NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/7


宝福寺 三重塔 Houfuku-ji Sanjuu-no-tou 

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 総社市の北西、秋葉山の山すそにたたずむ宝福寺(ほうふくじ)は、この地に生まれ後に画聖と称えられた雪舟が、少年時代に修行した寺。絵ばかり好んで経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂の柱にしばりつけた。しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床にねずみを描いたところ、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許したという。山門近くには、柱に縛られた姿の雪舟のブロンズ像が置かれている。
 境内に立つ三重塔(国指定重要文化財)は、墨書銘から南北朝時代の永和二(1376)年に建てられたものであることが判明。岡山県下では二番目に古い三重塔である。高さ18・47m、本瓦葺、丹塗りで、軒の出が深く、室町時代初期の寺院建築の風格を備えている。
 塔内初層には須弥壇(しゅみだん)が設けられ、大日如来と脇侍四天王が安置され、天井には天女の絵が描かれている。
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2008/3/4


水墨画 Suiboku-ga Suibokuga Painting

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 水墨画(すいぼくが)は、墨と筆を用いて「墨」一色で表現され、線だけでなく墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す技術が用いられた絵画である。
 水墨画のような濃淡やにじみ、かすれなどの表現がない作品は白描(はくびょう)といい、水墨画とは別に捉えられている。
 その起源は唐代後半の中国とされ、山水画の技法の一つとして成立。宋代に入って、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事や人物画が水墨で制作されたことが、一般にも広く伝わるきっかけとなった。
 日本には鎌倉時代にその禅とともに伝わり、室町時代に入って足利家が禅宗を庇護したことにより、日本水墨画は全盛期を迎えるようになった。
 その後、徐々に変化を遂げて風景を描く本格的な山水画も書かれるようになり、室町時代後期には如拙や周文、雪舟などの優れた画僧が生まれ、水墨画の素晴らしさを今の世にも伝えている。
 白と黒のみで表されるシンプルな世界は、しかし無限の奥行きを持って、見るものをその世界へといざなう魅力を放っている。
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2007/6/1


岐阜 禅昌寺 Gifu Zensyo-ji Zenshoji Temple

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 「禅昌寺(ぜんしょうじ)」は、平安時代、「往生要集」などを書いた高僧の源信が、草庵を構えたのが始まりとされる。
 禅昌寺は、臨済宗・妙心寺派の古刹で、庭園は茶道宗和流の始祖である金森宗和が設計したとされる。達磨石や座禅石、礼拝石を配した池泉回遊式庭園の萬歳洞(ばんざいどう)や茶室が、高尚でみやびな趣のある景観を見せてくれる。
 座敷には、雪舟の傑作「八方にらみ達磨」が飾られており、一見の価値がある。
 境内は禅寺らしく落ち着いた雰囲気が感じられ、国指定天然記念物である、樹齢1200年の禅昌寺大杉がたたずんでおり、ただただ圧巻の一言に尽きる。飛騨一美しいと言われ、天下十刹に数えられている。
 下呂温泉も近いので、四季を通じて参拝に訪れる方が多い。
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2007/5/31


松屋寺雪舟庭 Syouoku-ji-Sessyuutei Sesshu Garden at Sho'okuji Temple

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 松屋寺雪舟庭は、大分県速見郡日出町佐尾の松屋寺にある、雪舟が作ったと言われる庭である。
 松屋寺は、16代続いた日出藩の藩主木下侯の菩提寺で、北の政所の母・朝日の方の墓を始め、40数基の墓石が並んでいる。
 境内の中には、雪舟の築庭と伝えられる「万竜の庭」や国の天然記念物に指定されている日本一の大ソテツなどがある。
 雪舟は、文明元(1469)年、明から帰国後、大分の近郊に画室を構えて生活を始めた。その後も、山口県、島根県等に足跡を残している。その名声は一度も朽ちることなく、今なお画聖と称えられている。
 松屋寺雪舟庭は、山際利用の池泉観賞式庭園である。池は「心」という文字を池の形にした、心字池と言われるもの。
 雪舟の感覚は、時代を越えて今なお、見るものを感嘆させる力がある。
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2007/5/24


山口 普賢寺 Yamaguchi Fugen-ji 

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 普賢寺(ふげんじ)は、山口県光市室積の峨嵋(がび)山北のふもとにあり、平安時代の寛弘三(1006)年に播磨国(現在の兵庫県)性空(しょうくう)上人が一堂を建立したことに始まる古い寺である。
 雪舟作と言われる庭園は本堂の南側にあり、広さは周囲の雑木林の部分を含めると2177平方メートル。ほぼ正方形をしており、低いマキの生け垣で囲まれた美しい枯山水の庭園である。
 庭内には、このほか数個の横石を並べているだけで、周りのシイやクスなどの巨木と調和して、全体としてどっしりと落ち着いた雰囲気が漂っている。
 普賢堂に安置されている普賢菩薩は、海中から出現したといわれており、そのためか、海の守り菩薩として人々に親しまれている。
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2007/1/29


沈堕の滝 Chinda-no-taki Chinda Waterfall

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 大分県、大野川の本流にかかる雄滝と支流の平井川にかかる雌滝の二瀑。
 雄滝は高さ17メートル、幅93メートル、雌滝は高さ18メートル、幅4メートル。落差の高さと幅の広さから「豊後のナイアガラ」とも呼ばれる。
 室町時代の水墨画家、「画聖」雪舟が明より帰国した後、豊後大分に滞在してこの滝をモチーフに「鎮田瀑図」を描いている。
 力強く美しい筆で自然を描いたこの作品は山水画の名品として名高い。
 横手にある「沈堕の滝ふれあい公園」は伐採、植樹すべてを三年をかけて住民の手で作られた公園。展望台からの滝を一望する眺望は素晴らしい。
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2007/1/25


備中国分寺 Bicchu-kokubun-ji Bicchu Kokubunji Temple

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 国指定史跡、「備中国分寺」。岡山県総社市に所在する。
 備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により創建された官寺。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。現存する伽藍はすべて再建後に建てられたものである。
 境内にそびえる五重の塔は、岡山県唯一のもので、吉備路の代表的な景観となっている。国の重要文化財にも指定されているという。この塔は江戸時代後期の文政四(1821)年から20数年をかけて建立された。その重厚美を帯びた存在感は、かつて吉備の国の中心として栄えたこの地の繁栄ぶりを映しているかのようだ。
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井山宝福寺 Iyama-houfuku-ji Iyama Hofuku-ji Temple

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 「井山宝福寺」は、岡山県総社市に所在する臨済宗東福寺派の中本山で、七堂伽藍(ひちどうがらん)が完備されており、地方では珍しい巨刹と言われている。県下で2番目に古い三重塔は、国の重要文化財に指定されている。
 この寺には画聖雪舟ゆかりの「鼠の伝説」が残されている。少年時代僧侶の修行をするために宝福寺に預けられた雪舟は、もっぱら絵を描くばかりでお経を読もうとせず、ある日和尚に柱に縛りつけられてしまう。和尚が「もうそろそろよかろう」と縄を解きに行くと雪舟の足もとに大きなネズミがいる。雪舟が咬まれては大変と追い払おうとしたが、ネズミは逃げようとはしない。よく見るとそのネズミは雪舟が足の指を使って、落とした涙で描いたものだったのだ。雪舟のずばぬけた画才を感じた和尚は、それ以降は絵を描くことを咎めなかったというものだ。
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