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2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

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 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
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2007/10/12


片野の鴨池 Katano-no-kamoike Katano-kamoike

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 石川県加賀市片野町にある、広さ一・五四ヘクタール、深さ三・六メートルの池。ラムサール条約登録の湿地である。石川県指定の天然記念物。
 周囲は水田に囲まれているが、これらの水田は水底が低く作ってあり、秋になり水をせき止めると水没する。つまり片野の鴨池と一体化して、さらに大きな池のようになる。
 ここに毎年一〇月になると、たくさんの渡り鳥が越冬のために北からやってくる。その種類と数は日本一の規模といわれている。
 また、鴨を利用した米作りも行われている。
 鴨は餌をとるためにこの水田にやってくる。糞をするのでそれが有機肥料となり、雑草を食べてくれるので、除草剤を使なくてもよい。鴨と人が共棲する米作りであるが、近年は冬季は乾田化する農家も増え、鴨の数も減ってきているのが実情だ。
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2007/5/31


にし茶屋街 Nishi-chayagai Nishi Teahouse Street

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 金沢には、城跡や武家屋敷など、城下町として風情が残るが、それだけではない。艶っぽい茶屋街も、今もその姿をそのままに残している。
 にし茶屋街は、これも金沢の代名詞となる犀川の南側にある。文政三(1820)年、加賀藩によって、ひがし茶屋街とともに創設された。
 今も、料亭や芸子の置屋が軒を並べて粋な風情を残している。夕刻からは三味線の音なども聞こえてきて、さらに趣は深くなる。
 かつては一見さんお断りが主流であったのは、ひがし茶屋街と同じだが、今では旅館やお土産屋、喫茶店などがあり、散策するに楽しい。
 西茶屋資料館は、石川県美川町出身の作家、島田清次郎が幼少期を過ごした場所であり、清次郎に関する資料が展示されている。
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妙立寺 Myouryu-ji Myoryuji Temple

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 初代藩主前田利家は、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守る祈願所として妙立寺を建立。天正一三(1583)年のことである。その後、寛永二十(1643)年に、加賀三代藩主前田利常が現在の地へ移築・建立した。
 利常の頃は既に徳川幕府の基礎固めが整い、諸大名は幕府の隠密の動きに敏感になっていた。利常は隠密を欺くため鼻毛を伸ばしてバカを装った。が、その一方では産業を育て、芸能文化を勧め、いざという時の兵舎代わりとして寺院を移築、建立した。その中心が妙立寺であった。
 一見、二階建てのようであるが実は四階七層建て。隠し通路、隠し部屋、隠し階段、どんでん返し、逃げ穴、二枚戸、落とし穴として機能する賽銭箱、など、いたるところに仕掛け・からくりがある。別名、忍者寺、と呼ばれる由縁である。
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高岡漆器 Takaoka-shikki Takaoka Lacquerware

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 富山県高岡市に約四世紀の歴史を持つ「高岡漆器」。歴史の中で育まれた知恵と技の結晶は、様々なかたちで私たちの暮らしに息づいている。
 起こりは江戸時代初期。加賀二百万石の藩主前田利長が、現富山県高岡市に高岡城を築いた際、武具や箪笥、膳など日常生活品を作らせたのがはじまりだという。その後、中国から堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)などの技法が伝えられ、多彩な技術が発展した。こうして風景や人物、模様などを錆絵(さびえ)で描き、これに青貝とろう石を交えた「勇介塗り」などが生み出されたのである。また、明治中期に創案された色漆を使って立体感を出してゆく「彫刻塗り」は鎌倉時代の格調を持つ技法として独自の味わいを持つ。他産地に類を見ない多彩な技法は昭和50年に、国の伝統的工芸品の指定を受けた。
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2007/5/10


山中漆器 Yamanaka-shikki Yamanaka Lacquer Ware

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 四百年の歴史を持つ山中漆器。石川県加賀市に今でも連綿と受け継がれている伝統工芸品だ。
 安土桃山時代の天正年間(1570〜1592年)。越前から木地師が移住してきて、轆轤(ろくろ)挽き物の技術を伝えたのがはじまりとされる。現在では、江戸期に導入された「塗り」や「蒔絵」の技術を取り入れ、茶道具を中心とした塗り物の産地として有名だ。
 山中漆器の最大の特徴は、白木地を、鉋(かんな)で回転させながらくり抜く轆轤(ろくろ)挽き製法。お椀や茶托などの丸い茶器の製造を得意とする。そのほか、材質・木目を活かした「加飾挽き」も特徴のひとつ。
 絵付けを行わない「轆轤(ろくろ)挽き物木地」は、器の形そのものが意匠である。そこには1点のゆがみも許されない。山中漆器には、見た目の素朴さからは想像もつかないほどの、木地師の技が隠されている。
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金沢漆器 Kanazawa-shikki 

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 漆塗りの上に、金や銀で絵模様を描いたものを蒔絵という。石川県に伝承されている金沢漆器には、この蒔絵の中でも加賀蒔絵と呼ばれる蒔絵が施されている。
 江戸時代、加賀藩三代藩主・前田利常が、京都から蒔絵の名工・五十嵐道甫を招いたことから金沢漆器の歴史が始まったとされる。。
 金沢漆器は茶の湯の文化とともに栄え、現在も茶道具を中心に日常の食器や調度品として人々の心を魅了している。
 黒や朱色の漆器に金箔や螺鈿(らでん)を使用して絢爛豪華な模様が施される金沢漆器。華麗で品のある重厚な存在感がきわだつ。棗の蓋を開けたときに優美な蒔絵が現れる、小さな幸せ。金沢漆器は、茶の湯文化に欠かせない大切な茶器である。
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大樋焼 Oohiyaki Ohi Pottery

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 大樋焼(おおひやき)は、石川県金沢市に330年余に渡って伝わる陶器である。茶の湯の道具として、加賀藩に保護され伝えられてきた。
 寛文六(1666)年、加賀藩主前田綱紀が藩の茶道奉行として、京都より裏千家四世仙叟宗室を招いた際、茶陶制作のために初代大樋長左衛門も同道。長左衛門は大樋村(現大樋町)で窯を築き仙叟好みの茶器を制作。以来十代続く大樋焼の祖となった。大樋焼は代々長左衛門を襲名し、現在に至る。
 大樋焼は、ろくろを使わずに手びねりのみで茶碗の原型を作り、仕上げにヘラやカンナで削り上げる。独自の飴釉をかけて焼かれる陶器は飴色に仕上がり、どこか神秘的で繊細、それでいて力強く存在感たっぷりだ。
 十代長左衛門窯に隣接する大樋美術館では、初代から現十代、その子息の大樋年雄氏まで歴代の大樋焼を展示、紹介している。
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