NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/18


観音正寺 Kannon-shou-ji Kannonshoji Temple

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 西国三十三箇所は、近畿二府四県と岐阜県に点在する霊場であり、日本で最も歴史がある巡礼行といわれている。
 観音正寺(かんのんしょうじ)は、その第三十二番札所にあたる。
 琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂付近に位置し、まるで現世と離れるかのように粛々と佇んでいる。
 社伝によると、聖徳太子が近江国に創建した寺院で、鎌倉・室町時代には、近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け、三十三院の子院を擁し、絶大な勢力を誇ったとされている。
 その後、内戦や移築など時代に翻弄される憂き目も見たが、慶長二(1597)年に再び元の山上に戻った。
 以前のような、きらびやかな勢いはないが、現在も万事吉祥の縁結びの祈祷道場として篤く信仰されている。
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2008/2/14


武蔵御嶽神社 日の出祭 Musashi-mitake-jinja Hinode-sai 

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 武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市御岳山にある神社である。祭神は、櫛真智命(くしまちのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)。
 紀元前九〇年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられる。山岳信仰の興隆とともに鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、厄除け・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えてきた。
 宝物殿には、日本三大鎧のひとつとされる国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)が展示されている事でも知られる。
 日の出祭(ひのでさい)は、毎年五月の七日と八日に行われている春の例祭である。
 徳川綱吉奉納の御輿を囲む鎧武者と雅楽の演奏者などの武者行列が、御岳山駅から神社まで練り歩くという、まるで歴史絵巻のように勇壮な行列は、毎年多くの見物客を集めている。
 武蔵御嶽神社の日の出祭は、壮大で華麗な祭りである。
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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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2007/9/21


鈴木大拙 SuzukiDaisetsu Daisetz Teitaro Suzuki

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 言葉や思想を持たない「禅」という高度に結晶化された概念に、あえて言葉や思想を盛り込み、世界に向けて発信した偉大な哲学者。
 明治二(1870)年、石川県生まれ。学生時代に鎌倉・円覚寺にて禅と出会い、悟りの境地に達し、禅者として生きる決意を持つ。「大拙」という居士号を得る。
 鈴木大拙(すずきだいせつ)が目指したのは、西洋と東洋を橋渡しすること。願いは、「ひとつの世界」の獲得。禅の英語化という難題を易々と成し遂げ、『老子道徳経』『大乗起信論』を英訳し、『大乗仏教概論』を英文で出版した。
 欧米の知識人達に与えた影響は計り知れない。カウンターカルチャーの時代には、「禅」が西洋人の東洋に対する憧れを育む要因となった。
 生涯、坐禅を怠らず、西と東、民族、人種、宗教などの根深い問題を禅思想を通して考え続け、語り続けた。
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2007/9/13


日向十五夜祭り Hyuuga-jyuugoya-matsuri Jugoya Festival (Moon Festival) in Hyuga

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 日向十五夜祭り(ひゅうがじゅうごやまつり)は宮崎県日向市で毎年中秋の名月の頃に催される祭りで、人々からは「十五夜さん」とよばれている。
 日向市あげての祭りであり、見立細工や花屋台が奉納され、舞踊隊が道一杯を練り歩くことで有名である。沿道では多数の人々が見物し、県外からも多くの観光客が訪れる。
 この祭りのルーツは、壇ノ浦の戦いで、椎葉に逃げ落ちた平家の武者を追ってきた、那須与市(なすのよいち)、工藤祐経(くどうすけつね)の二人の武将がいた。彼らが兵士の士気を高めるため、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請し建てた、富高八幡宮の祭礼が始まりといわれている。
 近年では日向市に八百年前から受け継がれている日向十五夜太鼓も組み込まれ、まつりの雰囲気を一層盛り上げている。
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2007/8/9


上地八幡宮 Ueji-hachiman-guu Uechi Hachimangu Shrine

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 上地八幡宮(うえちはちまんぐう)は、愛知県岡崎市上地町宮脇にある神社である。祭神は、応神天皇、仁徳天皇、天照大神。
 元暦元(1184)年、源頼朝の弟、源範頼は平家討伐に向かう途中、この地の郷士・大見藤六の屋敷で休息した折に、屋敷に隣接した小さな祠が源氏の氏神である八幡宮であると知り、戦勝を祈願した。
 建久元(1190)年、平家との戦に勝利した範頼が三河の守護に命じられると、戦勝に感謝し、祠に祀られていた八幡宮と鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を合わせて祀り、社殿を造営したのが上地八幡宮の創祠という。
 名物の鬱金桜(うこんざくら)は、昭和22年の拝殿建立の折に上地町から奉納されもので、薄緑色の花を付ける八重ザクラであり、別名「美人ザクラ」とも呼ばれ、幸せを呼ぶと言われている。
 上地八幡宮は、源氏ゆかりの歴史ある古社である。
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2007/5/10