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2008/2/1


世阿弥 Zeami Zeami

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 世阿弥(ぜあみ)は、室町時代初期の猿楽師である。実名は、元清。
 貞治二(1363)年、大和猿楽の有力な役者であった観阿弥の子として生まれる。幼名は、鬼夜叉。通称は三郎。
 12歳の時、観阿弥が今熊野で行った猿楽能に出演し、当時18歳の3代将軍足利義満に気にいられ、以後庇護を受ける。連歌師でもあった摂政二条良基から藤若という名を賜るなど、武家や貴族の文化に触れつつ自らの美意識を昇華させ、父観阿弥とともに能を大成させた。父の死後、観世太夫を受け継ぐ。世阿弥という名は、仏教の教派の一つである時宗の法名である世阿弥陀仏からきている。
 『風姿花伝』『花鏡』など多くの伝書を残し、「秘すれば花」に代表される美学は、600年を経た今でも鮮烈な輝きをもっている。
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2007/12/6


佐波神社三番叟 Sawa-jinja Sanba-sou The Sanbaso Dance at Sawa Shrine

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 佐波神社三番叟(さわじんじゃさんばそう)は、静岡県西伊豆町の仁科に鎮座し、漁の神様を祀って崇神(すじん)天皇から造船の地を賜ったと伝えられる佐波神社において、毎年一一月二日と三日の二日間行われる秋の例祭で奉納される人形浄瑠璃である。
 二日の夜に「日の入り三番」、三日の朝に「日の出三番」が神社境内で奉納される。
 慶長年間(1596~1614)に伊豆金山奉行であり元は猿楽師であった大久保長安によって、周辺地区に人形浄瑠璃がもたらされたといわれ、同社での初演は文政八(1825)年に行われた社殿の大改修を祝って奉納されたものだとされている。
 千歳、翁、三番叟の三体の人形にそれぞれ三人の人形師が付き、太鼓や笛、謡などの奏者と合わせた、総勢二二人によって古式豊かに式三番叟が上演される。
 地元の若衆によって連綿と受け継がれる郷土芸能は、人形に命を吹き込み、見るものを幽玄の世界へと誘ってくれる。
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2007/11/26


日原鍾乳洞 Nippara-shounyuu-dou 

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 日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)は、東京都奥多摩町を流れる日原川支流である小川谷に位置し、地下水により溶解浸蝕されてできた自然洞窟である。
 総延長は1270m、高低差は134mあり、関東では最大の規模を誇っている。
 年間を通じておよそ11℃ほどの洞内には八つの洞が存在し、そのうち見学できるのはおよそ千二百年前に発見されたといわれる新宮洞と、昭和三八(1963)年に発見された新洞の二つである。
 その神秘的な景観から、かつては山岳信仰のメッカであった洞内には、巨大なカエルを思わせる「ガマ岩」や巨大な天井空間を持つ「天井知らず」など、まさに大自然のみが生み出せる造形が横たわり、訪れる人々を幽玄の世界へと誘ってくれる。
 天井からツララ状に垂れ下がる鍾乳石は3cm伸びるのに二百年、盤上に沈殿し、上に向かって成長する石筍(せきじゅん)は、四百年の歳月を必要とする。
 数十万年に渡る自然という名の芸術家の作品は、今もこつこつと作り続けられている。
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2007/10/12


広園寺 Kouon-ji 

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 広園寺(こうおんじ)は、東京都八王子市山田町にある臨済宗南禅寺派の寺である。本尊は、弥勒菩薩。多摩八十八ヶ所霊場番外札所とされる。
 康応元(1389)年、甲州塩山向岳寺の峻翁令山(しゅんのうれいざん)を招いて開かれ、開基は寺伝によれば大江備中守師親であるというが、他説には片倉城主・長井道広であるともいい、詳細は明らかではない。
 境域十数万坪といわれ、かつては塔頭十ヶ寺が配置されてあったが、戦国時代の末、八王子城陥落とともに戦火にかかり、元禄一〇(1697)年にも再度焼失し、現在のものは江戸時代中頃の建物である。ただ、山門のみ元禄の火災をまぬがれた江戸期はじめの建立といわれている。
 境内一帯は東京都の史跡に指定されており、建物も4棟が都指定文化財とされている。
 広園寺は、住宅地の中で幽玄の昔を思わせる姿を残す古刹である。
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2007/10/11


観音水 Kannon-sui 

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 観音水(かんのんすい)は愛媛県西予市宇和町明間にある鍾乳洞から湧き出る水のことである。
 天正時代、明間堂山城主・兵頭藤右衛門一族の一人が京都清水に参拝し、その満願の日に観世音の御姿を見た。その話を聞いた兵頭は、城に尊影を安置し、観世音に「御利生に水を。」と念じたところ山の嶺から清水が湧き出した。これが、観音水のいわれと伝えられる。
 鍾乳洞付近は幽玄の雰囲気を醸し出しており、伝説にあるような観世音の御姿が今にも浮かび上がりそうである。
 観音水は日量8千トンといわれ、一年を通して水温は14度と冷たく、昭和六〇年には環境庁から「全国名水百選」に選ばれている。
 毎日、多くの人々がこの水を求めて訪れる。
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2007/9/11


本吉法印神楽 Motoyoshi-houin-kagura 

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 岩手県南部から宮城県北部に伝承される法印神楽の発生については諸説あり、定かではないが、俗に気仙神楽とか浜神楽と呼ばれ、海岸部の気仙や本吉、牡鹿郡に多く流布された。
 本吉法印神楽(もとよしほういんかぐら)もそうした中の一つであり、同地方に伝わるいくつかの神楽の祖流の一つであると目されている。
 同神楽が伝承されている南三陸の戸倉新町は、かつて折立村の中心で、四八坊の修験道場があったと伝えられており、同神楽はその修験者達によって神前に奉納するために伝承されたといわれる。
 元々は三三番の演目があったとされるが、現在ではその中でも一二番が伝承されており、特にかんなぎ二四番が有名である。
 今は南三陸町と北上町の羽黒派の法印九名によって伝承されており、それぞれで組を作って、各地の神社の祭礼などに招かれて奉納されている。
 幽玄で幻想的なその舞は、九名の手によって、今も守り継がれている。
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2007/8/16


国見ケ丘 Kunimi-ga-oka Kunimigaoka Hill

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 国見ケ丘(くにみがおか)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある標高513mの小高い丘である。
 神代の昔、神武天皇の孫にあたる建盤竜命(たていわたつのみこと)が九州統制の折り、この丘に立ち、明け暮れに国見をした事から、国見ヶ丘と呼ばれるようになったと伝えられる。
 国見とは、秋の豊穣にかかわる呪的景物を見て、豊穣を祝する儀礼である。
 丘からは、西に阿蘇の五岳、北に祖母の連山、東に天香具山、高天原、四皇子峰や高千穂盆地、眼下に五ヶ瀬川の渓流が見渡せる。
 一〇月上旬~一一月上旬ごろの早朝は、冷え込んだ朝に発生した霧が高千穂盆地やとりまく山々の間に沈み、まるで真綿を敷き詰めたように盆地の集落を覆い隠す。足もとからわき立つ雲海の眺めは、大変に素晴らしい。
 国見ケ丘は、美麗な眺望と幽玄な雲海を持つ場所である。
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2007/8/3


真名井の滝 Manai-no-taki The Manai Waterfall

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 真名井の滝(まないのたき)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある落差17mの滝である。日本の滝百選に選ばれている。
 高千穂町は、天孫降臨の神話伝説に彩られた山間の故郷である。山里にたなびく雲海、幽玄の世界の神秘さを漂わせた高千穂峡、素朴な神代さながらの千木の家々、春は新緑、秋は紅葉に映える美しい荘厳な山々は、高千穂を訪れる人々を魅了して止まない。
 真名井の滝は、高千穂峡に位置する滝で、柱状節理のすばらしい断崖から高千穂峡の碧水に白蛇のように流れ落ちる様が美しい。
 出雲の神名火山の一つである茶臼山にある、意宇六社の一つ真名井神社は、近くにある真名井の滝が名の由来となっている。
 また、貸しボートがあり、滝のすぐそばまで近づく事ができる。
 真名井の滝は、高千穂峡のシンボルといえる景勝地である。
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