NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/22


鳴子漆器 Natuko-shikki Naruko Lacquer Ware

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 鳴子漆器(なるこしっき)は、宮城県大崎市鳴子温泉に伝わる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 寛永年間(1624~1643)、当時の岩出山藩三代城主・伊達弾正敏親が塗師・村田卯兵衛、蒔絵師・菊田三蔵を京都に派遣し修行させ、鳴子漆器の振興を図った事から発達し、その子孫が伝承して今日に至る。
 挽物木地の塗立て技術には、塗りは木目を生かした木地呂塗(きじろぬり)やふき漆仕上げ、また独特の墨流しの技法である竜文塗(りゅうもんぬり)があり、伝統的な塗立て技術による製品には、しっとりとした美しさがある。
 また、木地に厚みがあり、いく重もの重ね塗りにより、長期の使用に耐えられるのも特徴とされる。
 鳴子漆器は、日常生活に根ざした味わい深い伝統工芸品である。
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2008/1/17


会津塗 Aizu-nuri 

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 会津塗(あいづぬり)は福島県会津若松市を中心に生産される漆器で、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などがある。昭和五〇(1975)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 安土桃山時代に、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が、産業として奨励したことに始まる。近江の漆器職人を呼び寄せ、その技法を会津に広めた結果、漆器は会津の一大産業となった。
 幕末の戊辰戦争で壊滅的な打撃を受けるも、明治時代中期には再び活気を取り戻し、会津は日本有数の漆器産地として、今もその名をとどろかせている。
 工程によって、それぞれの専門職人が分業で行うのが特徴。そのため、より高い品質と能率的な生産を実現している。椀などロクロを使用して丸物を作る木地師(きじし)、重箱などカンナを駆使して板物を作る惣輪師(そうわし)、それらに豪華な飾りを施す蒔絵師(まきえし)・漆絵師(うるしえし)・沈金師(ちんきんし)がいる。縁起の良い図柄で人気が高い。
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2007/4/9


岐阜提灯 Gifu-Chouchin 

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 岐阜提灯は岐阜県岐阜地方に伝わる提灯で、経済産業大臣指定の伝統工芸品である。
 提灯の歴史は古く、平安時代頃には既に原型が出来ていたと伝えられる。江戸時代以前は貴族、武家、僧侶などが主に宗教的儀式等で用いたとされ、その後、蝋燭の普及に伴い発展した。
 宝暦年間(1751〜1764)、岐阜の提灯屋、十蔵が尾張藩を通して幕府に献上し、岐阜提灯の名が世に知られたという。
 当時は素朴なものであったが、その後草花の彩色画などを施したものから華やかな絵画を用いるようになり、形も花瓶形、四角形、六角形などの様々なものが生まれた。
 工程は木地師、塗り師、蒔絵師、張り師などに分業化され、熟練の技術が要求される。
 現在もお盆や納涼、部屋の照明など優美な伝統工芸品として広く用いられている。
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2007/3/14


駿河蒔絵 Suruga-makie Suruga Makie

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 駿河蒔絵(するがまきえ)は、静岡県にて受け継がれてきた伝統的な漆芸技法である。
 蒔絵は、塗面に漆で薄く地描きをし、金銀粉を蒔き乾燥させ、生漆で粉固めして乾燥させた後、炭で研ぎ、すり漆をして乾かし、研磨して仕上げたものである。
 文政11(1828)年、駿河に住む塗師・中川専蔵が、蒔絵技術の教えを受け、取り入れたのが駿河蒔絵の始まりである。
 天保元(1830)年、江戸から小林留吉・選次郎という2人の蒔絵師が駿河を訪れ、技術を伝授した事により、蒔絵技術はますます向上した。
 明治から昭和前半までは、海外輸出品として代表的な物であったが、戦後、漆器製品は日常品から高級嗜好品へと変わっていった。
 現在、駿河蒔絵の製品として硯箱、盆、文庫、花器、下駄、アクセサリーなどが生産されている。
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