採れる質のよい種牡蠣は、日本各地はもとより世界各国にも出荷されている。
 そのほか万石浦は、春から夏にかけての潮干狩りやカレイ、アイナメなどの釣りを楽しめる場所としても人気である。
 万石浦は、新鮮な魚介を届けてくれる、「母なる海」である。
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2007/6/18


江別のれんが Ebetsu-no-renga Ebetsu Bricks

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 北海道開拓時代に開拓使は内陸部を開発する際、建築資材に煉瓦を奨励した。道内では8地区、計17の工場で煉瓦が造られ、北海道庁「赤れんが庁舎」をはじめとする名建造物が建てられた。大正以降、煉瓦製造の中心となった江別の煉瓦は赤い色や褐色なのが特徴で、これは周辺地域の土壌に多く含まれる野幌粘土を原材料としているからである。煉瓦は鉄道のトンネルや橋、駅舎、学校、サイロ、民家、倉庫などに用いられ、北海道の近代化に貢献した。
 現在でも「歴史的れんが建造物保存活用事業」の一環として、市内に400棟を越える煉瓦造りの建造物が美しい姿で保存され、北海道遺産の一つとなっている。
 赤い煉瓦の色は青い空を背景に美しく映え、静かにたたずむ姿は、どの建物も趣きがある。
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