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神岡城(かみおかじょう)は、岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘にあった城である。
永禄七(1564)年、越中への侵攻拠点とする事を目的に、武田信玄の命令で江馬時盛(えまときもり)が築城し、高原諏訪城の支城となった。
天正一三(1585)年、金森長近による飛騨攻略の結果、その家臣・山田小十郎が城代となったが、元和元(1615)年に江戸幕府の一国一城令で破却され、廃城となった。
元々は江馬館、東町城などと言われ、江戸時代に書かれた「飛州志」には江馬之御館と書かれていたが、昭和四五(1670)年、城跡に模擬天守を造った時に、神岡城という名前になった。
現在、城跡には再現された天守閣や残された遺構である壕や石塁などがあり、内部では実際に使用された鎧、刀剣、馬具などが一般公開されている。
永禄七(1564)年、越中への侵攻拠点とする事を目的に、武田信玄の命令で江馬時盛(えまときもり)が築城し、高原諏訪城の支城となった。
天正一三(1585)年、金森長近による飛騨攻略の結果、その家臣・山田小十郎が城代となったが、元和元(1615)年に江戸幕府の一国一城令で破却され、廃城となった。
元々は江馬館、東町城などと言われ、江戸時代に書かれた「飛州志」には江馬之御館と書かれていたが、昭和四五(1670)年、城跡に模擬天守を造った時に、神岡城という名前になった。
現在、城跡には再現された天守閣や残された遺構である壕や石塁などがあり、内部では実際に使用された鎧、刀剣、馬具などが一般公開されている。
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