NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/31


吉野 西行庵 Yoshino Saigyou-an Yoshino Saigyo-an Hut

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 西行庵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある庵である。
 西行は、「新古今集」や「山家集」で知られる、平安末期の歌人。西行庵は、旅の歌人・西行法師が、俗塵を避けて3年の春秋を隠棲したとされる小さな庵である。
 近くには今も苔清水と呼ばれる清らかな水が湧き出ていて、貞亨元(1684)年には西行を慕って松尾芭蕉もここを訪れ、歌を詠んでいる。
 清水は、大和の水31選の一つに数えられている。
 西行の歌碑や、芭蕉の句碑が立ち、春秋は桜、紅葉が美しい。
 西行庵は、歌の心を刺激する場所である。
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2007/10/5


西行 Saigyou Saigyo

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 平安末期から鎌倉時代初期に活躍した大歌人である西行(さいぎょう)は、宮廷ではなく、山里などの僻地を好み、花鳥風月を愛でながら、生命の歌を詠んだ。
 元永元(1118)年に、武士の家系に誕生。一八歳で兵衛尉(皇室の警護兵)になり、鳥羽上皇に仕えた。文武両道で容姿端麗、政界にその名を轟かせたが、世の無常を感じ、二三歳で出家した。「西行」を法号とする。
 大寺院、特定の宗派には属さず、山里の庵に籠もって、和歌を通して悟りを求めた。郊外の小倉山(嵯峨)や鞍馬山、秘境霊場の奈良・吉野山、真言霊場・高野山などに庵を結んだ。四国巡礼を経て、再び高野山、伊勢に入り、最後は河内弘川寺(大阪府河南町)に辿り着き、この地で入寂した。
 『新古今和歌集』には最多の九四首が入選。『山家集』『山家心中集』『聞書集』などを残した。
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2007/7/27


中将実方朝臣の墓 Chuujou-sanekata-ason-no-haka The Grave of Fujiwara no Sanekata Ason

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 中将実方朝臣の墓(ちゅうじょうさねかたあそんのはか)は、宮城県名取市愛島塩手にある、藤原実方の墳墓である。
 藤原実方は、藤原一門のなかでも由緒ある家柄の生まれで、美貌と風流を兼ね備えた貴公子として知られ、源氏物語の光源氏のモデルともいわれている。また、中古三十六歌仙の一人とされる。
 長徳元(995)年、天皇の面前で三蹟の一人である藤原行成に乱暴を働いた。それが元で佐近衛忠将から陸奥守に左遷され、「歌枕見て参れ」との勅命で各地の名所旧跡を訪ね歩く事となった。
 長徳四(998)年、訪ね歩く途上、名取郡笠島道祖神の前で落馬し、亡くなったと伝えられる。
 後に西行・松尾芭蕉がこの地を尋ね、共に歌を詠んでおり、近くにはその歌碑も建っている。
 中将実方朝臣の墓は、平安の昔が偲ばれる、竹林の中に静かに建つ小さな墓である。
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2007/6/8


能面 石王尉 Noumen Ishioujou Noh Mask Ishio-jo

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 石王尉(いしおうじょう)は、創作者・石王兵衛正友から名が取られたと言われており、老体の神あるいは柳や桜などの老樹の精を表している。
 尉(じょう)面とは老人の面のこと。老体の神で、序の舞いを舞う時に用いる舞尉として、この石王尉の他に舞尉(まいじょう)、皺尉(しわじょう)があり、品格が高く神の化身である老人の役に用いられる小尉類として、小牛尉(こうしじょう)、阿古父尉(あこぶじょう)がある。また、この世を去った人間が老人の姿を借りて登場する時に用いられる双髭尉類として、朝倉尉(あさくらじょう)、三光尉(さんこうじょう)、笑尉(わらいじょう)などがある。
 この面は他の尉面とはかなり雰囲気が異なっており、眼窩がくぼんだ伏し目がちな表情は、渋く苦味ばしっている。髪は植毛を結い上げ、顎鬚も植毛だが、口ひげは毛描き。総体的に様式化の意図が強く現れていて、舞尉の柔和さに比べると虚無感さえ感じさせる。能「遊行柳」、「西行桜」などに使われる。
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2007/5/21


大井宿 Ooi-juku 

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 江戸から数えて46番目にあたる美濃中山道の「大井宿」は、天保一四(1843)年の当時で、本陣、脇本陣が各々1軒、旅籠は41軒もあり、中山道で最も賑わった宿場といわれた。
 中山道の宿場の特徴でもある桝形は他の地より多く、横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町を、それぞれ6ヶ所の桝形によって区切られていた。
 大井宿より京に向った旧中山道には、大井で没した西行の墓があり、そばには、ここの清水で墨を磨ったとされる西行硯水公園等がある。
 現在の中心部、恵那駅と平行に抜ける中山道を進むと、市神神社、本陣跡、長国寺へと続く。更にそこから道を上ると、郷土の歴史に残る根津甚平ゆかりの根津神社、甚平坂、馬塚犬塚がある。また、浮世絵師の歌川広重(安藤広重)は、この甚平坂から見下ろした景色を木曽街道六十九次の大井宿の絵に用いた。
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2007/3/13


蜻蛉の滝 Seirei-no-taki The Seirei Water fall

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 蜻蛉の滝(せいれいのたき)は、奈良県吉野郡川上村大滝にある落差50mの滝である。
 滝は、標高858メートルの青根ケ峰を源とする音無川にかかり、滝の水は吉野川、紀ノ川をへて紀伊水道にそそいでいる。
 雄略天皇がこの地にて獣狩りを楽しんだ際、天皇の臂に突然大きなアブが飛んできて喰いついた。
 ところが、何処からともなく現われたトンボがそのアブを噛み殺したので、天皇は大いに褒め称え、以来、この地を蜻蛉野(あきつの)と呼ぶ事にしたという。
 蜻蛉とは、トンボの事である。トンボの名にちなみ、この滝も蜻蛉の滝と呼ばれた。
 滝の飛沫が太陽に映じて常に虹を作っていることから、この付近は別名・虹光(にじっこう)といわれている。
 蜻蛉の滝は、古く万葉集にも記述されている、歴史ある名瀑である。
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2007/2/28


袋田の滝 Fukuroda-no-taki 

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 日本三名瀑のひとつに数えられ、高さ120m・幅73mの大きさを誇る。
 大岸壁を四段に流れることから、別名「四度の滝」とも呼ばれる。その昔、西行法師が訪れた際、「四季に一度ずつ来てみなければ本当の良さはわからない」と絶賛したことからとも言われている。
 春は氷壁が溶け出し、滝川のせせらぎが音を立てて流れ出す。夏はキラキラと陽光を浴びてダイナミックに踊る水しぶきとその勢いで時に鮮やかな虹を描く。
 秋になると色とりどりの紅葉が渓谷を飾り、滝は鮮やかにドレスアップし、冬の凍結した滝の神秘的な美しさ。アイス・クライミングを楽しみつつ、氷瀑の絶壁にチャレンジする姿が見られる。
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2007/2/14


熱田神宮 Atsuta-jinguu Atsuta Shrine

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 愛知県名古屋市にある「熱田大神」(あつたのおおかみ)を祀る神社。
 三種の神器のひとつである、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の鎮座を創始と伝えられている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が没した後、その奥方が小社を建ててこの剣を祀ったとされる。
 創建時ははっきりとしないが、まもなく1900年を迎えるというのだから、その歴史はかなり古い。信仰の歴史は皇室を初め、庶民に至るまで多くの崇拝者からの奉納品(4000点余り)の数からも納得できるものである。
 樹齢1000年を超える楠や、織田信長が桶狭間の戦いの際に勝利を祈願し、勝利したのち奉納した信長塀、西行法師が腰をかけたという言い伝えのある二十五丁橋などが見所である。
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