大口筋白銀坂 Ookuchi-suji-shirakane-zaka
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石畳が残る薩摩の旧街道として知られるのが、大口筋白銀坂(おおくちすじしらかねざか)である。
大口筋とは、鹿児島城下から熊本の亀坂峠までの、全長約七〇キロメートルの街道のことをいう。
中でも白銀坂は、鹿児島市牟礼岡から姶良郡姶良町脇元までの約三キロの道のりをいい、古代より近世にかけて薩摩国と大隅国の国境があった。戦国時代には、島津貴久や義弘などの武将たちが、この坂に陣を構えて、豪族との合戦の舞台になったといわれている。
江戸時代には、鹿児島潘の主用街道であった大口筋の難所として、多くの人々に知られていた。
明治時代に入ると、国道や鉄道の開通によりこの道は利用されなくなった。しかし歴史的に価値があるとされ、平成八年から一五年にかけて「歴史の道整備活用推進事業」がおこなわれ、国土交通省の歴史国道に指定された。
大口筋とは、鹿児島城下から熊本の亀坂峠までの、全長約七〇キロメートルの街道のことをいう。
中でも白銀坂は、鹿児島市牟礼岡から姶良郡姶良町脇元までの約三キロの道のりをいい、古代より近世にかけて薩摩国と大隅国の国境があった。戦国時代には、島津貴久や義弘などの武将たちが、この坂に陣を構えて、豪族との合戦の舞台になったといわれている。
江戸時代には、鹿児島潘の主用街道であった大口筋の難所として、多くの人々に知られていた。
明治時代に入ると、国道や鉄道の開通によりこの道は利用されなくなった。しかし歴史的に価値があるとされ、平成八年から一五年にかけて「歴史の道整備活用推進事業」がおこなわれ、国土交通省の歴史国道に指定された。
- 住所
- 899-5651 鹿児島県姶良郡姶良町脇元
- 名前
- 大口筋白銀坂
- 電話
- 0995-65-1553