NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


曾木の滝公園 Soginotaki-kouen 

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 鹿児島県の北部、大口市(おおくちし)にある「曾木の滝公園(そぎのたきこうえん)」は、四季折々の風景が楽しめ、壮大な滝が流れる公園で知られている。
 公園内に曾木の滝が流れている。九州山地の白髪岳南麓に源を発し、川内川(せんだいかわ)の上流に位置するこの川は、滝幅210メートル、高さ12メートルの幅の広い滝である。千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流音は、訪れた人々を釘付けにする。
 周辺は荒々しい渓谷となっており、滝の下流1、5キロメートルには、レンガ造りの曽木水力発電所跡がダム湖に残されている。
 一帯は自然公園となっており、春の桜やつつじ、初夏のあじさいなど、さまざまな植物が花が彩りをみせる。特に秋の紅葉は見事で、毎年11月下旬にはもみじまつりが開催される。
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2007/12/25


出雲日御碕灯台 Izumo-hinomisaki-toudai 

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 日本一の高さを誇る、出雲日御碕燈台(いずもひのみさきとうだい)は、島根半島のほぼ西端、日本海に面する岬に立つ。岬周辺は、大山隠岐(だいせんおき)国立公園の一部となっており、日本海を臨む景勝地としても知られている。
 出雲日御碕燈台は「世界灯台一〇〇選」にも選ばれるほど歴史的価値が高いとされている。また、文化財的にも価値が高いとされており、海上保安庁によってその価値はAランクに位置づけられ、保存処置が講じられている。
 着工は明治三三(1900)年で、三年後に初点灯したという。レンガと凝灰質砂岩で造られた、頑丈な燈台は一〇〇年以上、風雪に耐え続けている。
 螺旋状の階段を使って上まであがることができる。そこからの日本海の眺望はまさに絶景である。
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2007/9/6


薬湯山 泉明寺 Yakutou-san Senmyou-ji Yakutousan Myosenji Temple

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 薬湯山泉明寺(やくとうさんせんみょうじ)は、宮城県仙台市太白区の秋保町湯元薬師にある真言宗の寺である。本尊は薬師三尊。
 古来より薬師如来の霊応の地で、開湯1500年以上もの歴史を誇る日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師円仁(794~864)によって開創されたと言われる。
 宗祖・弘法大師空海の神仏習合の流れをくみ、主に加持祈濤を行っている。
 本尊である薬師如来と、日光月光菩薩及び十二神将は、平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられている。
 寺の横には赤レンガ造りの秋保温泉共同浴場がひっそりと佇んでおり、毎年5月5日には泉明寺境内で秋保温泉子育薬師祭が行なわれている。
 薬湯山泉明寺は、長い歴史を誇る、温泉街の守護寺である。
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2007/6/26


神威古潭 Kamui-kotan 

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 神威古潭(かむいこたん)は、北海道旭川市にある地区の名称である。
 神威古潭は、石狩川が上川盆地を抜けて石狩平野へと流れていく途中の渓谷にあり、川の流れは細く急である。明治以前、水上交通に依存していたアイヌにとっては最大の難所であった。この地名はアイヌ語の「カムイコタン」(神の住む場所)の音訳であり、無事な通過を祈ることから由来すると言われている。
 明治期に函館本線が開通、神威古潭駅も設置され、これで交通の難は解消されることになる。1960年代まで基幹線として使用されていたが、現在は廃線となっている。旧線跡がサイクリングロードとなって駅舎も復元され、風情ある休憩所として利用されているという。駅舎はアーチ部分がキーストン付きレンガ巻き、側壁は切石積、抗門は鳥居型の凝った造りで、格好の撮影ポイントである。
 神威古潭は、紅葉の名所でもあり、毎年秋分の日に行われる「こたんまつり」には大勢の観光客で賑う。
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2007/6/25


港文館 Koubun-kan 

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 北海道釧路市の港に流れ込む釧路川河口を望む場所に、港文館が建っている。
 元々はかの石川啄木も短期間ではあったが、新聞記者として勤めていた釧路新聞社として明治四一(1908)年に建てられた、当時としては道東唯一のレンガ作りの洋風建築だった。昭和十七(1942)年以降は北海道新聞釧路支社として使用され、取り壊されることとなる。
 その後、平成五(1993)年に一階は港湾資料、二階は郷土資料の展示スペースとして、港文館の名で復元されることとなった。
 釧路の歴史や港湾史などをつぶさに見学できるのだが、郷土資料においてはそのほとんどが啄木のもので占められている。釧路での滞在はわずか76日だった啄木だが、後世に残した影響は色濃い。敷地内には啄木の銅像も建立されている。
 一階の喫茶スペースで、夕陽にまどろむ啄木像を眺めつつコーヒーを味わう。ほんの少し、自分も詩人になった気分に浸れるかもしれない。
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2007/6/6


太刀川家住宅 Tachikawa-ke-juutaku 

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 太刀川家住宅は、一代で財をなした太刀川家初代当主が明治三四(1901)年に建てた、レンガ造り2階建ての関西風商家。北海道・函館市に所在する。
 初代太刀川善吉は、米穀店を営むかたわら、持ち船筑紫丸で回漕業に乗り出し、巨額の富を築いたという。
 大火の多かった函館らしく、防火用にレンガ壁の上から漆喰を塗ってある。また、底、軒天井、持送り、腕木はモルタル漆喰の塗り込め仕上げがされているほか、2本の鋳鉄柱を配置し、その上に三連のアーチを設けるなど、洋風建築の意匠を取り入れている。 
 建物内部は直径60cm以上の柱の梁があり、木組みは豪快そのもの。土蔵造りの倉も風格がある。店舗と仏間を仕切る化粧板はケヤキの一枚板に輪島塗を施しており、建築学者もうならせるほどの立派なものである。
 太刀川家住宅は、昭和五二年に国の重要文化財に指定された。
 
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北海道 旧ロシア領事館 Hokkaidou Kyuu-rosia-ryoujikan 

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 旧ロシア領事館は、北海道・函館市にある急勾配の幸坂(さいわいざか)を登りつめた先に立つ、木造レンガ造りの建造物。
 安政元(1855)年の日露和親条約に基づき、安政五(1859)年に初代領事が着任した際に元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが大火で焼失。その後現在地で領事館の建設が行われたがこの建物も明治四〇(1907)年に焼失。現在の建物は、明治四一(1908)年に再建されたものである。
 赤レンガの外壁と、白漆喰による2階の縦横縁取りや玄関の隅石風デザインとのコントラストが美しい。正面の玄関部1階は、寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭など、和風意匠との融合が見られる点が特徴だ。
 この建物は、昭和十九年まで正式にロシア領事館として使用されていた。現在は内部を見学することはできないが、外観だけでも、帝政ロシア時代の華やかさをうかがえる建造物である。
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2007/6/5


函館西部地区の街並み Hakodate-seibu-chiku-no-machinami 

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 函館西部地区(はこだてせいぶちく)の街並みとは、北海道函館市の西部地区の事で、和洋をたくみに交えてデザインされた商家や住宅が建ち並ぶ街並みは、北海道遺産に選定されている。
 安政六(1859)年、函館は横浜、長崎とともに最初に開港した。近代日本の幕開けを告げた町であり、西欧文化に開かれた玄関口として栄えてきた。
 函館西部地区には、ベイエリアの赤レンガ倉庫群、函館ドックのような歴史的港湾施設、旧函館区公会堂やビザンチン様式のハリストス正教会復活聖堂に代表されるハイカラな洋風建築や旧英国領事館など、数々の華やかな建物が並んでいる。
 前には海、後ろには深い緑の函館山で、二十間坂、大三坂、八幡坂、基坂のロケーションを誇る。
 函館西部地区は、函館独特の異国的な空気を漂わせた、ロマンチックな街並みである。
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